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一路、尾鷲へ。

僕が尾鷲(おわせ)がスキスキ言ってるころ、ちょうど古民家へ引っ越したもんだから、知人には「尾鷲に引っ越した」と思ってる人がちらほらいたのですが、実は市内中心部です。

事務所から歩いて10分です。家の前で行き止まりになってるので、道路も好きに遊びほうだいです。庭も広いです。カオスです。だから僕は、古民家のままでいいじゃん、て思う側の人間です。

今日は尾鷲へ行って、小学校の校長先生と話してきました。またプレスリリースを作るのでそのとき全貌を報告するとしまして、ここでは1/100くらいにして書き記しておきます。

僕は写真の基礎が詰まっている"学校写真"を、ずっとずっと、いつかやりたいと思っています。
以下はしょり箇条書き。

・尾鷲の小学校で卒アル作りたいな
・尾鷲の教育委員会か、校長会とつないでほしいな

・そしたら連休前に尾鷲のさっとんがつないでくれて
・連休明けの今日、校長先生に電話してアポが取れる

・現実をとことん聞いて、あまりにも卒アルの出る幕のなさにお手上げ。
・僕は過去に6年ほどがっつり卒アルのお仕事に従事させて頂いていまして、その自分の耳で聞いたので、間違いございません。

・もうすぐ創立150周年、150年間、卒アルが存在していない。むしろ、今では文集の存在感が強く、そこにカラー写真が卒アルのようにしっかり自作されている。
・そこに入る余地はない。新たな出費を請うて、作るものではない。

・その帰り、さっとんのいる役所へ。
・数人が集まってくれていて、作戦会議。

これから折衝(せっしょう)を始めてもらうのだが、
・尾鷲高校写真部の外部講師になり、地元との関係性を築く
・写真部のメンバーで商店街や史跡を撮り、取材する。→これは地域貢献活動、高校も地域貢献というものを求めているそう。

・別軸で、少人数学校をモデルに、学校外で春夏秋冬の写真を撮る。これには6年生全家族の承諾が必要。
・卒業時、フォトブックにして卒業生の子たちに届ける。僕は世の中のテンプレート通りの卒アルが作りたかったのではなく、卒業生に感動を届けたかったのだ、と気づく。
・これはきっと作品的になりそうなので、作品として一冊製本し、生徒さんたちにはフォトブックで贈呈する。今回のモデル校は、完全無償で実施。

・高校写真部での活動が長年続けば、ああ、あのヤマナカさんね、と小学校での授業中の撮影にも奇跡的に許可が出る。→本来は、卒アル制作業者にしか出ない許可。これがあるから、僕は卒アルを作るという正攻法で今回校長先生に掛け合ったのだった。

・授業中の、教室での、校舎内での写真がそのフォトブックに載せれてこそ、感動が大きくなる、と僕は考えている。

だから、この両軸を進める必要があり、この2つを達成したら、やがて尾鷲市外でもこのプロジェクトは広げれるだろう。

全国の過疎化に悩む地域へ。それぞれの場所で、それぞれのフォトグラファーへ、この想いよ届け、いちにっさん。

やっさん。商工観光課。この人がいてこそ。高校には仕事として交渉を、小学校6年生保護者には民間人として交渉をしてくれる。
山口さん。今回校長先生に会いにいってくれ、突破口をひらいてくれた方。ほぼ初対面。
さっとん。彼は部署が違うのでこの時間はサボりとなってしまうが、いつもつないだり、セッティングをしてくれる。さっとんの結婚式を10年前に撮らせてもらうことで、尾鷲との関係性がずっと続いている。やっさんも山口さんも、その結婚式の列席者だ。今では大親友。

にしても、尾鷲市役所の内部にあれよあれよと連れ入れてもらったけど、まるで釣りバカ日誌のような光景だった。
上司が釣り竿をみがいていてもおかしくないシーン。めちゃくちゃ絵になるのに、こればっかりは世に出せない。いつかちゃんと撮ってちゃんと出したい。

長くなりました。
おやすみなさい。

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