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ラ・フォル・ジュルネはマスタークラスもおすすめ

ゴールデンウィークに有楽町で開催されるクラシックの祭典。チケット発売が始まって、楽しみにしている人も多いだろう。

コンサートの他に、プロの演奏家によるマスタークラスがあって、500円と値段も安く、毎年充実した内容だ。演奏しない人も楽しめると思う。

私は好きなピアニスト、エル=バシャさんのマスタークラス(公開レッスン)を、ラフォルジュルネ2度、それ以外で一度聞いたことがある。

2018年東音ホール(PTNA)での公開レッスン

初めてエルバシャさんのマスタークラスを聴いたのは2018年の冬。東音ホールに到着すると、裏手で次の受講者が練習するショパンのバラードが聴こえた。性能の良い脳みその回転音が、壁越しに伝わってくるよう。部分練習は一切しないタイプらしい。

彼の順番になり、演奏を目の前で聴いたが、部屋を出ようかなと思うほど、苦手な演奏だった。

一通り演奏が終わるとエルバシャさんは静かに話しはじめた。
「この4番のバラードは、そうした獰猛なテクニックが最もそぐわない曲です」
「ひけらかし、テクニックを見せつけるような表現は一切必要ありません。自分を偉大な人物のように見せようとしないで。私たちは、コルトーではないのだから」

エルバシャさんはその日盛大に風邪をひいていたが、限られたエネルギーで最大のレッスンをされた。そのおかげか、彼は2年後のショパンコンクールで2次予選まで進んだ。今や医師とピアニストを両立するスターピアニストだ。

こうしたエルバシャさんのエレガントな「NO」は、いつもこのように分かりやすい訳ではない。

ラフォルジュルネのマスタークラス

昨年のラ・フォル・ジュルネでのマスタークラス。ベートーヴェンのソナタを学生さんがとても上手に弾いた。

「ベートーヴェンにおける休符とは何か」という話が心に残っている。ベートーヴェンは神を信じていたから、音の部分が内面の葛藤や神への問いかけとすれば、休符は神からの回答と考えてもいい。多くのピアニストが休符を最後まで感じ切らずに先に進んでしまうので、それを避けるために、気持ち長めに休符を感じるといいのだそう。

「このsF(スフォルツァンド)は、どの音符までを対象としていると思う?」という問いかけからは、プロがいかに厳密に譜面を読み込んでいるかを計り知ることができた。

一方で、私はエルバシャさんが一度も演奏を褒めていないことにも気付いていた。それを意識させないのは、素晴らしい通訳さんが誤訳にならない程度に生徒さんをエンカレッジしていることもある。例えば、「Merci」を「ありがとう、素晴らしかったよ」と言うくらい、かすかに。

だから、笑いを盛り込みながらの和やかなレッスンの中に出てきた、
「もし演奏で表現したいものがないのなら、(肩をすくめて)音楽以外の道を考えた方がいい」
というゾッとするような一言を、ほとんどの人が一瞬の引っ掛かりの末、流してしまっただろう。きっと受講者でさえも。

うまく弾けてはいるけれど、その曲想に、今後一生ピアニストとしてやっていくに耐えうる個性と情熱がない可能性を暗に指摘していたのだと思う。

一方でしっかりと取り組んでいる生徒さんには惜しみない称賛を与える。
東音ホールでのレッスンでプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番を弾いた秋山紗穂さんには、
「あなたのしてきた楽曲分析や和声の捉え方、曲づくり、すべてが伝わって来たよ。素晴らしい。この曲を何年勉強しているの?」
と問いかけ、帰ってきた答えに驚いていた。
ほとんど教えることがなく、他の曲を教えていた。

鍵盤を押すのに必要な力だけを使うやり方、感情にまかせて身体を揺らすことで聴こえ方にもたらす弊害、一瞬の遅れを出さないための「置いてから掴む」やり方ではないタッチ、弱音ペダルは音量ではなく音色のためのもの、右手と左手をずらすのは「オールド・スタイル」、リストを弾く際の多少のショーアップの必要性など、これまで3回聴いただけでも多岐に渡る内容を知った。演奏家にとっても、そうでない人にも興味深い内容だ。

エルバシャさんの今年のマスタークラスの受講生は、昨年のPTNA特級グランプリ、鈴木愛美さんのモーツァルト。ジャン=マルク・ルイサダさんが教える2022年のPTNA特級ファイナリストの鶴原壮一郎さんのラヴェルも、きっと面白いクラスになると思う。

本日(3月16日)10:00発売だが、まだ間に合いそうなので、ご興味ある方はぜひ。

(タイトル画像はラフォルジュルネHPより拝借しました)