見出し画像

ニーチェ「嫉妬と復讐」

平等を説く者の心の中には、嫉妬や復讐心、他者を支配したいという欲望が隠れています。プライドが高いことも彼らの特徴の一つです。ニーチェは嫉妬や復讐と戦った哲学者ですが、彼が追求した「超人」は、嫉妬や復讐心を持つような小さな存在ではなく、他者のどんな大きな幸福であろうとも、妬まずに見ることができる太陽のように大きく豊かな存在です。

───────────

わたしの哲学は、復讐や遺恨の感情と戦闘を始め、──
『この人を見よ』「なぜわたしはこんなに賢明なのか」

───────────

さあ、わたしを祝福してくれ。やすらかな大いなる目(太陽)よ、どんなに大きい幸福をも妬みなく眺めることのできるおまえよ。
手塚富雄訳「ツァラトゥストラの序説」

───────────

煤だらけで、ぬくぬくした部屋にこもり、使い古され、緑青がかった、不機嫌たらたらのそういった魂ども──彼らの嫉妬が、私の幸福にどうして我慢できるだろうか。  
だから、私は彼らには、私の山頂の氷と冬の世界だけを見せてやろう。私の山がありとあらゆる太陽のベルトを身に巻きつけているのは見せないでおこう。
森一郎訳「オリーブ山にて」

───────────

みだらな欲念、怒りをふくんだ嫉妬、執念ぶかい復讐心、賤民の傲慢、それらのすべてがわたしの顔を目がけて飛んできた。
手塚富雄訳「進んでなった乞食」

───────────

私はこういう民衆のあいだを、眼を豁然と見開いたまま通り抜けてゆく。彼らには、私のことが許せない。私が彼らの徳を羨ましがらないからである。  
彼らは私に嚙みついてくる。なぜなら、私は彼らに言ってやるからだ、ちっぽけな人間にはちっぽけな徳が必要なのだ、と。
森一郎訳「卑小にする徳」

───────────

おまえは私のサルと呼ばれているようだな、口角泡を飛ばすおどけ者よ。だが、私はおまえを、私のブーブーわめくブタと呼ぼう。──ブーブーわめくことでおまえは、わが道化精神礼讃を台無しにしてしまう。  
おまえをブーブーわめかせたそもそもの原因とは、いったい何だったのか。誰もおまえにろくろくお世辞を言ってくれなかったからだ。──だからおまえは、このゴミ溜めに腰掛けて、さんざんブーブーわめく理由を手に入れたというわけだ。──
──さんざん復讐する理由を手に入れたというわけだ。つまり、おまえが口角泡を飛ばしているのは、すべて復讐なのだ、虚栄のおどけ者よ。私には、おまえのことは全部お見通しだぞ。
森一郎訳「通り過ぎるということ」

───────────

かれら(僧侶)のなかにも英雄がいる。かれらのなかの多数の者は、あまりにも苦悩した。──それゆえかれらは、他人にも苦悩を与えようとしているのだ。かれらは凶悪な敵である。かれらの謙遜以上に、復讐心をひそめているものはない。そしてかれらに触れる者は、すぐに汚れるのだ。
手塚富雄訳「僧侶たち」

───────────

人類はこれまで最悪な手によって摑まれていたのであり、出来そこないども、腹黒い復讐の念にもえる者たち、いわゆる「聖者」ら、こういう世界誹謗者と人間侮辱者によって支配されてきたのだという真実
『この人を見よ』「曙光」

───────────

従来一流の人間として尊敬されてきた人間たちを、いまこのわたしと比較してみれば、その相違は明々白々だ。わたしは、これらのいわゆる「一流ども」を、およそ人間の数にいれない 彼らは、わたしにいわせれば人間のくず、病気と復讐本能の産物である。生に復讐をくわだてる、不吉な、根本において、救いようのない非人間ばかりだ わたしは、その正反対でありたい。
『この人を見よ』「なぜわたしはこんなに利発なのか」

───────────

「われわれと同等ではない者どもすべてに、復讐と誹謗をあたえよう」──そう毒ぐもたちは、心をあわせて誓い合う。
「そして『平等への意志』──今から、これが徳の名となるべきだ。力を持つすべての者に逆らって、われわれは叫ぼうではないか!」。
諸君、平等を説く者たちよ。力を持てぬ暴君の狂気が、君たちのなかから叫んでいる。秘められた暴君の情欲が、徳という言葉にくるまれている。  傷つけられたうぬぼれ、抑圧された妬み、おそらく父祖伝来のうぬぼれと妬みが、君たちのなかから、復讐の炎と狂気となって吹き出している。
佐々木中訳「毒ぐもについて」

───────────

「われわれは、われわれと同等でない、より強力なすべての者に、復讐と誹謗を加えよう」──そう毒ぐもたちの心は誓いあう。「そして『平等への意志』──このこと自体が今後は徳の名称となるべきだ。権力をもついっさいのものに反対して、われわれはわれわれの叫びをあげよう」  おまえたち、平等の説教者よ。このように無力を原因としている野心家的精神錯乱が、「平等」を求めて叫び立てているのだ。おまえたちが胸の底にかくしている野心家的情欲が、このように徳のことばの仮面をつけているのだ。  
恨みと化した自負、押えられた妬み、おそらくはおまえたちの父親以来の積もりに積もった自負と妬み、それがおまえたちの内部から復讐の炎と狂乱となって、ほとばしるのだ。
手塚富雄訳「毒ぐも」

───────────

人間をすみやかに焼きつくしてしまうものは、怨恨の情にまさるものはない。憤懣、病的な傷つきやすさ、復讐をとげる力がなくて復讐を意欲し渇望すること、あらゆる意味での毒薬調合──
『この人を見よ』「なぜわたしはこんなに賢明なのか」

───────────

道徳の定義、道徳とは──生に復讐しようとする底意をもち──そしてそれに成功したデカダンたちの病的性癖である。
『この人を見よ』「なぜわたしは一個の運命であるのか」

───────────

わたしがはじめて、本当に対立する二つのものを見いだしたのだ──すなわち、一方では、表面に出さぬ復讐心をいだいて生に逆らう退化しつつある本能 ​( ──キリスト教、ショーペンハウアーの哲学、ある意味ではプラトンの哲学がすでにそうであり、理想主義の全域はその典型的形式である)と、これに対するに他方では、あふれる豊かさから生まれたあの最高の肯定の方式、つまり、苦悩や罪、生存におけるあらゆるいかがわしいものや異様なものに対してさえ留保なしに「然り」という態度、この二つのものの対立である・・・・・・
『この人を見よ』「悲劇の誕生」

───────────

【引用】
手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』(中公クラシックス)Kindle版
森一郎訳『ツァラトゥストラはこう言った』(講談社学術文庫)Kindle版
佐々木中訳『ツァラトゥストラかく語りき』(河出文庫)Kindle版
手塚富雄訳『この人を見よ』(岩波文庫)Kindle版

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?