日記より25-26「新弟子」

   日記より25-26「新弟子」             H夕闇
                二月十九日(土曜日)曇り

 琴の音が久しぶりに我が家へ戻って来た。

 師匠のN先生が郷里へ去って、もう三年余り。その前年には御主人(おじさん)が一年半の闘病の後に他界。子供の頃から琴を習って来た家内も、奏(かな)でる機会を暫(しば)らく失っていた。妻が一緒(いっしょ)に教わりにN家へ通い、家庭内で教えもした(文字通り家伝の)末娘も、遠く職場を得て家を出ると、琴は埃(ほこり)を被(かぶ)った。

 母子の琴が永らく立て掛(か)けられた座敷きを、僕は勉強部屋に使い、更に人に会う時の応接間にもした。日当たりの良い窓際に小机(こづくえ)と座(ざ)椅子(いす)を持ち込んで本を開き、来客が有ると、その侭(まま)そこへ招いた。

 D社のH(旧姓T)Yさんも、我が家へ出入りする一人だった。日本経済をバリバリ牽引(けんいん)する業界に似合わず、和風趣味とは最近まで知らなかった。茶道にも興味が有ると言うから、僕の本棚(ほんだな)から森下典子著「日日(にちにち)是(これ)好日(こうじつ)」を提供した。日本髪の髪飾りを作り、着物に心を惹(ひ)かれる人柄(ひとがら)で、我が家の和室の隅(すみ)に立て掛けられた琴にも以前から目を留めていたそうだ。

 昨年末「あの琴は奥様が弾(ひ)かれるのですか。」と尋(たず)ねられ、余談になった。験(ため)しに少し教わってみたい、との意向を初めて漏(も)らして、それから事が始まった。

 但し、時間は余り無い。結婚や転勤などが迫って、目白押し。もっと早く言い出せば良かった、と本人も後悔が頻(しき)りである。

 御相手とは同じD社の同期入社だが、勤務地が離れて、遠距離恋愛、週末に行ったり来たり。昨年末に北国のTさんの実家へ、正月にH氏の本家が有る南国へ二人で挨拶(あいさつ)。互いの地元が日本列島の両端、その上コロナ下で、結婚式は断念せざるを得(え)なかった。先日は新郎の住む区役所で籍を入れたとのこと。春から同居できるよう、新婦の方が転勤願いを出したと言う。だから、(会社が新婚夫婦の願いを聞き届ければ、)ここへは通えなくなる訳だ。琴どころか、結婚生活そのものが前途多難な様(よう)である。

 転勤までの残り数箇月だって、(もう半分も過ぎてしまったのだが、)週末ごと新郎の住まいと当地を交代で新幹線の往復だから、平日の職場帰りしか稽古(けいこ)に来れない。仕事で疲れた体で、お負けに空(す)きっ腹(ぱら)を抱(かか)えて、琴など弾く気になれるだろうか。僕は恐らく続かないだろうと予測した。

 が、先月から何回も続いている。僕が二階で酔っ払っていると、階下から琴が聞こえるようになった。

 新しい弟子(でし)ばかりではない。教える方も、永らくサボっている間に腕が鈍(にぶ)ったらしく、教える為(ため)には自身も練習が必要になった。ピアノ練習曲やらバッハのCDやらに加えて、これからは琴の稽古(けいこ)。隣家のTちゃんなど迷惑(めいわく)しているのではあるまいか。

 せっかく子供の頃から習い覚えた芸、僕としては(N先生が居(い)なくても)この侭で埋もれさせたくない所(ところ)だ。それに、早くに死んだ義父も「出来れば、結婚後も琴を続けさせて欲(ほ)しい。」と僕に言い置いた。一時は同居した僕の亡父が使った隠居(いんきょ)部屋からは、嘗(かつ)て母親が娘に手解(てほど)きする楽(がく)の音(ね)が聞こえていた。そんな風(ふう)に家の中で代々伝えられるのが、伝統芸能の自然で望ましい姿、と僕には思われた。廃(すた)れさせるには惜(お)しい、と感じていた。

 今日ピアノの達者(たっしゃ)な日本女性は御(ご)まんと居(い)よう。クラシック音楽ファンだって多いだろう。(この場合い、クラシックとは西洋の古典である。)それに比して、この国に固有の楽を身に付けた者は、圧倒的に少ない。妙な話しだ。僕は国粋主義者ではないけれども、絶滅危惧種を惜しむ気持ちは有る。

