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怒り:お父さんと私

トリガー警告: DV


過去に書いたことあるけど、私はオーストラリアで育った。この国で地元の学校に通って、大勢の友達ができて幸せだったと説いた。これは真実です。ただし、この時代にもう一面があった。
 
23歳のとき日本に来てから「英語が話せて羨ましい」とよく言われる。確かにバイリンガルで価値もあると言える。しかし、これを理由として父の手で刺激に遭った。
 
オーストラリアで、小学生。もちろん、校内で英語のみで喋ると、頭の中も英語になる。よく観てたテレビもぜんぶ英語だった。この影響で兄弟同士も英語で話すようになった。
 
お父さんは英語が話せない。だから、仲間外れになったような、子供に裏切られたような、あるいは家族の中で自分の立場が消えていく気持ちになったのか。いつか、突然お父さんは怒鳴った。
 
車の中で英語で話すな!
 
それで、打たれた。
 
これはまだ8歳のとき。お父さんが本気に怒るお父さん見るのがはじめて。
 
なにもかも分からない。なんで打たれたかも分からない。誰に打たれかも。ただ、「痛い」という感覚が通った。涙が抑えられなくて、顔が濡れていく。
 

なんで泣いてるんだ!
 

もう一度打たれた。
 

お姉さんがこのところ仲介して、お父さんに声を上げる。
 

ボクは本当に泣きたくなかった。泣き虫じゃない。でも、打たれたところが痛くて、お父さんの怒鳴り声が怖くて耐えられなかった。
 

この日、なぜお父さんが豹変したのだろう。今までは優しくていつも笑ってたお父さんが罵倒するとは信じられない。突然、カッとなって怒り出した。
 
その日から、もう普通な家庭生活はおしまいだった。
 
たまに優しく預ってくれるときもあったが、折々に爆発して声か手を上げることが続いた。ドアを蹴って壊した日もあった。家族を集めて一時間も勝手に説教なんかして、みんなを責める日もあった。
 
あの時、守ってくれたお姉さんも打たれた。お母さん以外は、みんな酷い目に遭った。
 
子どもの時も今も、この行動は「厳しい親」と違うと分かってた。厳しい親は、子供を正しい道に進むように指導すること。うちのお父さんはタダタダ感情を子供にぶつけてるだけ。
 
英語で喋ってるだけという理由で。
 
 
 
 
 
未だに、分かってる。ただ父が勝手にこれを言い訳にしたでけだ。本当は、本人の心理に欠陥があったのだ。子供に向けて暴力を振る理由はこの世になんかない。ただただ、自分の憂鬱を他人に撒いただけ。お父さんは、なぜか怒りが発症したら自分をコントロールできなくなるのだ。
 
だからといって、許す気はない。
 
17歳のときに、両親が離婚したことは、お父さんの行動が一つの原因だったのに違いない。母は、なぜお父さんと別れたと誰にも言ってないけど、こういう事件は忘れかねない。許すこともないだろう。それで、母と父は別荘になった。母の家はたまに訪ねるが、父はもう連絡も取っていない。
 
暴力的な人とは縁を切ったほうがいい。そう思う。
 
 
 
 
それがそうでも、次の問題は。。。私もこの同じ心理の欠陥を受け継げたこと。
 
 
 
稀に見える私の姿。怒気が突如に湧いて、心の中に殺し屋の精神が現れる。
 
ほぼ、行動は抑えることはできてるが、イライラすると反射的に怒りが表に出てくる。言葉で。表情で。思考で。その一念で本気に人殺ししたいと思うのだ。本真に、本気に殺したいと思うときがある。
 
 
 
独身で生活しようと決めたことも、これが一つの理由だった。愛する人にこの悪面が知られたら、逃げて去っていくだろうと思うから。そんなことあるより、独りでいた方がいいと思う。
 
周りのひとにはこのことを話せられない。皆は、私を見ると平穏な人が見える。よく、友達に「おっとりしてるね」「おちついているね」と褒めてくれる。(英語では “Zen”と呼ばれてた)この名誉を汚さないことと、人に傷つけないように努力して生きないといけない。
 
でも「表に出さない」と「消していく」に違いがある。この怒りは私の魂の一部で、永遠と消えないものだと私は思う。心の影にずっとずっと住んでいて、弱気な一瞬に噴火する。ストレスが溜まったときや辛い日に、一瞬でも自分をコントロールできなくなって、あとで後悔する行動や暴言を起こすことが、なによりも怖い。
 
23歳の時、私は精神科に診てもらって、双極性感情障害Ⅱ型の診断を受けた。その時も、お父さんのことを思い出した。

双極性には複数の症状があるけど、癇性もその一つ。たまに出てくる殺害的な怒りは、感情障害そのものではないかと。この障害は遺伝子疾患だから、親と子供が同じということは可能高い。
 

お父さんとは、血だけはまだ繋がっている。
 
 

何するべきか。これからもずっと顔を世界から隠して生きていくか。それとも、アンガーマネジメントやってどうに問題を処分する方法があるのか。認知行動療法はやったことはあるけど、再戦するべきか。
 
正直、分からない。今のままでもいいじゃないかとちょっと思う。
 



勇敢というのは、無理なことをやってみることだと、誰かが言ってた。自分に諦めることは、人生に諦めることだ。だから、元気出して自己改善に勝負しよう。
 
 
 
 
 
と、ちょっと考えている。
 
 
明るいエンディングを書くのは私のスタイルじゃないから。遺伝子・トラウマ・感情障害と戦うなんて甘いものじゃない。巨大なボスとの闘いだ。一生とも自分と戦い続けることが道徳な生き方かもしれない。自分の中に存してる悪魔を日々戦うことが私の運命なんて、ちょっと憂鬱じゃないか。


それにしても、数年前の自殺未遂の末に、ずーっと頑張るんだと決めたから、この苦痛も天国の恵みだと考えて生きていこうと思う。怒気との闘いは無限につづく闘いでも、この命を大切にしていくように生きたい。そういう人間になれるといいな、と信じる。
 




今回のnoteは内的独白でした。最後、まとまってなくて容赦ください。イメージはYves Klein Blue。