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おもしろうて やがて悲しき

龍生軒の月釜へ。龍生軒は府中駅からほど近いところにある、中村昌生さんの設計による美しい茶室だ。小間・広間・立礼席がある。今日は亭主にお許しをもらって、写真を撮らせていただいた。

肥後古流の方が主催しているここの月釜は、様々な流派の方が集まって毎月趣向をこらした席を持つ文化サロンのようになっている。最近は他分野の人たちとのコラボレーションも広がっているようだ。先に小間で濃茶をいただいてから、広間へ。薄茶とお菓子をいただいた後、今日は狂言師の奥津健太郎さんがいらしてお話をしてくださった。

奥津健太郎さん

今日取り上げる「鵜飼」。宿を求めて歩く旅の僧が一人の老いた鵜飼(翁)と出会う。殺生を諫める僧に対し、今更難しいと答える翁。実はその翁は、殺生を重ねた罪によって死んだ鵜飼の亡霊だった。その翁が、罪深いながらも面白い鵜飼の様子を語り、やがて悲し気に月闇に消えていく。

舞台で使う面を見せてくださいながら、説明してくださる奥津さん

その後話は、僧たちが老人を供養し、閻魔大王によって救いを得たところまで続く。

面をこんなに近くで見るのははじめての経験でした

この後実際に舞ってくださったのだが、その前に台詞に一度目を通しておくと能を知らない人も楽しめるだろうと、「鵜飼」の一部を配り、一度読んでくださった。

皆で読み合わせ

そして鵜飼の一節を舞ってくださいました。

「鵜飼」を舞う奥津さん

奥津さんが開いた扇を幕代わりに、茶室が狂言の舞台へと変わった。
川の波間に放った鵜が、驚いて逃げ惑う魚を追う。水しぶきが飛び散り、一瞬の間にいくつもの命の生と死が入れ替わる映像の鮮やかさ。殺生の罪を忘れるほどに、それを楽しみ、のめり込む鵜飼の心の様子。

しかしやがて夜のとばりにかがり火が燃え、月が中空に昇る頃、報いと引き換えに鵜飼は命を失い、暗闇に消えていく。そして扇が閉じた。

命が花火のように鮮やかに燃え、やがて尽きる。その間に様々な罪を犯さなければ生きていくことが出来ない。それはどのような人生にも共通する在り様だ。芭蕉はこの話を、
「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」
と詠んだ。

先ほどいただいたお菓子の銘は「かがり火」だった。そして、この鵜が泳ぐ淀川の水は、先に入った小間の濃茶席の軸から流れてきているのだな、と思い出す。

「引人も 引かるる人も 水の泡 浮世なりけり 淀川の舟」

今日私は濃茶(小間)、薄茶(広間)、立礼席の順で回ったが、異なる順番で回るいくつかの組が上手に組み合わされているようだ。亭主の意図のもと選ばれたお道具やお菓子によって3つの席がゆるやかに繋がり、大らかな景色が描かれている。しかし、その細部と最終形はお客さんの心の中で完成する。

広間の小舞から龍生軒へ、さらに七夕の府中、そしてお客さんの心象世界へと波紋のように広がる舞台の起点がこの茶席にある。そのために周到に準備された仕掛けを、色々知らないせいでいつも見落としてしまうのだが、たいてい連客の方がそれとなく教えてくれて、少しずつ学ぶ。

最後に、立礼席へ。異世界の熱を冷やしてくれるような、さわやかな七夕の趣向。心静かで丁寧なお点前を拝見し、すっかり涼を得た心地で外に出た。

七夕の梶の葉のお軸

(2023.7.9)