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ここは縄文の王国だった(ナガスネヒコ、ニギハヤヒ、ミカシキヤヒメにまつわる場所を巡りました)

9月に奈良市の王龍寺に行った後に、「龍族の王の流れを受け継ぐ者よ」というメッセージが降りてきてから、龍族や出雲族やいろいろネット検索をしていたら、
長髄彦(ナガスネヒコ)/登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)/登美毘古(トミビコ))という名前が出てきました。
神武東征の前から大和国に存在していたといわれている縄文の国。その先住民の長。
兄は安日彦(アビヒコ)、妹は饒速日命(ニギハヤヒ)の妻でもある三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)/登美夜毘(トミヤヒメ)。
饒速日命(ニギハヤヒ)は、神武天皇より先に、天磐船に乗って河内国河上の地に天降ったといわれている。

私が子供の頃から住んでいた実家がある地域は、先住民ナガスネヒコや縄文の人々が暮らしていた縄文の王国、鳥見(登美)の里だったようだということを知りました。
え?ここが??という感じでびっくり!
そういえば近くの公民館を新しく建てた時にも大量の縄文土器が出土したそうなので、多くの縄文の人々が暮らしていた場所だったんですね。
でもそんな地域に住んでいたのに、今まで一度もナガスネヒコの名前を聞いた事がなかったのです。

その事を知ってから、ナガスネヒコやニギハヤヒやミカシキヤヒメにまつわる場所に行きたい衝動が押さえられなくて、毎日うろうろと山に入ったり草をかき分けたどり着くという日々でした。鵄(とび)神社がある王龍寺にはなん回も行きました。

5年前に2人の視える方にご縁が深いと言われて行ってみた石上(いそのかみ)神宮に行くと決めた途端、急に出雲大社にも行くことが決まって本殿で手を合わせた瞬間、とてつもなく大きな存在と繋がって「おかえり」と言われたということがありました。
包み込まれるような深い愛のエネルギーで思わず大号泣してしまいました。その時から出雲という言葉を意識するようになりました。
龍族と出雲。私とどういう関係があるのかまだよくわからないのですが。。。
点と点が繋がる時がくるのでしょうか。

4年前に火災で燃えてしまった沖縄の首里城。地上にいる私達にとっては、とても悲しい出来事でしたが、火災の後首里城上空の見えない領域の宇宙空間では、ポリネシアの民族衣装を着た金色のエネルギーで光輝いた若い男女2人が祝福の舞を踊っていました。封印されていた何かが解放されたようでした。
沖縄はアジア地域のエネルギーかと思っていましたが、ポリネシアなんだと驚きました。
ムー大陸のエネルギー(縄文エネルギー)がどんどん浮上してきているのを感じます。
中国は政治的にはお互いいろいろありますが、暮らしている人々は日本人と同じく、虫の声や草花の香りや雨や風の音など自然を愛する文化を持っています。今年旅行で四川省のチベット民族の村が9つあったといわれている九寨溝に行ってきたのですが、その帰りに「ムーのエネルギーの復活にはアジアが1つになること」というメッセージが降りてきました。
たぶん中国だけでなく、太平洋に面している国々や島々に浮上してくるムー大陸の土地のエネルギーと、縄文の記憶の遺伝子を持つ人々が共鳴して、縄文の感覚がよみがえりはじめ、それが世界中に広がっていくのではと思っています。

*ナガスネヒコ、ニギハヤヒ、ミカシキヤヒメにまつわる場所を巡りました。
(近鉄富雄駅より北側の富雄川沿いと、磐船(いわふね)神社と石切劔箭(いしきりつるぎや)神社上之社)

『長髄彦(ながすねひこ)本拠の碑』
『鳥見白庭山の碑』
『饒速日命(にぎはやひのみこと)墳墓』
『金鵄(きんし)発祥之處の碑』
『伊弉諾(いざなぎ)神社』(長弓寺の境内)
『真弓塚』(長弓寺の飛び地境内)
『神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑』
『天忍穂耳(あめのおしほみみ)神社』
『夫婦塚の碑』
『杵築(きつき)神社』
『鵄(とび)神社』
『磐船(いわふね)神社』
『石切劔箭(いしきりつるぎや)神社 上之社』

