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【今でしょ!note#16】 1976-80年 世界経済変動への適応力発揮 (経済白書から現代史を学ぶ その7)

おはようございます。林でございます。

「経済白書で読む戦後日本経済の歩み」シリーズその7です。

1945年戦後回復期の10年間、投資が投資を呼び、近代化による成長フェーズへと転換した高度成長期の20年間弱を乗り越え、1970年代前半から国際経済の唸りの影響を受けた新たなフェーズに入っていきます。
本日は、1976年〜80年を取り上げ、第一次石油危機とは異なる迎え方をした第二次石油危機、円高傾向に向かう円レートがもたらした様々な変化をご紹介します。


1976〜80年の概観

70年代後半は、第一次石油危機による物価高騰を克服し、エネルギーの高価格化と潜在成長率低下への構造調整を進めた日本経済が、再び起こった第二次石油危機による石油価格高騰に際して、他の工業国を上回る経済パフォーマンスを発揮した時代です。

円レート上昇、世界経済の混乱に続くエネルギー制約の表面化と価格高騰は、経済の先行きに対する不透明感を強めました。

政府は省資源・省エネルギーなどの経済構造改革を軸に年率6%強の成長を目指す「昭和50年代前期経済計画」を発表。企業の前向きな投資行動も回復します。

企業は、製品・サービスの省エネルギー化を進め、高エネルギー価格時代に強い産業構造に変身。結果、日本の製造業は非価格競争力を強め、その後の80年代にかけ世界の羨望の的になります。

円高や激化する国際競争にさらされた産業は、強い競争力とマクロ経済の安定を達成していきます。
反面、政府による保護や規制に守られた流通・サービス等の非製造業部門は、相対的に非効率性を温存することになりました。

70年代後半の経済活動

景気回復過程2年目の76年は、企業が成長率鈍化という状況に適応するため、雇用人員圧縮、金融機関からの借入抑制、設備投資抑制などのコスト圧縮をはかり、生産性引き上げに努めます。

社会の需要構造も個人消費、財政支出主導型にシフト。家計の高貯蓄も、貯蓄・投資バランスを貯蓄過剰にし、経済に大きなデフレギャップを生じさせました。

77年に入ると経済は明るさを増し、石油危機後のトリレンマ(インフレ・失業・国際収支赤字の三重苦)からの脱却が順調に進みます。
一方で、企業は歴史的な在庫積み上がりの苦い経験から、需給バランス重視型へと生産構造を変化させていきました。

第二次石油危機の影響

79年には、イラン革命による中東情勢緊迫化を端を発した第二次石油危機が発生します。
石油価格はほぼ2年間のうちに1バーレル12ドル→35ドル程度へと3倍近くに急騰し、量的制約が再び意識されるようになりました。

日本は、第一次石油危機後さまざまな調整を進めていたことで、消費者物価の上昇は一桁台におさまり、経済はプラス成長率を維持します。

これに対し、調整が遅れた国々は、石油価格高騰の影響をまともに受けることになりました。70年代後半、輸入石油依存を強めていたアメリカは、79年には消費者物価13%増という高インフレや、ガソリンの地域的不足に直面して不況に陥ります。
日本も世界経済の低迷に影響されて、82年まで長い景気停滞を経験しました。

円レートの大変動と貿易摩擦の深刻化

輸出は76年度、77年度ともに2割程度の増加を示し、貿易黒字の大きな要因となります。

経常収支の黒字幅拡大に伴い円レートも急上昇しましたが、実体経済には悪影響を及ばさず、円高のメリットが認識されてきました。

円レートは、76年11月の1ドル296円から78年には176円まで100円以上も上昇します。

78年10月が円高ピークの170円台となりますが、79年の第二次石油危機による石油価格上昇の影響を受け貿易収支が赤字に転じると、その後一貫して円安傾向が続き、80年4月には260円台まで下落。
その後2ヶ月で215円に戻るという大変動となりました。

77年あたりから貿易摩擦が激化し、海外の輸入制限の動きがかつてなく高まっていましたが、その後の円安と世界的なインフレにより日本の輸出数量は急増し、貿易摩擦はますます深刻化。
日本市場の開放への要求がさらに高まりました。

国債依存度が高まる財政

77年度の財政運営は、一貫して景気回復を目指した積極的なものであり、財政バランスは一層悪化します。
当時の経済白書では、社会保障関係費・国債費など、新たな制度の創設なしに増大する支出のウェイトが高まっていることを指摘しています。

財政政策は景気回復の原動力にはなりましたが、78年には国債残高が名目GNP比約20%に達し、国債の大量発行が重要な問題になってきました。
79年度の当初予算では、国の一般会計の国債依存度がほぼ40%と強依存となっています。2023年現在においても歳入の31%が国債発行に依存しています。

「大きな政府」に対する警鐘

高度成長は、豊かさと経済活力を生み出す一方で、成長の矛盾を明らかにしました。
成長と福祉の乖離、地域の過密・過疎、公害問題、所得格差などが挙げられます。
そこで、1960年代後半から70年代前半は、経済成長の成果を国民生活の充実にいかに振り向けるか、という点を大きな政策課題としました。

公的部門が積極的に市場介入し、成長の歪みを是正し、福祉施策の充実を中心に国民のニーズに応えてきた結果、60年代にはGNP比の財政規模は20%を下回る小さな政府でしたが、70年代には30%を上回る大きな政府への兆候が見られました。

一方で、その後の石油危機を経て、財政規模拡張と赤字膨張、米英での規制緩和・民営化の動きが進むと、むしろ小さな政府が求められるようになるため、経済白書は大きな政府に向かう日本への警鐘を鳴らしています。

次回は、輸出が主導した80年代前半の日本経済と、ここまでの国際収支構造の変化について「国際収支の発展段階論」に当てはめてご紹介します。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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