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自著『氾藍』_あとがき公開

自著『氾藍』について
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 昨年ミニマム自費出版をした自著『氾藍』のあとがきを公開します。
 当初は本を手にしてくれた一部の人に見せるだけで充分だったのですが、より外へ開くことの重要性を実感したので。笑
 第2刷、ほしいと連絡をくださった皆さんありがとうございます!!
 ですがちょっと自分のお財布事情により、4月の印刷とさせてください(T_T)笑
 実際本を置いてくれそうな場も見つけつつあるので、また追って連絡します!!
 今後noteにも有料でエッセイと詩と小説を分けて載せようかな〜などとも思案中です。
 あ、もちろん本買ってくれた方が安い設定にはします。笑
 あとがき、長いと思うので、気が向いたら読んでね。
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◯あとがき◯
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 27歳になりました。
 大好きな大好きな西加奈子さんが作家としてデビューしたのが27歳。私も27歳には本を一冊作ろうと思い立ち、この本を作りました。
 以下は、私がこの本の企画書を書こうとしたらできあがっていた、経緯のような、現状分析のような、目的のようなものが書かれた文章です。少し長ったらしいので、読み飛ばしてもらっても構いません。
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  思えば、乖離に苦しんできた人生だ。
  親族といる時の自分と、学校生活における自分との乖離。他人と言葉を交わす自分と、独り思考を巡らす自分との乖離。
  大なり小なり様々な姿形の乖離たちがいつも私を見下ろし、「お前は誰だ」と問うていた。
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  統合、それすなわち安定だと気付いたのは明らかに大人になってからであるが、私は私の乖離たちを優しく包んで生きていきたいと、そう考えるようになった。
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  この本を上梓するにあたり私が成し遂げたいのは、私の内部世界と現実世界の統合では決してない。他者、あるいは現実世界に対し、私の内部世界(それを私はこの本の中で言語世界と呼んでいるし、村田沙耶香は「小説の部分」と言っていた。)へアクセス可能なルートを明示することだ。
  だが、いかんせん初めての試みなので、ルートと呼べるほど精緻な道筋が示せるかは分からない。恐らく、「遠くにぼんやりと灯りが見える」程度になるだろう。
  それでも尚、外界へ扉を開こうとした形跡を残しておくのは、今の私にとってとても価値ある行為なのだ。
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  物心ついた頃から、内部世界を他者に知られることは恥ずかしいことだと思ってきた。小説を書いたり物語を考えたりしていると他人に告げられるようになったのも、ここ数年のことだ。
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  統合を目指さないのであれば、何故、開くのか。
  それは、簡潔に述べると、「乖離と統合のあいだ」を目指すためだ。
  冒頭にも書いた通り、乖離は苦しい。ただ、乖離はある種の才能、特性でもあって、自身のアイデンティティと密接に結びついている場合が多いと思う。
  しかし、だからといってその苦しさに耐え続けて生きていくことは、深い、それは深い絶望の色を呈しているのだ。
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  ただの統合を目指せないのは、乖離そのものがアイデンティティであるから。
  そして統合型の人間が意図して乖離を目指せないのと、それは同義である。
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  だから私は「乖離と統合のあいだ」を目指す。
  これは私自身が今後も「健康的に」生きていくために編み出した解であり、ただ生きていくための唯一の道なのだ。
  これが大袈裟でも何でもないことが、時に悲しく、しかし私そのものである。
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 私が呼吸するように行っていることは「思考」です(想像といってもいいかもしれません)。これは本当に呼吸と同じくらい無意識に常に行っていることで、物心ついた頃から、現実世界とは違った世界が私の頭の中にはありました。
 5、6歳の頃(保育園の年中か年長さんだったと思います)、給食の班のように6人ほどで机をくっつけて、工作をしていた時。その工作が龍の何かだったのか、そこはあまり覚えていないのですが、とにかく龍が頭の中で私の家に入ってきて、お母さんを食べてしまいました。それでハサミで紙を切りながら、とても悲しくなってしまい、ポロポロ泣いてしまったのです。
 もちろん、突然泣き出した私に同じ机の男の子たちはぎょっとして慌てふためきました。自分たちは何もしていないのだから当然です。でも、先生は「どうしたの!あんたたち何かしたんでしょ!」と男の子たちを叱りつけました。私は「違う」と思いながらも、悲しくて泣き止めず、本当のことは誰にも伝わらないままでした。あの時の男の子たち、とんでもないとばっちりだったよなぁ。ごめんよ、ほんとに。
 車で移動するようになった最近でも、たまに歩道を歩くと、「幸せってなんだろう」と思います。それは、小学1年生の私が、規則正しくやってくる側溝の蓋を踏みながら、登下校の時に考えていたことだからです。
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 こういう頭の中の世界を、人に共有することは恥ずかしいことだと思っていました。どうやら皆にこの世界があるわけではないし、頭の中の世界のことよりも、目の前の世界で求められていることに応えた方が、周りの人たちは褒めてくれたし喜んでくれたからです。
