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月のめくり時|掌編小説

「ピピピ。月めくりの時期が近づいてきました。忘れないうちに捲ることをお勧めいたします。」

 眼鏡の液晶に浮かぶ吹き出しと、骨伝導で聞こえる通知音。視線を吹き出しに固定して選択。上を向けば滑らかな動きと共に視界から消えた。そっか、もうそんな時期なんだ。早いもんだなと、ぼんやり思いながら机から離れた。

 部屋の窓は白いブラインドで隠れている。横の紐をゆっくりと引っ張ると、ブラインドがすいすい上がっていった。隠れていた窓は、黒い夜空とポツリと浮かぶ桜色の月を匿っていた。月に向かって手を伸ばす。

 指先が透明な何かに当たった。月はまだそこにある。透明な面の上を、優しく滑らせた。すると、月が紙のようにめくれて、桜色から淡い黄色へと姿を変えた。めくれて取れてしまった桜色の月は、指を離すと、花びらのように儚く落ちては窓枠の外へと消えてしまった。月のすぐ下から、白い文字が浮かび上がる。

「月が捲られました。現在、観測月は秋の初旬です。葉が紅葉し始め、また肌寒くなり始める時期です。旬の食べ物の種類も豊富で、食卓を囲むことが更に楽しくなることでしょう。まず、室内環境を再現いたしますか?」

 線枠に囲まれた「いいえ」と、白い長方形を彫ってできたような「はい」。迷わずに後方をタッチした。すると、部屋からうっすらとした振動音が聞こえてきた。過ごしやすかった空気がほんの少し冷気を纏い始める。

「室内環境が再現されました。次に、衣替えをいたしますか?」

 同じように、質問文と、「はい」と「いいえ」の選択肢が出た。またすぐさま「はい」をタッチ。タンスとクローゼットが壁の後ろへと隠れ、数秒経ったら元に戻った。開けて中を覗くと、全体的に厚手の服が詰まっていた。最初に引っ越した時に答えた、色の好みをちゃんと取り入れている。薄手のジャケットをクローゼットから取り出して羽織った。冬とは違った、程よい寒さ。

「衣替えが完了しました。最後に、秋限定の食事が選べるようになりました。注文の際は、アプリからメニューを選んでご利用ください」

 文字は窓に見せかけたタッチ画面から消えて、すぐ後に携帯端末が振動した。通知をタップすると、食事注文アプリ内にある、特設ページに飛ばされた。気になる物を前もってブクマしておこう。私の部屋は台所がないモデルだから、いつもお世話になっている。学生割があって、初めて可能にしているようなものだけど。

 ブラインドを戻して、また机に向かった。ノートパソコンには、書きかけの文章ファイルと、赤い線を引いた問題集のPDFが広がっている。明日の通信授業に間に合わせるように努めなければ。

 と、その前に。さっき見つけた新しいメニューから宿題のお供を注文しよう。

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