「×ボタン小さすぎ…」わずらしい広告を、甘んじて受け入れるべきか?という話
私はこれまで「テレビ局」→「ウェブメディア」→「新聞社」と3つのメディア企業を渡り歩いてきました。そのため、何を隠そう、私の生涯賃金の“ほとんど”は、CMやバナーといった「広告費」から捻出されたものです。広告主のみなさん、そして広告代理店のみなさん、いつも本当にありがとうございます…😹 そんな広告の世界に、「恩を仇で返す」ようなことを書きます。広告の「×」ボタン、小さすぎじゃないですか!?
■ 共感の嵐?「わずらわしい広告」問題
スマホあるあるな、こんな体験・・・
❎すみっこに小さく表示された「×」を押そうとして、間違って広告をクリックしてしまった…
❎記事を読みたいのに、画面の大部分をバカでかい広告が覆っている…
❎記事の続きを読みたいが、「続きを読む」がどこにあるかわからない…
全人類の「わかる~」という心の声が聞こえてきそうです。本当に、わずらわしいですよね。
今の時代、「ユーザーエクスペリエンス(=利用体験)」や「ユーザビリティ(=使いやすさ/使い勝手)」という言葉がこれだけ一般化したにも関わらず・・・なぜ、これほど不自由な設計が、インターネット空間に定着してしまったのでしょうか?
■ なぜ?こうした「わずわしい広告」が存在するのか
あのわずらわしい設計が定着した背景には、「アテンションエコノミー」の問題があります。
アテンションエコノミーにおいては、広告をクリックした人が、本当に「この広告が気になる!」と思ってクリックしたのか、それとも「×ボタンを押そうとしたら、間違って広告をクリックしてしまった!」のかは、あまり重要ではありません。重要なのは「ユーザーの気持ち」ではなく、「PVやインプレッション」なんです。
その結果・・・開発されたのが、かの悪名高い「小さすぎる×ボタン」であり、「画面を覆うバカでかい広告」です。
こうしたPVやインプレッションを増やすための技術(テクニック?)は日夜、改善(改悪?)され続けています。
たとえば記事の「続きを読む」ボタンを、背景と同系色にするテクニック。ボタンを非常に見えづらくすることで、ページ内を行ったり来たりするハメになります。何のためにそうするのかというと、それによって、画面にバナー広告を何度も表示させたり、動画広告を何度も再生させたりすることが可能になるからです。
このように、私たちが感じる「わずらわしさ」が、そのままプラットフォームや、ネットワーク広告をつかさどる事業者の「儲け」になっているわけです。
収益拡大を目的として、優秀なウェブマーケターやエンジニア、ウェブデザイナーたちが、こぞって「いかにクリックさせるか」「いかに滞在時間を増やすか」といった研究・開発に血眼になって取り組んでいるのが現実です。
■ 私たち一人ひとりの「アテンション」は有限。声をあげませんか?
そんなウェブの世界ならではの理不尽な仕組みで、割りを食らっているのは誰でしょう。言わずもがな、私たちユーザー一人ひとりです。
「わずらわしい」…このストレスを、仕方がないと、あきらめて、受け入れるべきでしょうか?
私たちのアテンションは、他のだれのものでもなく、私たち自身のものだと思います。そしてそれは、有限な資源である、と考えて差し支えないのではないでしょうか。
そんな貴重な資源が、知らぬ間に誰かに盗まれ、勝手に売買されているのが現実です。この貴重な「アテンション」を、わずらわしい広告に奪われてしまうことに、もっとセンシティブになって良いはずです。
有効なアクションとして、以下のようなものが挙げられます。
私自身、メディア企業に勤める身でもあり、広告の在り方については一定の責任を負っている身です。受け手への影響を配慮した健全な広告の在り方について、目を背けず、向き合っていきたいと思います。
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