見出し画像

Sweet like Springwater③ 天然水のような甘さ(短編小説)

Part1Part2も上がっています。

3.
 金曜は、いつも実家に帰ってお母さんと妹と夕食する習慣を重んじていた。お家は埼玉県界を越えたすぐそこ。そばにある川を渡ったら東京都に入る。「ぎりぎり埼玉なんですね」「転んだら首都に落ちるぐらい」など地元の人はよく言ってた。このぎりぎり埼玉県は、都内に近くて便利でも、なんというか面白さがない町だった。この小さくて静かな町で春香は生まれ育った。毎週ここに足を運ぶたび、この町は静寂に包まれた駅に下りた瞬間に、なにか物足りないなと春香は感じる。

春香がまだ子どもだった時は、貧しいというまででもなかったが、家事の事情がきつかったことは明確だった。銀行に住宅ローンを払い返すのに、シングルマザーだったお母さんは休みを取らず働いていた。平日はスーパーで、週末は「週末の仕事」だった。その土日の仕事はどういう仕事かいつまでも謎だったが、とにかく週末は子供だけでお家で過ごしていた記憶があった。
小学校のときを思い出すと、春香は恵美と手を繋いで歩きかえったら、お家で好きなだけテレビを見れたことだった。「お母さんおかえりなさい」を言う頃はもう暗くなった時間で、すぐ夜ごはんにした。

お父さんはいた時はあったけど、いつか突然に姿を消して、戻らないありさま。春香はお父さんって呼んでた人が薄く記憶に残っていた。でも、恵美に訊いたら「え?お父さんって家にいたときなかったよ」と返事した。

周りに親という人がほとんどいないわけで、春香は早く成長した。三年生からはカップラーメンの作り方を覚えて、五年生から野菜のカレーライスの調理を身に付けた。六年生になる前に「もうお姉さんになったから、家事の仕事もっと任すから」とお母さんに言われた。でも、もうすでに家事はやっていたんだから、これを告げられてもなにも変化を感じしなかった。

恵美の面倒をみるのももちろん。自分も素人なくせに、家事のやり方を教える役もしていた。そのうえ、買い物とか洗濯もやっておいた。一番最初のお使いは、どんなに緊張したか未だに覚えている。迷子になったらどうしよう。お金をなくしたらどうしよう。一歩いっぽひやひやしながらも、お使いを無事に完成できた。恵美まだ幼い年で、お家で一人は許されないから、一緒についてきたけど、逆に責任が重たくなった感じで、道路を渡るときは気を付けように、勝手に走り出ないでねに、丸でお母さんごっこだった。

お皿洗いはまだ簡単だったけど、洗濯機を操作するのは苦心な勝負だった。どの順番にボタンを押せばいいか忘れて、頭を抱えて泣きそうに、機を動かせないままで、ひと晩落ち込んだ経験も一度はあった。

苦も涙もあったけど、これは幸せいっぱいな育ちだった。学校では優しい先生がいつでも傍にいて、お家に帰ったら恵美がいて、寂しさなんかないし、お母さんは自由をいっぱい与えてくれて、その割り合い遊びまくった。なにも厄介ではなかった。同級生と比べて責任が多いとは知っていたけど、それに憎むこともなかった。お父さんがいるお家を妬むこともなかった。人は人で自分は自分だ。私のお家は、恵美といつも働くお母さんとお父さんがいない家庭で、何せよ幸福というか楽しいというか、豊富に恵まれた感じだった。

そして、十六歳の誕生日が回ってきたら、自分の意志でバイトを始めると決定した。初めてのバイトは駅前のファストフードチェーンだった。一年後、その店のすぐ隣のコーヒーショップに転職した。時給は少し高いし、ピーク時間は同じくらい焦ったけど、油っぽくて騒がしいキッチンから遠ざかることができて、よっしゃと思えた。

たった一つの悩みごとは宿題だった。バイトと家事の上に、学校の課題を全て一人でやらなければならない。他の子は、親に助けを求められる。妹の恵美だって、お姉さんがいるから完全に放置されてはなかった。でも、春香は分からないことは分からないでおしまいだった。そうなると、成績は上がらないままの始末だった。高校三年生の春には、試験やら入学やら考えもせず、フルタイムで働ける仕事の就職に励んだ。

