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エッセイ / 高崎小旅行

昨日から今日にかけて、友人と群馬県の高崎に小旅行に来ていた。目的は「シネマテークたかさき」というミニシアターで映画を観ること。私とその友人は映画が好きで、「一緒にミニシアターをつくろうか」などと夢を語っていた時期に、全国のミニシアターを少しずつ一緒に回る小さなマイプロジェクトをスタートさせたのだった。

前回は埼玉県深谷市にある「深谷シネマ」という映画館に行った。全国で唯一の酒蔵を改装した映画館で、周囲のレトロな街並みと相まって、すごく素敵な場所だった。

今回行くことにしたシネマテークたかさきも、レトロで味のある外観をしていた。

雑居ビル感にときめきます

しかし結論から言えば、私たちは今回、シネマテークたかさきで映画を観ることができなかった。映画の前に腹ごしらえをしようと思ってラーメン屋に入ったところ、ラーメンが出てくるのが想像以上に遅く、映画の時間に間に合わなくなったのである。シネマテークたかさきは現地でしかチケットが買えないため、まだ料金を支払っていなかったのもあって、私たちはなんだか自然な流れで映画を観るのを諦めてしまった。こうして当初の目的がどうでもよくなるほど「今」に楽しさを見いだせている旅は、例外なく最高の旅だ。

飲み会の〆ではなく、開幕にラーメンを食べるという謎のムーブになってしまったが、そのあと私たちは地元の格安居酒屋に入り、数時間のマシンガントークを繰り広げた。

メイントピックはお互いの恋愛について。不思議なことに、私たちは二人とも、相手に対してはめちゃめちゃクリティカルな指摘をするくせに、自分のこととなると途端にど阿呆になってしまう。

なぜ私たちは、人にはクリティカルな指摘ができるのに、それを自分に適用できないのだろう。例えば「そんな恋人とは絶対別れたほうがいいよ!」と友人にアドバイスしながらも、自分は別れるべき恋人と別れられずにいる、みたいな。それは無意識に痛みを避けて逃げているのかもしれないし、そもそも自分に起きていることを正しく認知(メタ認知)できていないのかもしれない。

じゃあどうすればいいのか?を二人で考えていて、友人がいいことを言った。「自分と同じ状況にいる人を観察し、その人と自分を重ねることで、自分をメタ認知できるんじゃないか」。友人は研究者なので、例として「他の人の研究を見ると、立てた問いが論文の主題とずれていたり、調査方法が問いに対して適切じゃなかったりする。でもその時はじめて、自分の論文もそうなってるんじゃないか?と気がつける」的なことを挙げていた。人の粗探しをするのは簡単で、自分の粗探しをするのは難しい。だからもしかしたら、人と自分とを重ね合わせる力が高い人が、メタ認知力が高い人なのかもしれない。そういえば孔子も「不賢を見ては内に自ら省みる(愚かな人や出来事を見かけたら、非難するのではなく、自分にもそういう一面がないかと省みる機会にしよう)」って言ってたな。

夜は初めて来るのにめちゃめちゃ懐かしい匂いがする、年季の入ったビジネスホテルに泊まった。懐かしい匂いとはつまり、こびりついたタバコやカビの匂いなのかもしれないけれど、私はこういう古い宿がなんだか好きだ。一緒に泊まった友人は「ホテルって埃がない場所だと思ってた」と言い、もう二度とこんな宿には泊まらないと言っていた。私は埃の存在にさえ気づかず快眠したが、こんなに違う者同士でも親友にはなれる。

そういえば友達との旅行ってかなり久しぶりだった。去年は修行中の身だったから、友達と旅行なんてできなかったんだよなあと今更ながら思い出す。今年はたくさん旅行の予定を入れよう。海外にも行こう。

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