 日本古来の芸能に特有の家元制度に就(つ)いて、妻は思う所が有るらしく、ズッと弟子を取らなかった。娘だけでなく、我が家に出入りの若い人に(縁が有って)伝承することが出来るなら、大変に結構なことである。Yさんの場合い、諸般の事情から、本格的な弟子入りでないから、月謝など取らない。期間も限定的だから、(残念ながら、)本(ほん)の触りだけになるだろう。

 きのうは、何回目かの稽古日だった。職場から真っ直ぐ来るのだから、いつも夕方六時半を過ぎる。コロナ対策で稽古部屋を換気し、それからストーブを暫らく炊(た)いて暖めておくのは、僕の役目。駅からの道は寒かったらしく、きのうも手を真っ赤にして訪れた。

 家内は昨夕おでんを用意した。前回(仕事の都合(つごう)で)昼食を執(と)れず、夕飯も食べずに会社から直行したのだから、相当に空腹な筈(はず)だった。その時は急遽(きゅうきょ)(有り合わせの)焼き芋(いも)を提供した。きのうに関しては、昼を食べられたそうだが。

 家内が台所で牡蛎(かき)ご飯も支度(したく)する間、僕が応接に出ることになった。「皆もう独立したが、我が家の娘も伜(せがれ)も同様に(昼休みも取れない程に忙しく)働いているのかも知(し)れない、と思うと、僕ら夫婦は気の毒で成(な)らない。だから遠慮は無用、おでんが熱い内に食べなさい。」と寒い人に勧めて、妻と交代した。

 後で聞くと、Yさんは涙ぐみ乍(なが)ら牡蛎ご飯+おでんを食べたそうだ。家族は勿論(もちろん)、頼れる親戚縁者も無い異郷へ来て、女一人で暮らすのは、さぞ心細いことだろう。特にコロナ禍(か)で孤立し勝(が)ちな今日は、尚更(なおさら)だ。そこへ他人のチョットした親切は、思いの他、身に染みたのかも知(し)れない。

 末の娘も今頃どうしていることやら。正月に帰省できなかった分、近く帰りたい、との打診が先日の電話で有ったが、僕はキッパリ断った。電話の向こうで、ブッ切(き)ら棒(ぼう)な父親を、どう思っただろう。先週末にワクチン三回目接種を受けた僕は扨(さて)置(お)き、家内へは未だ接種券も届かないのである。

 稽古の後、Yさんは妻に諸々(もろもろ)身の上話しを漏(も)らしたそうだ。本当なら、嫁(とつ)ぐ前に家族とユックリ語らう時間を持ちたかったろう。然(しか)し、正月以来のオミクロン株の急拡大で、挙式のみならず、そう度々(たびたび)帰郷することも躊躇(ちゅうちょ)されたらしい。ピーク・アウトした経済大国=日本、失われた×十年の若者たちを、今度はコロナ禍(か)が襲うなら、バブル世代の僕らが応援してやりたい。尤(もっと)も、僕は余りバブルの恩恵に与(あずか)らなかったけれども。

 二年前の正月、内(うち)の長女は(沖縄での結婚式に続き)バルセロナへの新婚旅行もコロナ直前に果たした。この騒動が始まったのは(確か)その月末だったと記憶する。寄港するクルーズ船でクラスターが発生し、感染源の中国へチャーター機が邦人を迎えに飛んだ。そんな時期のギリギリ滑(すべ)り込(こ)み&セーフだった。

 きのう家内は稽古部屋の床(とこ)の間(ま)に雛(ひな)人形を飾った。近付く桃(もも)の節句(せっく)に因(ちな)んで、童謡の「うれしいひなまつり」も弾く。又、お内裏(だいり)様を招いて(僕のことではないらしい。)お雛様が琴を奏でる発表会、それが結婚式を出来なかった新郎新婦への餞(はなむけ)にならないか。又(桜の季節には弾けるようになるだろうから、)振(ふ)り袖(そで)を着せて「さくらさくら」の演奏を披露(ひろう)するのは、どうか。妻は様々(さまざま)に知恵を絞(しぼ)る様子だ。

 僕ら夫婦はYさんを内(うち)の娘らに重ねて見てしまう。子離れ出来ない親の老醜みたいで、見っともないが、結果として他家の娘さんも喜べるなら、それはそれで良いだろう、と僕は思う。     (日記より)

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