コーヒーショップとかファミリーレストランとか、数年間はバイト中心に生きていて、貯金が溜まってからは、都内で一人暮らしを始めた。独立したあとでも、毎月お母さんにお金を送って、自分は慎ましい暮らし方をしてきた。ご褒美と言ったら、コンビニのプリンとか古本屋さん巡りで済ましていた。お腹いっぱいで、店長もやさしければ、それ以上欲しいものはない。それで、よかったのだ。二十四歳の年が近づいてきたが、まだまだ行けそうだと思ってた。

それで、これ以上幸せになれない生活の中に、週一回は家族と夕ご飯を召し上がれる。この食事はお母さんが、子供頃はいつもバイト先の惣菜ばかりだったから、母としてこの為落としていたところを補償しようと考えているのか、手作りの料理を供えていた。幸い、住宅ローンを皆済して、生活がもっと余裕になったこともあった。

恵美は巣立つ気がない様子で、お家にお母さんと暮らしていた。そろそろ大学二年生という恵美は、遊びが生き甲斐となって、勉強はおろかの甘えん坊。そういう恵美がしょうがなく可愛くて、春香もお母さんもいつも甘やかしていた。この環境のなかで、恵美も幸せそうだった。さすが末っ子で、食事中はずっと喋っているムードメーカーの役割を担っていた。

同時に、お母さんも今の生活で多少なりとも満足している感じだった。春香に対して、お母さんが気にすることは「ちゃんと食べてる?」ぐらいだった。

うん。ちゃんとしっかり自炊してるよっと言い付けて、お母さんの心配感を冷ます。それが嘘でも、お母さんの安心を織りなす罪のない嘘で、平気にそう言えた。本当は、カップラーメンとおにぎりが主食だったけど、そこまで言わなくても良い。その日、いつものようにこの質問を期待して、心の中でもう一度嘘を吐く準備をしておいた。

「春香、誰か付き合っている人いる?」

子供二人は同時に箸が空間に止まった。春香と恵美は目と目を合わせて、双方と相当ショックを受けた表情をみせ返した。

姉妹ではの無言な会話を交わした。

あのこと話したの?

話してない。

じゃあ、なにを言えばいいの?

それは分かんない。

「ううん…」と春香は弱っぽい声で、お母さんに真実を話した。そして、恵美に向けてー

手紙もらったこと、話したらいいのかな?

それはいらない。え?返事しなかったよね?

そんなことしないよ。

「あなた、ずっと働いてきたでしょ。そういう育ち方では自分のことを考えない子になってしまったと私は思ってたの。その上、父が家庭だったから、結婚のことなんか自然に思い浮かばないよね。でも、春香には、誰か相手をみつけて、少しでも面倒みてくれる人と暮らせれば、あなたに一番良いと思った」

お母さんにこう言われてから春香は慌てて、笑いで疑問を反らそうとした。そんなことないよ、お母さん。いままでの人生は本当に楽しかったし、今も幸せだし、仕事も一人暮らしもぜんぜん余裕で、元気いっぱいで大満足!恵美も幸せだよね?最近、友達また増えた?

うん、そうだねっと恵美は即時に返事した。先週からね、アンドリューという外国からの留学生がうちのサークルに入りたがって、日本人の友達を作りたいといいながら、突然声をかけられたの。それこそきちっとした敬語で。でもね、この人ぎこちなくて、変なこといつもぼけて言ってるの。大学中にぎこちなさで有名人になってきて、本当に可笑しいタレント並みの可笑しさ。

最後に、恵美の助けのおかげで、このひと晩は深刻な話題から遁れることを成功した。春香はほっとして、お豆腐の滑らかさを深く味わって、恵美の切れがないお話しを聞いた。このあとは、お片付けと恵美とともにお皿洗い。そして、家族が揃ってテレビを観て、みんながハッピー。






本来のイメージはonego_illuestrationsの作品を借りました。インスタグラムで発見したアーティストです。気に入ったので、もっと大勢の人にページを鑑賞して欲しいです。このスタイルが好ましい人は、是非リンクを開いて下さいませ。

https://instagram.com/onego_illustration?igshid=YmMyMTA2M2Y=

Part1

Part2