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「運が悪かった」なら使っていい

時折、僕はSNS上でこんな言葉を目にします。

「このデッキは運の悪い自分には使えない」
「これは右手が強い人向けのデッキ」

これらの言葉が意味するところはつまり、「運が良くないと勝てない(だから使わない/使えない)」ということです。

「自分の運が悪い」と考えるのは、僕は悪いことだとは考えていません。不運な土地事故に見舞われたらストレスが溜まりますし、デッキに複数枚入っているキーカードが引けないことに煩わしさを感じるのは当然です。

ただ、「運が悪い」と思い込むことで視野狭窄に陥ってしまうのだとしたら、それは間違いであり、機会損失にも繋がります。

■「運が悪い」とは


カードゲームにおいて、運が悪いとは。

・キーカードを引けない。
・低マナのカードを引けずに序盤にアクションできない。
・中盤以降に強力なカードを引き込めない。

その他にも、羅列しようものならばいくらでも思いつきますね。

そして上記のような状態に陥ることが頻発すると、「自分は他の人より運が悪い」と考えてしまうわけです。

自分の運が悪いと感じてしまうことは、誰にだってあるでしょう。26枚土地が入っていたにも関わらず3マナ目が出なかったり、40枚のデッキに3枚入ってるカードをデッキ半分引いても手札に1枚もない時など、カードゲームをたしなむ以上は全員が体験していると思います。

言わばあるあるですね。そして「運が悪かったなぁ」とへこむことでしょう。それは当然のことです。

ただ、「自分は運が悪い」ということをベースにするのは、危険です。

その代表的な例は、「自分は運が悪いからこのデッキは使えない」と思うことです。

■「運が悪い」と思うことによる機会損失


自分のことを「運が悪い人間だ」と決めつけて、それを前提としてデッキ選択やデッキ構築を行うことは危険です。

例えば、中規模トーナメントの大会結果のリストを見ていて、6勝1敗している、比較的珍しい、特定のキーカードに依存したデッキを見つけたとします。とりあえず使ってみようと考える人は多いでしょう。

ただ、ここで「自分は運が悪い」と思っている人は、考えてしまいます。「このデッキは運が悪い自分に使えるのだろうか」と。そしてそのデッキを回す前から諦めてしまいます。「自分にはどうせキーカードを引く運がない。だからこのデッキは使えない」と。

これは非常にもったいないことです。

運の良し悪しは、その事が起きた瞬間にわかります。事前にわかりようがありません。

運は過去に起きた事象に対して以外では「存在しない概念」だと思っています。「運が悪くて負けた」「運が悪くてカードが引けなかった」。これらは全て過去に起きたことです。運は事が終わってようやく顔を出すのです。

さて、貴方はその珍しいデッキをコピーして回したとします。ですが4回ほどデッキを回して満足に動かなかったとしても、まだ投げ出すのは早いのです。

少なくともそのデッキは6勝1敗の成績を収めているので、最低でも12ゲームを取っているのです。それなら4度回しただけで結論付けるのは早いでしょう。

大事なのは、『「運が悪いから回せないだろう」と言う思い込みだけでそのデッキを諦めてしまわないこと』なのです。

土地が引けなかったら「運が悪い」ではなく「土地の枚数」を変えることを検討すべきなのです。

例えば4マナ目をどうしても4ターン目にほしいデッキに、土地が21枚しか入っていないのなら、「運が悪い俺にはこの土地の枚数では足りない」と考えるのではなく、「このデッキでは4マナ目を4ターン目に確実に引きたいし、引けた時のリターンは、5枚目以降の土地を引き続けるデメリットよりも大きい。だから土地を入れよう」と考えた方が良いのです。

この2つは「デッキが回らないから土地を足す」という意味では同じ行為ですが、考え方はまるで違います。

前者の場合、今度は5枚目以降の土地を引き続けて負けた場合に、「運が悪かった」と片付けるでしょう。ですが後者の考えならば、「5枚目以降の土地を引き続けるデメリットは予想以上に大きかった。だから土地の枚数を再度調整しよう」となるかもしれません。

