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くじらの茶会

太極拳の師がお茶会をするというので、お手伝いについていった。当日は梅雨の晴れ間の、暑い朝になった。

老師は軸をかけ、風炉先屏風や釜を置いて部屋を整えていく。私は老師の指示の下、座布団を運び、道具を洗った。虎屋の「あじさい」を、形を崩さぬよう慎重にお皿に並べていく。練りきりに混ざる濃いピンクのゼリーがかわいい。隣に「二人静」をころんと添える。

10畳の和室に1席5人の、のびのびとした設えである。窓の外には前日までの雨を含んだ青々とした庭が一面に広がっている。

染付の水差しに水を入れ、丸卓棚に運ぶ。振り返ると老師が並べたガラスの替茶碗が、畳に4つの波紋を描いていた。

老師の仕組んだ茶碗には水が張ってあり、覗き込むと茶杓に描かれた鯨と目が合った。この絵は老師の手による物で、笑っているような、歌っているような楽しげな姿である。太極拳を極めると絵も描けるようになるのだろうか。

お客さまをお迎えし、1席目が始まった。青海波の江戸小紋に身を包み、ハキハキとお話する老師は、江戸の長屋のおかみさんのようだ。合図に従ってお菓子を運ぶ。

茶碗の中の茶巾を絞る、チョロチョロという音がする。その後に、茶碗の水をザーッと建水にあける。水音を楽しむ洗い茶巾のお点前だ。よく見ると棗も白地に青い波しぶきが弾けるようだし、蓋置も深い碧色だ。そう、今日のお茶会のテーマは海なのだ。

なので、床には流木が飾られている。動物の骨のようにも見えるそれは、愛媛県の伊方の海から来たものだ。それは人もめったに来ない無人島に漂着した大量のゴミの中にあった物なのだそうだ。

海流の穏やかな瀬戸内海では、漂流したゴミが何十年もたい積したままとなる。船を出してそれを集め、トラックで運び、焼却するという大変な作業を人知れず続けている海の男がいるのだそう。

経済的に成功した人でもあるので、これまでは私費でもやってきた。しかし、その人の一生には到底終わらない量なのだ。観光化されていないので経済的メリットを見出しづらく、国や企業の資金が付かない。謎人脈でそのことを知った老師が、このことをまず知ってもらおうと開いたのがこの茶会なのだった。

愛媛出身の私の父は、瀬戸内の塩田の家系だった気がする。私がここにいるのも偶然ではないのかも知れない。

3席めの頃には、少し慣れて周りが見え、お客様と一緒に席を楽しむ余裕が生まれた。広々とした和室の風景に、ゆったりと鯨が横切っていくような気がした。いつも鯨を特徴的に使う、新海誠監督の映画を思い出す。サウンド・ブルーと名付けられた棗から、仲間を呼ぶ声が聴こえる。庭の池に浮かぶような効果を狙って設計されたこの茶室が、海に浮かぶ小船みたいでもあった。

お客さまもそれぞれに、美しい海の風景を思い描いただろうか。でもそのイメージは今や、努力なくして持続出来ない時代になった。

ディテールは違えど全員がひとつのイメージを思い描く。時に願いや祈りにも繋がる、その最も象徴的な物が床に表現されている。お茶席ってそういう構造なのね。初めての水屋のお手伝いが、こんな茶席で良かったな、と思った。