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躁鬱ブルース【小説第4編】

「明星くん、元気にしていますか?突然のメッセージ失礼します。先生がうちの熟を辞めたことで、学生さんもちょっと寂しがっていますよ。ちょっと、一言でもいいので、連絡してください。新しい会社でよくやっているのなら、こっちも安心できます。都合が良ければ、どこかで会えればと思って」

元同僚の近藤芹那からLINEが届いた。なんと言えばいいのか、顕影は悩んだ。

一緒に入社した近藤さん。同級生ということでも、すぐ仲良くなった。大まじめな近藤さんは、最初は仕事に慣れず、緊張していた。その時、顕影と話し合って、落ち着いて楽しく仕事をできるようになってきた。

職場以外でも、メッセージしたり、たまに遊びに出掛けたりし始めた。うるさい音に敏感な近藤とは、静かな場所で会うことにしてた。顕影もこういう環境が好きだったので、ちょうど良かった。職場ではいつも眼鏡を掛けていたが、出掛けるときはコンタクトで、美貌な顔を見せた。この顔を覗えることが、顕影にしては一つの楽しみだった。親切で落ち着いている人とで、結婚することに目途がつくところだった。それにしても、特に息があっているとか、話すときにワクワクするとか、そういう気持ちではなかった。ただ、ゆっくりお茶飲みながら和やかな会話して、それ以上この関係は進まなかった。

「わたくしは、本当に地震ない人で、よく落ち込んでいる…」

近藤は言った。

「まぁ、それは誰にもあるさ」

顕影はそう慰めた。

大学を卒業する直前、顕影は自分が何を出来るか悩んでいた。入学した時は将来の計画を立てなくて、学生時代は悠々と時を過ごしていた。勉強はできていたが、それ以外に得意ものはなにもなかった。それなりに、就職活動の時期になったら、塾講師しかないと思って、都内の塾に入社した。

仕事は二年間も順調に進んだ。特に、印象的な出来事は、怠けものの男子の学生がいて、この子は治のことを思い出させた。顕影はお兄さん役になってこの子を教えるのが楽しかった。顕影は明るくて、授業は丁寧に教えかたを早く身に付けてから、スター講師と呼ばれるようになった。近藤さんとは、変な噂が飛ばないように気を付けて、職場では仕事以外の話はさけるように注意していた。

バタバタしながらも、最終的に意義がある仕事に決まったことで、顕影は安心できた。働くだけに注目していけば、人生に満足できると思って、しばらくこの仕事を続けると考えていた。

そのある日、人生観が突然ガラッと変わった。テンションと幸福感が激増して、新しい力が心の中に生まれてきた。頭の中に何が起きたか、顕影は分かってなかった。ただ、突然この世の中にない筈の感情に溢れて、まるで魔法にかけられた風に、悟りが開いたかのような、不思議な一瞬だった。

周りを見たら、何もかも煌めいている。テーブル、椅子、窓の外の景色、目に入るもの全てがオーラに囲まれて、世界全体がキラキラ輝いていた。今まで、気付いてなかったこの素晴らしい世界を初めて知った。全身は恍惚に包まれて、飛び上がりたくなった。好きだ。好きだ。なんでもかんでも、必ず全部が大好きだ。それだけが言いたい。塔の上から叫びたい。この最上級の愛情をみんなに伝えたい。天国の光明が僕だけのために空と雲を貫いて下りてくる。この秀麗な大宇宙は遠い場所ではなく、鼻の先に存在していたのだ。なぜ、今にしか気付いてなかったのか。この美しい世界。僕だけのために生まれてきてくれた世界。涙が出そうな感動が胸を刺した。

そして、ドイツに行きたいと思った。なぜ、ドイツ?大学ではドイツ語を勉強したことは間違いないが、覚えているのはイッヒリーベディッヒぐらいだった。特に、学生時代では海外経験を味わいたいと深刻に考えたことはなかった。だが、突然このwanderlustに魅せられた。旅行熱が圧倒的で、今年度で塾を辞めて長い旅に出ることを腹で決めた。

貯金はたっぷりあった。二年間は仕事一心で働き、稼いだ料金はほとんど使わず、生存の最低限な生活で済ませていた。近藤さんと出掛けるときにも、高級なお店にいくとか、そんな贅沢してなかった。

だからと言って、お金のことに心配という気持ちは全くなくて、ドイツに行くことに目がくらみ、切符とパスポートを揃えるためにせっせと行動した。次の春、自分探しの旅に出た。

ベルリンは綺麗な町だった。石畳の道に19世紀の建築と、街角に必ずあるケバブスタンド。美術館とミュージアムなどに通ってから、町ぐるみの散歩して、ケバブをかじりながら、街の風景を鑑賞した。

こうして海外旅を楽しんでいた時、さっきまで手に入れてた幸福感があっと言う間に消えていった。天が曇って、明かりが透らなくなった。体中の調子が悪い。数日間ちゃんと寝てなかったせいか病気になりそう。不安感が湧いてきて、ホテルに戻った。ルームに着いたら、重大な岩が肩に掛けられたように体が重たい。ベッドに横になってみても、気持ち悪い感じが胸に広がった。魂が消されたようだった。夢のドイツに来れたこと、その嬉しさを全部忘れて、頭は死にたい死にたいで溢れてきた。何だこれ?灯りが消されたみたい、感情が一転した。もう、心は無明の闇に囲まれて、息するだけでも苦しい。窓の外を見て、五階から飛び降りたら、どうなるか?死ぬのか?など考えた。これが、希死念慮という悪魔だった。

続いて、三日間はほとんど外出しなくて、ホテルの隣のスーパーで買ったパンで飢えをしのいでいた。そして、帰国することを決心して、鬱陶しい気持ちを抱えて来日した。

しかし、母国に帰っただけで、この暗い気持ちは消えなく、不安感は粘り強かった。終日、自殺作戦に夢中だった。ドイツに行ったら幸せになれると思ったのに。やはり、幸せというものは手に届かないものなのか。その時「病院に行けば?」という声が聞こえた。周りには誰もいない。これは、天使の声だったのか。それとも聴覚だったのか。その時は、頭が無茶苦茶だったので、たぶん聴覚だ。

それにしても、考えてみたら悪いアイディアでもないと思って、今度は精神病院にいく旅に出た。ネットで調べて、病院に辿り着いて、受付のスタッフと相談した。本当は、電話してから予約するものだが、スタッフは同情して、当日の入院を許してくれた。

その日からちょうど一か月経った。近藤芹那にはなにを言えばいいのか、頭を抱えて数時間も考えた。最後には真実を伝えると決めた。真実を話すことで裏切られることはない。真実を味方にすれば、最後の最後には必ず救われる。双極性障害の診断と、過去の行動を後悔してるところまで、返信メッセージに書いた。どんな返事が来るか、顕影はなにも期待しない方がいいと考えた。ただ、メッセージを送ってくれた近藤さんに対して、薬の副作用と不安定の精神による呆然な状態でも、心の奥には感謝が埋もれていた。


(つづく)





最後まで読んでくれて、ありがとうございます。イメージはhanorbbというアーティストの作品を借りました。入院中に支えてくれた彼女に一生感謝します。是非、インスタグラムを拝見してください。
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