あるいは、5枚目以降の土地を活かせるように、序盤でも後半でも使えるカードを入れることを検討できるようになります。こうしてデッキはチューンされていきます。


このように「運が悪かった」の一言で片づけられるものには、その実「様々な要素」が隠されています。

目に見えない「運」を信じるあまり、事実として見えている「大会上位入賞」という結果をないがしろにしてしまい、そのせいで様々な要素に気づけない。これこそが、「運が悪い」と思うことによる機会損失です。

■取捨選択にも理由を


ここに、2つのデッキがあったとします。
一つはダントツのTier1。7回戦の大会で3回は当たるであろう、大本命デッキ。強いカードがたっぷりと入ったデッキです。

もう一つは、Tier3。14回戦って1回当たる程度のデッキです。こちらは非常に速いビートダウンで、デッキのほとんどが1マナです。それゆえに全体火力を相手が持っていると負けてしまいますが、持っていなければTier1デッキであろうと容赦なくなぎ倒します。

この2つを比べた時に、どちらのデッキがより運を要求されるでしょうか?
それはもちろん、後者のTier3のデッキですよね。

Tier1のデッキには、そうなる理由がきちんとあります。多くのプレイヤーが勝つためにそのデッキを選択しているのですからね。パイオニアのラクドスミッドレンジを例に挙げるのであれば、特定のカードに依存することなく、干渉手段と攻める手段の両方を持ち、相手次第でそのプランを自在に変更できるこのデッキは、運の要素が少ないデッキと言って良いでしょう。

一方、Tier3デッキは、相手が全体火力を持っていなければ勝てる・持っていれば負けるという時点で賭けです。更に言うならば、序盤の手札事故で満足にカードが出せなければ、後半戦では不利になります。あらゆるリスクを抱えているデッキです。

もちろん前者のデッキの方が、運に頼らずに戦えると思います。これは紛れもない事実であり、「自分の運が良いか悪いかはさておき、使用した時の勝率が高いのはTier1のデッキだろう」と考えるのは自然です。

そしてこれ自体を僕は否定していません。

ただ、「Tier1デッキを取り、極端に尖ったデッキを捨てる」その理由を自分なりに明確にしておいた方が良いのです。これは「単に運の要素が高いから」ではなく、掘り下げるべきだと思います。

なぜそのデッキは運の要素が高いのか。その理由をしっかりと掘り下げましょう。
「相手の全除去1枚で必ず負けてしまうから?」「特定のカードに依存しているから?デッキのマナカーブが極端で、常に安定した動きができないから?」「強烈なキラーカードが環境にあるから?」「あるいは別の何か?」

きちんと考察していくと、様々な事柄が見えてきます。もしかしたら極端に尖ったデッキの改良案が見つかるかもしれませんし、Tier1デッキの強さを改めて実感し、造詣も深まります。自分でデッキを構築するヒントにすらなりますね。

繰り返しますが、ここで言いたいのは「運が悪いから」という理由でデッキの取捨選択をしないことです。

「自分の運が悪いから」→「このデッキは運の要素が高いから」→「運の要素が高い理由は、1枚のキーカードに頼った構築であるから」と言ったように、きちんと「運が悪い」から踏み込んで考えていけば、明確な答えが出ます。

そして答えを出すことが自らの学びとなり、また発見に繋がります。
こうした機会を逸してしまわないために、「運が悪いから」で片付けるべきではないのです。

■「運」という言葉は悪いのか?


ここまでの話で、「運という言葉を使うことがそもそも悪なのでは」と思われてしまっているでしょう。誤解してほしくないのですが、少なくとも僕は、悪だとは考えていません。僕自身も「運が悪くて負けた」と言いますし、極端なドローをして敗北した際は、画像付きでツイートすることがあります。

8マナあるのに手札のカード1枚も使えなくて笑ってしまった pic.twitter.com/6vRUOlC3Df

— ゆうやん/Yuya Hosokawa (@yuyan_mtg) 2018年6月5日

負けてイライラしたら愚痴を言いたくなりますし、SNSに書き込めば慰めてもらえますから、どうしても書きたくなるというものです。

「常に運のせいにするなんて意識が低い」とも思いません。どれだけ考えようと運が悪いとしか言いようのないことはたくさんあります。

カードゲームへの取り組み方は人それぞれです。勝ちたい人もいれば楽しみたい人もいますし、トーナメントでの勝利が目的ではない人にとっては、「負けたのは運のせいではなく実力だ!」などと責められるのは本意ではないでしょう。

