初心者がやりがちな「気持ちの悪い文章」を書かないようにするための技術
読んでいて、「気持ちの悪い文章」がある。例えば、次のような文章だ。
これは、ジャーナリストで、元朝日新聞社の編集委員であった、本多勝一の著書「日本語の作文技術」に出てくる、「無神経な文章」の一例だ。
本多勝一は、この文章を「一言でいうと、これはヘドの出そうな文章の一例といえよう。しかし筆者はおそらく、たいへんな名文を書いたと思っているのではなかろうか。」と評している。
本多勝一の言い方が気に障る方もいるだろうが、この件については、私も強く同意する。この文章は、かっこいい文章を書こうとして、かえって文章をダメにしてしまう要素の多くが入っているからだ。
なぜ「気持ち悪い文章」になるか
この文章を、本多勝一は、次のように分析している。
本多勝一は、
「ぬけるように白い肌」
「顔をそむけた」
「嬉しい悲鳴」
「大腸菌がウヨウヨ」
「冬がかけ足でやってくる」
「ポンと百万円」
「穴のあくほど見つめる」
などの表現は過剰であるという。
さらに、雪景色といえば「銀世界」。
春といえば「ポカポカ」で「水ぬるむ」。
カッコいい足はみんな「小鹿のよう」で、涙は必ず「ポロポロ」流す。
このような表現はすべて「紋切り型」だといい、紋切り型が「気持ち悪い文章の元凶」だと述べている。
なぜ「気持ち悪い」のか
では、なぜ「気持ち悪い」と感じる文章なのか。
まとめると、要因は2つ。
1.誇張
「ただのおばさんではない。」
「どうしてどうしてそんじょそこらの若者は足もとにも及ばない。」
など、不要な誇張が際立っている。「ただのオバサンではない」と思うかどうかは、オバサンについての記述を読んで読者が判定することであり、作者がそれを書くと、白けてしまうのである。
同じようなりゆうで「並々ならぬ」や「圧倒的に」など、中身を伴わない誇張表現も、あまり書くべきではない。
圧倒的であることを表現したいなら、その「圧倒的」の中身を記述すべきだ。
2.過度に装飾的
本多勝一の指摘では「紋切型」と言う指摘であるが、個人的には「装飾的な表現」が多すぎると感じる。
例えば
「学ぶべきところ大である。」
といった表現はよく見かけるが、普通に「学ぶべきことは多い」でなぜダメなのか。
「思っている昨今である。」は「思っている」ではなぜダメなのか。
一般的には、文章は短い言葉で多くを表現すればするほど、美しくなる。過度な装飾的表現は、読者にとって余計でしかない。
ライターのやってはいけないこととは
では、もう少し事例を見てみる。
以下は「気持ちの悪い文章」の具体例だ。
ここから先は
生成AI時代の「ライターとマーケティング」の、実践的教科書
ビジネスマガジン「Books&Apps」の創設者兼ライターの安達裕哉が、生成AIの利用、webメディア運営、マーケティング、SNS利活用の…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?