ライターが獲得すべき「よみたくなる文章力」とは、一体何なのか
Books&Appsに寄稿をいただいていた、patoさんが本を出されるというので、帯に推薦文を書かせていただいた。
こういうことはあまり軽々しく引き受けるものではないが、今回お引き受けした理由は、patoさんは「文章力」というテーマを語るにふさわしい人だと思ったからだ。
だが、patoさんは決して「分かりやすい文章」を書くわけではない。また、「役にたつ文章」を書くわけでもない。
逆に言えば、そうした目的が明確に決まっている文章であれば、他に良い本がいくらでもある。例えばコピーライターの梅田さんの本だ。
言葉で商売をしている人は必ず読むべきだと思うし、すぐに仕事に役立つ。
あるいは、ここでも何度か紹介している文章術のベストセラー、「理科系の作文技術」や「日本語の作文技術」は、文章の基本的な技術が詰まっており、日々の仕事の中で文章を書くビジネスパーソンすべてに役立つだろう。
しかし、patoさんの書く文章は、これらの本が勧める「文章術」とは全く異なる。
彼の文章は純粋に「読みたくなる」ことを目指す文章なのだ。
「読みたくなる」文章とは
とはいえ「読みたくなる」というのは、実はハードルが高い。
「分かりやすい」「つたわりやすい」であれば、テクニックを覚えさえすれば、ある程度何とかなる。
しかし「読みたくなる」については、純粋にコンテンツが人を惹きつける力を高めるしかない。
そもそも「コンテンツ力」というのは、ほぼテーマに依存する。
テーマが良ければ、多少文章がわかりにくくても、拙い表現であっても読まれる。逆に、テーマ設定に失敗すれば、どのような技巧を用いたとしても、読まれない。
例えば仕事であれば、給与の話は読まれやすいし、職場でのバカな振る舞いも人気があるテーマだ。逆に、3次方程式の解の公式や、アル・ヤンコビックの話題はほとんど読まれないだろう。
これは「テーマによって読まれる数の上限が決まっている」ということだ。
換言すれば、「書くテーマを決めた時点で、PVの天井が決まっている」。
だからわたしが運営しているBooks&Appsというメディアでは、「何をテーマとして書くか」について、基本的には制限を設けていない。
ゲームでも、ADHDでも、仕事でも、それこそナンセンス文であってもいい。とにかく「面白ければいい」と考えているからこそ、逆に、テーマの指定ができない。
だから、基本的にクライアントから依頼を受けて書く立場のライター、テーマに制限のある商業ライターは(私を含めて)「コンテンツ力を高める」ということに対して消極的にならざるを得ない。
コンテンツ力が最初から制限されてしまうからだ。
例えば「お金の貯め方について書いてくれ」と言われた瞬間に、バズるテーマはある程度限られてくる。
どのようなテーマにすれば読まれるのか、ライターは知恵を絞るが「一般の人にはどうでもいい話」をいくら工夫したところで、できることは限られている。
実際、「バズる必要がない」と述べるマーケターや商業ライターもいるが、それはある意味では負け惜しみでありつつも、彼らの抱えるジレンマを体現した言葉である。
しかし、商業ライターでもあるはずのpatoさんは、あえて著作の中で「バズは必要だ」と言い切る。
この本が貴重なのは、「テーマに制限がある状態」で、いかにバズを起こすかという、かなりの難題に取り組んでいる点なのだ。(パット見、そうは見えないのだけど)
「読みたくなること」の本質はどこにあるか
では「読みたくなる」の本質はどこにあるのだろうか。
これは数多くの文献で、かなりの一致が見られる。
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