「運」と言う言葉が悪いと思っていません。「負けた理由を運のせいにするな!」という主旨ではないのです。

まだ起きていないことにまで「運が悪いから」と運を絡ませてしまうのは、機会損失と言う意味ではっきりとマイナスです。これは「勝ち負けよりマジックを楽しみたい」と思っている人にも共通する話だと思います。

「運が悪いからこのデッキは回さない」と決めたデッキが、実は自分の肌に合うデッキで、それで大会で優勝できるかもしれませんし、デッキを回すことで新たな発見をして、自分でデッキを閃いたり、チューンしたものがお気に入りとなる可能性があるのです。

■運という言葉は結果に対してのみ使おう


僕は「運が悪いからという理由でデッキ選択やカード選びの取捨選択を行うべきではない」と言いました。運で片付けずに明確な理由を示すことが、自らの糧となるからだと。

その一方で、起きてしまった結果に対しては「運が悪かった」で終わらせてしまっても良いとも言っています。運の一言で完結させるべきではなく、きちんと理由を模索すれば糧となるのではないかと、そう思われる方が多いでしょう。

それは正しいです。自分では運だと思っていても、実はマリガンでミスを犯していたり、不利なリソース交換をしてしまったりなど、1ゲームでも様々なミスが起き得ます。

ですが一方で、「運が悪かった」から負けた場合、反省点があるかもしれませんが、本当に運が悪かった可能性も多々あるのです。

これから起きてしまうことに対して「運」という言葉を使うのと、終わってしまったことに使うのとでは、まるで違うことだと考えています。

これまで僕は何度か、「まだ起きていないことに運を絡ませてしまうのはマイナスだ」と言いました。その一番の理由は、「貴方の運が悪いかどうかは、実際のところまだわからないから」です。

ギャンブラーの誤謬という言葉があります。

コインの表裏を当てるゲームで、4回連続で「裏」が出ました。次は「表」と「裏」、どちらが出る確率が高いでしょうか?

ここで「表」と答えてしまう心理が、ギャンブラーの誤謬です。

実際の確率は50%です。コインは2面しかなく、ランダムでどちらかが選ばれるのであれば、その確率は50:50なのです。当たり前ですね。

合理的な根拠なく、主観やこれまでの経験で、確率論を大きく歪めた結論を出してしまうこと。これは危険です。

そしてまさに「これまで運が悪かったのだから次も運が悪いだろう」という考えも、ギャンブラーの誤謬です。

自分の運が悪いと発覚するのはいつでしょうか?それはデッキを回している瞬間、対戦中ですよね。その対戦が始まってドローするまでは、どんなカードを引くかはもちろんわかりません。だから「運が悪いかどうか」もわかりません。それなのに「自分は運が悪いからやめよう」と諦めてしまうのは、存在しない幽霊を怖がっているようなものなのです。

一方、27枚の土地をデッキに入れた時に、2枚しか引かなかった場合、これはもう「運が悪かった」と言えます。その上で反省点はあるかもしれませんが、事実として「運が悪かった」のです。学ぶべきことがあれば運のせいにせずに反省しても良いですし、そもそも事実として今この瞬間は運が悪いのですから、「運が悪かった」と言って良いでしょう。

ですが、その時に「自分は土地が引けない人間なんだ。次からは絶対にコピーするデッキに土地をプラス1枚入れよう」と思ってはいけないのです。何故なら「運が悪かった」という事実と「これから運が悪いか」については全く因果関係などないのですから。

貴方が本当に「運が悪い」かどうかは、その瞬間でないとわからないのです!

■おわりに


「運のせいにするな」という主旨ではないですし、「大会上位のデッキをリスペクトしてそのまま使え」と言いたいわけでもありません。

ただ、運のせいにすることであなたは損をしているかもしれません!

運という言葉は物事の結果に対してのみ使いましょう。バイアスのかかった行動により、機会損失をしてしまう可能性があります。それは「運が悪かったからきっと次も運が悪いだろう」という思い込みから起きてしまうことなのです。

それでは今日はこんなところで。

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