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【今でしょ!note#20】 1996-99年 危機と不安の時代(経済白書から現代史を学ぶ その11)

おはようございます。林でございます。

「経済白書で読む戦後日本経済の歩み」シリーズその11(最終回)です。

まだ2000年代以降を残すのに一旦最終回としている理由は、ここまで11回にわたりお届けしてきた経済白書シリーズの参考図書「経済白書で読む戦後日本経済の歩み」が発行されたのが2001年で、それ以前の年代について触れられているためです。

ただ、2000年以降についても自分で各年の経済白書を見ていくことで、同じように時代の変遷を見ていくことができますから、また別の機会に2000年以降の動向についてご紹介します。

また別の記事で取り上げますが、戦後日本経済の変遷を一旦自分の頭で整理しておくと、様々な産業の変遷や国の制度の成り立ちなど、今に繋がる社会の仕組みがより立体的に理解できるようになり、より本質的に物事の構造が分かってきて面白いです。

各産業の話や、少子高齢化などの社会課題に関する分析と自分なりの意見についても、今後のnoteで触れていきますので、ぜひフォローをお願いします!

前置きが長くなりましたが、今日は、前回ご紹介した90年代前半のバブル崩壊後の低迷に続く90年代後半の様子をご紹介します。


90年代後半の3つのステージ

90年代後半の日本経済は、これまでになかった危機に襲われ、人々は不安の時代を過ごし、経済活動は停滞します。90年代前半のバブル経済崩壊後に直面した当面の危機を乗り越えてもなかなか将来不安は消えず、日本経済は閉塞感から抜け出せませんでした。

90年代後半は、次の3つの時期に分類できます。

  1. 自律回復と改革推進の時期

  2. 経済危機の現出と緊急対策の時期

  3. 緩やかな回復と景気重視政策の時期


1. 自律回復と改革推進の時期

96年度から97年度前半にかけて、企業の設備投資が大幅増加し、個人消費も堅調な増加を示します。97年1〜3月には、それまでの3%から5%への消費税率引き上げ前の駆け込み需要もありました。

円安に伴い96年には外需がプラスの寄与に転じ、物価安定が続く中で消費者物価が上昇します。バブル崩壊後に公表された不良債権も減少し、景気回復の目処が立ち、関心が構造的・長期的問題に移ったときに、2つの危機意識が生じます。

それは、「日本は、世界経済の大競争時代に立ち遅れているのではないか」、「長期的な経済社会基盤をなす財政が破綻するのではないか」という危機感です。

これらの危機意識に対して、当時の橋本龍太郎内閣が最重要課題として推進したののが、「行政改革・財政構造改革・経済構造改革・社会保障構造改革・金融システム改革(金融ビッグバン)・教育改革」の六大改革です。

2. 経済危機の現出と緊急対策の時期

97年度後半には財政再生路線のもと、経済抑制が進められます。
そんな最中、三洋証券・北海道拓殖銀行・山一證券などの大手金融機関の破綻が続き、金融システムへの信頼が低下しました。
企業・家計の不安感が高まり、経済活動を収縮させることになります。

97年度はマイナス0.7%、98年度はマイナス2%のマイナス成長となり、デフレスパイラル(物価下落と実体経済縮小が相互作用的に進行すること)の懸念が生じます。

政府は危機の広がりに耐えきれず、改革路線を結局放棄し、当面の危機を乗り切る対策をなりふり構わず採用します。財政再建から一転し、財政赤字の増大を容認して景気刺激の需要追加に踏み切りました。

事業規模17兆円を超える緊急経済対策による公共事業追加、0.7兆円規模の地域振興券、9兆円規模の所得税減・法人税減等です。結果、企業の倒産は大幅に減少しますが、財政は急速に悪化し、2年間で70兆円、2000年度を含めると100兆円を超える公債を発行することになりました。

金融政策面でも超低金利政策を続けてきましたが、99年2月には無担保コールレートを実質ゼロにするゼロ金利政策に踏み込みます。
金融機関破綻への対応策、金融機関経営の健全化のため、公的資金70兆円の枠が用意されました。結果、日本の一般政府の財政赤字と債務残高は、OECD諸国の中で最も高くなりました。
日本の財政赤字問題に対して2000年度白書は、高齢化が財政・社会保障制度に与える影響は深刻と指摘しています。

