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【今でしょ!note#17】 1981-85年 輸出主導の経済構造の定着(経済白書から現代史を学ぶ その8)

おはようございます。林でございます。

「経済白書で読む戦後日本経済の歩み」シリーズその8です。

1955〜73年と20年近く続いた高度経済成長期から次のフェーズに入った1970年代は、二度にわたるオイルショック、円レート上昇、世界経済のインフレ、各国の輸入制限など、国内経済が国際情勢に大きく影響を受ける時代となってきました。
国内においては、高度経済成長の恩恵が、国民生活レベルの向上に還元されることが課題視され、福祉充実などに乗り出したほか、財政主導による景気回復を目指します。
国の一般会計の国債依存度は40%近くになり、公的部門の市場介入を進めたことで、GNP比の財政規模が30%と、大きな政府へのシフトが見られました。

今回は、80年代前半の輸出が主導した日本経済について触れていきます。


世界経済概観と日本経済への影響

80年代の世界経済は、第二次石油危機の影響からの脱却とインフレ抑制のためのアメリカの厳しい金融引き締め、ブラジル・メキシコ・アルゼンチンなどのラテンアメリカをはじめとする発展途上国における累積債務問題など、波乱のうちに始まります。
アメリカでは、供給重視政策による労働供給増加を目的とした大幅な所得税減税が採用され、また累積債務問題に対処するため金融緩和策が採用され景気回復が始まるものの、減税により財政赤字は拡大し、貿易収支の悪化、金利水準の高止まりを生み出しました。

80年代前半の日本経済も、高金利・ドル高・原油高と、それらによる先進諸国経済の低迷から大きな影響を受けます。財政赤字の大幅な悪化から財政再建策が採用されたこともあり、景気の動きは鈍くなります。
実質国民総生産は、81、82年度は3%台の低い伸びにとどまり、その後アメリカ経済など先進国経済が回復に向かうことで、経済成長率は4%〜5%に高まりました。

石油価格高騰の影響を受けた79、80年度には、卸売物価は13%の高い伸び率を示しましたが、金融引き締め等の効果から、81年以降は1%以下の伸び率になります。
消費者物価は、80年度には卸売物価の影響を受け8%近い上昇を示すも、急速に沈静化し2%の上昇にとどまっています。
経済成長率は、83年度以降4%前後の伸びを示したにもかかわらず、完全失業率は2%台前半から緩やかに増加し、86年度には2.8%に達しました。

輸出依存度が高まる日本

国際収支動向を見ると、1970年代から始まった日本の経済収支の黒字基調は変わらず続き、2度の石油危機の時のみ経常収支が赤字となるも、86年度には60億ドルを超える黒字幅となります。

この黒字基調は、アメリカ経済の好調、変動相場制以降一貫して円高基調だったドル円レートが、79年度以降のアメリカの高金利政策の結果、急速に円安方向に修正されたことが大きく寄与しています。

アメリカでの旺盛な投資が国内の貯蓄不足と高金利をもたらし、先進諸国の余剰資金が高金利にひかれてアメリカに流入しドル高が生じました。
この時期の為替レートは大幅に円安方向で、日本の輸出企業の価格競争力を強めます。80年代の大幅な円安は、日本の製造業、とくに輸送機械、電気機械などの機械産業の輸出を容易にし、輸出依存度を高めます。
日本経済全体の輸出依存度の高まりは、この頃から改善されずに現在に至っています。

激しさを増す日米貿易摩擦

日本の経常収支黒字の大幅化に伴い、70年代後半から日米貿易摩擦はますます激しさを増しました。
輸送機械などの機械産業の対米輸出は、70年代後半から輸出自主規制が採用されていますが、先進諸国における日本製品への旺盛な需要がある中での輸出自主規制は、輸出製品の海外市場価格の上昇を引き起こします。
輸出企業にとっては、国内市場より輸出市場のほうが収益性の高いものとなり、円安の出現がこの傾向に拍車をかけます。日本の経常収支は81年以降黒字を続け、85年には550億ドルに達し、前年の370億ドルから急増します。

85年、「高いドル・高金利・高い原油」と、80年代前半における世界経済に影響を及ぼした要因に変化が生じます。原油価格の低下が進む中、9月には先進5カ国によるプラザ合意が発表され、日本の対米貿易黒字の削減が合意されます。
日米貿易摩擦が激化していたことから、アメリカは自動車の輸入自主規制を継続、電気通信・医療機器・エレクトロニクス・林産物分野の日本市場解放が議論されました。

国際収支の発展段階論

一国の長期にわたる国際収支構造パターンを説明する仮説として、キンドルバーガーらが提唱した「国際収支の発展段階論」があります。
一国の国内貯蓄と国内投資のバランスが、経済発展段階に応じて変化していくことに着目しています。

経済の発展段階初期においては、国内貯蓄が不十分で、必要な資本は外資依存せざるを得ないため資本輸入国になります。
この段階では、フロー・ストックともに債務国なので、投資収益が支払超過のため投資収益収支は赤字となり、経常収支も赤字です(=未成熟の債務国)。

経済発展とともに国際競争力が増すことで、財サービス収支はやがて黒字に転じます(=成熟した債務国)。その黒字幅が、投資収益収支の赤字を上回ると、経常収支は黒字に転換します。
この段階ではストックは依然債務国ですが、フローでは債務返済国になります。債務が全て返済された後も経常収支黒字が続くとストックベースでも債権国となります。結果、投資収益収支が赤字から黒字に転じます。

やがて国内産業成熟にともない国際競争力を失うと、財サービス収支が赤字に陥いります(=債権国としては成熟段階)。
この赤字幅が投資収益収支の黒字を上回ると経常収支は赤字になり、これまで蓄積した債権の回収段階に入ります。

これは、年代別にみた家計の資産形成の動きによく似ています。
生涯所得でみた対外資産の動きは、若年期に借入をし、教育や住宅投資を行い、中年期は借入返済しながら老後のための資産形成し、老齢期においては蓄積した資産の収益とその取り崩しにより生計を行う、という流れです。

日本は、第一次世界大戦時の輸出ブームで貿易収支黒字になり、一時的に未成熟な債権国となりました。
戦後、債務国となりますが、1955年ごろに貿易収支が黒字化し、65年以降経常収支が黒字化。やがて投資収益収支も黒字化していることから、65年には債務返済国、70年には未成熟の債権国に移行したと言えます。

既に予見されていた社会保障費問題

当時の老齢人口比率は約10%と先進諸国に対してかなり低かったですが、85年の経済白書では、 2000年以降の急速な高齢化の進展を見込み、公的部門の拡大による財政赤字、年金医療保険制度への影響の検討が加えられています。

1980年代半ばのヨーロッパ主要国では、一般政府の歳出がGDP比50%以上の割合となっており、その主因が社会保障負担でした。
日本におけるGDP比社会保障費の割合は、70年代前半まで6%前後で推移していましたが、70年代半ばの年金医療保険給付の拡大と、石油危機による経済成長率に低下により、80年代に入ると13〜14%に急増します。

白書では、ヨーロッパの経験をもとに高齢化の進展と公共部門拡大の関連が強いことを指摘しています。
同時に、社会補償制度の充実が勤労者の意欲をそこない構造的な失業の高止まりとなり、ここにも財政赤字拡大要因があることが述べられています。

昨今社会保障制度問題が指摘されていますが、40年近く前から既に予見されていた問題ということが分かります。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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