『長髄彦(ながすねひこ)本拠の碑』
ナガスネヒコの本拠地だったといわれる場所。
大正時代に金鵄会によって建てられたそうです。
白庭台住宅の開発で少し移動させたそうです。
生駒市上町の白谷にあります。
(近鉄白庭台駅から徒歩15分)
『鳥見白庭山の碑』
ナガスネヒコ本拠の碑のすぐ近くにあります。
ニギハヤヒが宮を築くところを決めるために
3本の矢を放ち、その三本目の矢が落ちた所で、
ニギハヤヒが河内国河上の地から移り住んだ
場所といわれているそうです。
『饒速日命(にぎはやひのみこと)墳墓』
二ギハヤヒの妻がニギハヤヒの遺言に従い、
鳥見の白庭に遺品(天の天羽羽矢と天羽羽弓、
神衣(かんみそ)、手貫(てまき))を埋めたと
伝えられているニギハヤヒの墓。
生駒市総合公園のグラウンドのサッカーゴール
の後ろにある山道の入口から
高低差はげしい山道を赤いプレートや
赤いひもを目印に20分ぐらい
歩いた先にありました。
最後二手に分かれている道は
両方の道に赤いプレートがあるのですが
右側のプレートにどなたかがニギハヤヒと
書いてくださっていたので助かりました。
行き方をネットにあげている方が
おられたので、無事たどり着けました。
白庭台住宅地からも行けるようです。
(近鉄生駒駅から奈良交通バスで
あすか野団地口バス停下車徒歩30分)
『金鵄(きんし)発祥之處の碑』
ナガスネヒコと神武天皇の2度目の戦いで
神武天皇の矢の弭(はず)に金色の鵄(とび)が
とまったとされる場所。
高山郵便局前にある鵄山(とびやま)という
バス停から郵便局の角を右に曲がり
富雄川を背に道なりに歩くと右側に
木がこんもり生えた①鵄山があります。
それを右手に見ながら歩いて
山が途切れた所で右手に曲がって
少し道が左に曲がっていきますが
そのまま進むと突き当たり右手の
下の写真の②の所を入らせてもらいます。
突き当たりまで行って少し右側に
山に入る入口があるので入って
10歩ぐらい歩くと下の写真の③左手が下りの
山道になっていて石碑が見えます。
(近鉄富雄駅から奈良交通バス鵄山バス停下車5分、
または近鉄学研北生駒駅から徒歩12分、
またはナガスネヒコ本拠の碑から徒歩18分)
①鵄山
②ここから入らせてもらう
③左手に下ると金鵄発祥之處の碑があります
『伊弉諾(いざなぎ)神社』
生駒市上町の長弓寺の中にある神社。
昔は登彌(とみ)神社という名前だったそうです。
ナガスネヒコの旧跡で、ニギハヤヒと
妻のミカシキヤヒメを祀っていると
いわれているそうです。
(近鉄富雄駅から奈良交通バスで
真弓橋バス停下車徒歩5分。
または金鵄発祥之處の碑の最寄りの
鵄山バス停から真弓橋バス停まで
バスで9分、そこから徒歩5分。
または金鵄発祥之處の碑から徒歩22分)
『真弓塚』
長弓寺の飛び地境内
ニギハヤヒの遺品が埋められているという
説があるそうです。
(近鉄学園前駅から奈良交通バス
真弓四丁目バス停下車徒歩6分、
または伊弉諾(いざなぎ)神社から徒歩17分)
外から見た真弓塚
真弓塚の上から見た景色。
右手に見える生駒山から若草山まで
奈良の山々と奈良盆地が一望出来ます。
左側の木が生えていない山の
ところが若草山
『神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑』
神武東征のナガスネヒコ率いる軍との
2度目の戦いがこの地で行われ、
金鵄が現れたとされる記念の碑。
昭和15年に当時の文部省によって
建てられた碑だそうです。
(近鉄富雄駅から奈良交通バス出垣内
バス停下車徒歩3分。
または伊弉諾(いざなぎ)神社から徒歩13分)
富雄川の東側の道路の奈良交通バス出垣内
バス停から、富雄川を右手に山を左手に
歩道を少し歩くと案内があります。
『天忍穂耳(あめのおしほみみ)神社』
天忍穂耳(あめのおしほみみ)は、ニギハヤヒの父で
神武天皇の高祖父といわれている。
神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑を左手に見ながら、
さらに山道を道なりに5分歩くと
左手にあります。
(近鉄富雄駅から奈良交通バス出垣内
バス停下車徒歩8分。
または伊弉諾(いざなぎ)神社から徒歩18分)
神社名の札の上の白い柱の顔が不思議。
眉毛がある目に、長い鼻と、金色の牙?
赤い歯と、耳らしきものは魚のひれのよう。
『夫婦塚の碑』
ナガスネヒコの妹でニギハヤヒの妻
ミカシキヤヒメの塚と伝えられています。
畑のど真ん中のあぜ道にあります。
上町高樋バス停から富雄川の西側の
歩道を富雄川と山を右手に少し歩くと、
左手にあすか台住宅地に向かう道があります。
その道を富雄川を背にまっすぐ歩き、
あすか台に入る手前のアスファルトではない
