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ニーチェ「七つの悪魔」

ニーチェは、「おまえはおまえの悪魔を大きく育てるがいい」「君らの善い人々のもつ多くの点が、わたしに嘔気をもよおさせるのだ」「善人たちに悪と呼ばれているものが全部集まって、そこから真理が生まれるのだ」と述べています。

ニーチェは大学の教師を辞めて正解でした。こんなことは市井の哲学者だからこそ言えるのであって、大学の教師は心の中でそう思っていたとしても決して口に出して言えません。唯一の例外は、中島義道先生でしょうか。彼は大学の教師の身でありながら、善人批判をしました。

ニーチェは悪から真理が生まれると言っているのではなく、善人たちに悪という間違ったレッテルを貼られているものから真理や超人が生まれると言っているのです。

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まず大胆におまえたち自身を信じるがいい──おまえたち自身とおまえたちの内臓を信じるがいい。自分自身を信じない者の言葉は、つねに嘘になる。
西尾幹二訳「無垢の認識」

悪魔に憑かれた者の耳には、わたしはこういうことばを注ぎこもう。「いっそおまえはおまえの悪魔を大きく育てるがいい。おまえにも偉大さへの道は、まだ一つ残されている」と。
手塚富雄訳「同情者たち」

孤独な者よ、君は創造者の道を行く。君は君の七つの悪魔から、一つの神をみずからのために創り出そうと欲すべきだ。
手塚富雄訳「創造者の道」

汝らは 一柱の神を創造できるだろうか?──できないなら、総ての神について解ったような口をきや利くのは己めよ!然し、超人ならば汝らは、たぶん創造できるかもしれない。
小山修一訳「喜びに満ちた島々で」

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君らの善い人々のもつ多くの点が、わたしに嘔気をもよおさせるのだ。かれらの悪が嘔気をもよおさせるのではない。むしろわたしは思う──かれらが、あの青白い犯罪者のように、おのれの破滅のもととなりうるような狂気をもっていたならばよかろうにと。

まことにわたしは思う。真実、誠実、正義などと言われているものがかれらの狂気ならよかろうにと。だがかれらは、ただ長生きするため、しかもみじめな安逸のうちに生きようとするために、徳をもっているだけだ。
手塚富雄訳「青白い犯罪者」

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この世界で最もはなはだしく呪われた三つの悪は何か。それをわたしは秤皿にのせようと思う。肉欲、支配欲、我欲、この三つは今まで最もはなはだしく呪われ、もっとも悪しざまにそしられ、まちがったレッテルを貼られたものである。──この三つを量って、わたしはそれが人間的によいものであることを示してみようと思う。
手塚富雄訳「三つの悪」

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一つの真理が生まれるためには、善人たちに悪と呼ばれているものが全部集まって一緒にならなくてはならない。おお、わが兄弟たちよ、君たちは、こういった真理を生み出すに十分なほどの悪人にもなりえているであろうか。  
向こう見ずの冒険、長きにわたる不信、残酷な否定、うんざりだという嫌気、命あるものに切り込むこと──、こういったものが一緒に集まることは、どんなにか稀なことだろう。しかし、そのような種子から──真理が生み出されるのだ。
森一郎訳「新旧の石板」

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私がこれまで学んできたことは、人間にとっては最悪のことが最良のことのためには必要だということ、これのみだ。── 
──最悪のことが、どれも人間の最良の力となり、最高の創造者にとって最も硬い石材となるということ、人間は、もっと良くなるとともにもっと悪くならなければならないということ、これのみだ。──
森一郎訳「恢復しつつある人」

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かつて君は、苦しみをひめた情熱を持ちこたえ、それを悪と呼んだ。しかし、今の君が具えているのは、もっぱら君の徳ばかりである。それらは、苦しみをひめた君の情熱から生まれたのである。  君はそれらの情熱に君の最高の目標を、心中深く刻み込んだ。苦しみをひめた情熱が、君の徳となり、情熱にひそむ喜びとなった。

そして、たとえ君が癇癪持ちの家系であろうと、色情狂の、狂信者の、復讐鬼の家系であろうと、  結局、君のすべての情熱は徳となり、君のすべての悪魔は天使となった。

かつて君は、君の地下室に野犬を飼っていた。だが結局、野犬は変身して鳥となり、可愛らしい歌手となった。

君は、君の毒を調合して君の香油を造り出した。君の悲哀という雌牛の乳を搾った。──その乳房から、今の君は甘い乳を飲んでいる。

そして今後はもう、君からは何の悪も生まれないだろう。君の徳どうしの張り合う戦いから生まれるのでないかぎりは。
森一郎訳「情熱にひそむ喜びと苦しみ」

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