3. 緩やかな回復と景気重視政策の時期

99年春、政策効果により景気悪化は下げ止まり、経済成長率も0.5%と、わずかながら3年ぶりにプラスとなります。
企業もリストラによる収益回復で改善に向かい、設備投資に持ち直しの動きが見られました。一方、完全失業率は4.9%まで悪化し、新規学卒の就職は氷河期と呼ばれます。

デフレスパイラルの懸念により、国内卸売物価は連続して下落、消費者物価も99年度には下落しました。なかなか回復軌道に乗れないのは、厳しい雇用情勢を背景にした個人消費の回復の遅れが影響しています。

今回の回復局面の特徴は、急速な落ち込みから公共投資などの政策効果で下げ止まり、97年のアジア危機後の輸出増に支えられて改善されたことです。
住宅建設も低金利と住宅ローン減税で大きく増加し、IT関連産業などの新技術要因の影響を受けた回復であることも挙げられます。

90年代後半の景気後退の理由

97年3月をピークで景気は下り坂に転じていますが、主に3つの理由によるものです。

第一には、財政構造改革による消費税率引き上げ、公的需要削減を進めていた最中に、アジア通貨危機や大手金融機関破綻により、景気下降局面を後押しする危機が重なったこと。

第二に、金融機関の貸し渋りによる資金難や、需要不足に見舞われた企業が設備投資と雇用を削ったことで、将来に不安を抱いた人々が消費を抑え貯蓄に努めたこと。

第三のより根源的な問題は、日本が100年かけて築き上げた規格大量生産型の工業社会が、人類文明の流れに沿わなくなってきたという本質的な問題です。

戦後、産業政策・経済政策のみならず、教育・地域構造・情報文化のあり方まで、工業社会に有利なように意図的に設計されてきました。
その成果は、自動車や電気機械などの生産力・競争力の巨大さに示されています。
しかし、世界の流れは多様化・ソフト化・情報化に変わり、これまで日本が誇ってきた制度や慣習の変更を迫られました。

社会全体の健全なリソース転換を目指す国へ

2000年度の日本経済は、自律回復軌道に乗ることを目指していましたが、年度後半に失速します。

アメリカ経済の株価下落にともない、日本の輸出が対米・対アジア向けを中心に減少傾向となります。
日本企業がより収益重視の経営に移行しつつあり、人件費コストを抑えようとするため、家計にとっては雇用不安が拭えず、実際の所得も増えません。

銀行の不良債権処理、借り手の過剰債務処理が遅れていることも原因です。2000年当時の森喜朗内閣は、金融機関の不良債権を早期処理、借り手の過剰債務企業の思い切った整理の実行を推進します。
これは当たり前ながら、企業倒産を増やすことになりますが、銀行を通じて補助金を受け続けないと独り立ちできない企業には、撤退を促したほうが社会全体として明らかに健全です。
長期的に変われないのであれば、早く整理を進めるに越したことはありません。

2001年4月に誕生した小泉純一郎内閣は、「構造改革なくして景気回復なし」という認識のもと、聖域なき構造改革を旗印に掲げます。
基本方針として、創造的破壊を通じて、効率性の低い部門から効率性や社会ニーズの高い成長部門へ人と資源を移動させ、経済成長の源泉にすることを打ち出します。

政策としては、民営化や規制緩和を進め、民間がより自由で効率的に活動できるよう推進、国債発行額を30兆円以下に抑制(道路特定財源、地方交付税の見直し、公共事業・ODAの削減など)の方針を掲げます。
これは、既得権益を持つものには痛みを伴い、国民にとっても倒産や失業をもたらすものです。改革に伴う景気悪化を懸念する声もある中での、難問ばかりのチャレンジでした。

2023年現在においても、労働者に低賃金を強いる低生産性のブラック企業や、地方交付税漬けから自律できない地方の存在など、まだまだ社会全体の人的資源・マネーリソースの再配置は上手くいかず、結果として国全体の労働生産性が低いままという状況は解決されていません。

しかし、現在社会全体が深刻に直面している供給制限(働き手の不足)により、働き手に選ばれない低生産性・低賃金の企業は自然淘汰されるようになっていくことで、成熟国の日本にとって大きな転換点を迎えています。

20年前の小泉政権が目指した「健全な競争による社会全体のリソース再配置」は、今後ますますやりやすくなっていくはず。未来を生きる私たちは悲観的になる必要はなく、「人が無理せず維持できる社会を実現する担い手」として、チャンスしかないこの時代を前向きに生きていきましょう!

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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