車が通れる土の道が左手にあるので、
その道を畑を左手に見ながら歩きます。
少し道が右に曲がっていき、畑から離れますが、
まだ道なりに進みます。しばらくすると、
左手に畑の方向に行けるあぜ道があります。
そこをまっすぐ歩き、後はスマホの位置情報を
見ながら右に曲がって少し進むと石碑があります。
(近鉄富雄駅から奈良交通バス上町高樋
バス停下車徒歩10分。または
神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑から徒歩15分)
『杵築(きつき)神社』
素戔嗚命(すさのおのみこと)が祀られています。
ニギハヤヒの父の天忍穂耳命(あめのおしほみみ
のみこと)も祀られています。
(近鉄富雄駅から奈良交通バス杵築橋
バス停下車徒歩2分、または夫婦塚
から徒歩19分)
杵築(きつき)神社の境内にある龍王社。
本殿がある敷地の左側にこの案内が
立っています。
その左横の細い道を進みます。
龍王社。手前右手に龍神池があります。
『鵄(とび)神社』
奈良市の王龍寺の中にある神社。
王龍寺の本堂に行く階段の少し手前右側に
小さな50cmくらいの石の橋があり、
そこを渡ってまっすぐ進み、さらにまっすぐ
崖を登り、突き当たりを右に曲がり、
まっすぐ進むと左手に神社が見えてきます。
草をかき分け、大きなクモの巣に2回突っ込んで、
なんとかたどり着いて手を合わせようとしたら、
藪蚊の大群が押し寄せてきたので、慌てて
逃げ帰る途中で振り向いて撮った写真(笑)
王龍寺は僧房が10000軒もあるお寺
だったそうですが、戦国時代に焼け、
寂れた場所になっていたそうです。
その土地をお寺が提供して
今はゴルフ場になっています。
お寺がゴルフ場に囲まれてると思って
いましたが、元々王龍寺の広大な
敷地だったようです。
その中にある鵄(とび)神社は、王龍寺が
建立される前からあったようです。
この場所も白庭皇居という説があるそうです。
今はゴルフ場になっている広大な土地、
ナガスネヒコの本拠地といわれている
白谷同様、縄文の人々が暮らしていた
場所だったのかもしれません。
(近鉄富雄駅から奈良交通バス
杵築橋バス停下車徒歩20分
または、富雄駅からタクシーで10分)
『磐船(いわふね)神社』
ニギハヤヒの天孫降臨の地とされている場所。
ニギハヤヒが祀られています。
(近鉄生駒駅から奈良交通バス生駒北口バス停
乗車、北田原バス停下車徒歩13分、
またはナガスネヒコ本拠の碑から
徒歩47分)
巨石の下には天野川が流れています。
写真では上手く撮れませんでしたが、
この巨石は横幅がかなり大きいです。
石のエネルギーがすごかったです。
『石切劔箭(いしきりつるぎや)神社 上之社』
ニギハヤヒと妻のミカシキヤヒメが
祀られています。
お参りしていると、何処からともなく
すてきな笛の声が聞こえてきました。
宮司さんが奏でておられました。
他にお参りされてる方もおらず
異空間に迷い混んだような
不思議な気分でした。
この神社はすごく良い気が流れていました。
石切さんの愛称で知られる
石切劔箭(いしきりつるぎや)神社は、
駅から坂を降りていった所にありますが、
その石切さんの上之社は坂を上がった
山側にあります。
石切駅を石切神社側の改札から出ると、
すぐ大きな鳥居があります。
鳥居を越えて少し歩くと
高架の下をくぐる道が左にあるので
左に曲がります。
左手に川が流れているのを見ながら
高架をくぐったら右に曲がります。
そのまままっすぐ突き当たりまで歩きます。
突き当たりを左に曲がって、坂道を道なりに
歩きます。しばらくすると正面に
爪切地蔵尊が見えてきます。
爪切地蔵尊を越えてまだ登って
いきます。しばらくすると右手に
神社の案内看板があり、そこを入っていくと
神社の鳥居が見えてきます。
(近鉄石切駅から徒歩10分)
ここを入っていくと神社があります
昔は生駒山頂に程近い宮山にあった
とのことです
本殿の後ろ
境内にある婦道神社に
ニギハヤヒの妻のミカシキヤヒメが
祀られています
境内にある八代龍王社
東石切公園から撮った大阪平野。
遥か昔は海だったんですね。

(バスの本数がとても少ないので、事前に確認した方がいいと思います。徒歩の時間はGoogleマップ検索を参考にしています。)



アトピーと花粉症の症状から解放された私の体験を本にしました。

ペンネームを「きらきらキノコ」にしたのは、キノコの本体である微生物のおかげで森は存在出来ているのだそうで、この美しい地球の自然も私達の身体も微生物との共存で、おかげさまで生きることが出来ていること、その感謝を込めて。

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