 その掟通り、現実世界を一生懸命生きた時期もあります。一生懸命部活をしたり、受験勉強をしたり、現実社会を学んだりしていた間は、小説や映画などにあまり触れることはありませんでした。
 でも、そういう時間ばかり過ごしていると、どこか自分の調子が狂ってくるのです。
 そんな狂いを、ずっと「現実世界に適応できない自分のせいだ」と考えていました。そしてそんな時、頭の中の世界をずっと無視し、否定していたことを思い出させてくれ、また励ましてくれるのは、いつも小説や詩や、絵画でした。
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 私は、25歳の時、双極性障害Ⅱ型という診断名を与えられ、福井に帰ってきました。(と、初版では書きましたが、よくよく計算してみると24歳の時でした。:2刷追記)正直、診断名を聞いた時は安心しました(もちろん苦しいのは大前提だったけれど)。「病気です」と言われることは、「あなたのせいではない」と言われることと同義だったから。それまで「自分のせいだ」と感じていたことに、「薬を飲めばマシになるよ」と言われることは、その時の私にとって大きな救いでした。
 今思えば、そのカテゴライズは足がかりにしか過ぎません。でも、その足がかりがあったからこそ、自分がどうすれば辛くないように生きていけるかを考え始めることができました。「双極性障害は基本的に完治という状態はなく、一生服薬を続けながら『寛解』を目指す病」とされていますが、今の私としては「病気」というカテゴライズさえも不要になってきました。
 それは、私が「社会モデル」という概念を学んでいたからかもしれないし、「病」というものが所詮人間の一側面にしか過ぎないということを知っていたからかもしれません。今、私は、「双極性障害」も「女」も「右利き」も「高卒」も「フリーター」も「異性愛者」も「リベラル」も、全てただの要素でしかないことを理解しているし、それは私以外の全ての他者においても同様であることを身に沁みて感じています。
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 話が少し逸れましたが、私は今、とても幸せなのかもしれないと思います。
「どうやら、頭の中の世界を大事にしてもいいらしい」と気付いてきたからです。
 頭の中の世界を大事に生きている人は私の想像よりもたくさん、たくさんいました。
 そして、結局その世界に向き合っている時間が、私にとって一番幸せな時間なのだと気付いたからです。
 最初は、「何か形にすること」をしなければと焦っていました。例えば小説を書いたり、絵を描いたり。でも、最近は「その世界に向き合うこと」自体の総量をある程度確保できれば、「摂取」「休息(寝かせる)」「生産」のバランスは気の向くままでいいのでは、と思えるようになり、とても楽になりました。だって結局その世界は私の中に絶対にあり続けるのだから、無意識に行っていることがたくさんあり、「やらなきゃ」と負担になることなんて何もないはずなのです。
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 そんな理由から書き始めたこの一冊。実は呼吸するように溜め続けていた某青い鳥の下書きが元になっています。計2万字ほど溜まっていたので、
「え、これで一冊できるやん」
 と思い、今まで作った詩や新たに書いたエッセイなどを足したり引いたりして完成しました。
「こんなんでもいいや、一旦出してみよ」
 と思えるまでになったことが、本当に幸せです。「書かなきゃ」と思っていた時はあんなに筆が進まないものなのに、自分の声をそのまま書き出すと、こんなにもすらすら文章が紡ぎ出せることに自分でもびっくりしています。
 そして、それは「小説を書いている」と告白した時に「すごい!」と言ってくれたり、私の中の世界を稀有なものとせず、私ごと大事にしてくれたりした、皆さんのおかげです。本当にありがとう。
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 さて、一番現実世界に近い言語で書いたこのあとがき、いかがだったでしょうか。
 今、私は現実世界においてお金を稼ぐ能力はないし、一人で生きていく力もありません。でも、頭の中の世界をどんどん豊かに、大きくしていくことが、私の思う「幸せ」に近づく一番の方法だと気付いています。この世界が現実世界とどうリンクするのか、またリンクしなくてもいいのか、それはまだまだ分からないけれど、今、確かなのは、書きたいもの、作りたいものがたくさんあることです。大好きな人たちと作りたいもの、一人で書き上げたいもの、どれが先になるかは分かりませんが、今後も末永く、私の頭の中の世界にお付き合いいただければ嬉しいです。
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 私を生かしてくれて本当にありがとう。愛をこめて
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 2020.12  松原 ゆう
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 というあとがきを書き終えて早一年。もうすぐで28歳になってしまいます。
 小説を追加する、と決めてから、結局具体的な形に落とし込むまでこんなに時間がかかってしまいました。正直これを上梓する今、ツイッターの下書き(日暮らし)部分は全カットしたいくらい昔のことで面白くないし(なんか全体的に暗くね?)、小説載せたんなら消してもいいやん! とも思いましたが、一年前の自分を尊重し、残すことにしました。笑 そのくらい、この一年で色んなことが動き、変わったような気がします。
 でも、やっぱり「本を作る!」と決めたことが一番大きかったんじゃないかな。「小説書くんだ」と人に言える回数も増えてきた気がするし、なんだかそれは一年前の私が目指した状態に、少なからず近付いていることだと思うのです。
 ここまでお付き合いいただいた皆さん、この本を手にとってくださった皆さん、本当にありがとう。もう一度、愛をこめて
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 2021.10  松原 ゆう

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