狂い咲く|掌編小説
桜の木の下には何も埋まっていない。埋まってなんかいないんだ。
桜たちは、春を懸命に生き抜く。ただそれだけの生涯だ。だからこそ、あんなにも美しく咲き誇ることができる。そうさ、彼女が愛した桜は、複雑なものじゃなくていい。
彼女が言っていたんだ。死体が埋まってる桜は一際麗しく咲くことはないと。嫉妬してしまうほどに、この春の淡い花に陶酔していた彼女が、そう言ったんだ。だから、あの花はただ開くだけで最高潮に達するんだ。
そうでないと、おかしい。
彼女は突然、姿を消した。もう少しで桜が満開になる時期だった。桜よりも一足先に綻びるように、紅潮しながら楽しみにしていると話していたのに。
返信も着信もない携帯を見つめてどれほど経った頃だろう。彼女の大好きな花は、慕う彼女を置いてけぼりにして、晴れ姿を世の中に晒した。
出会ってから毎年、一緒にふわふわで優しい花を写真に収めてきた。ひょこっと現れて帰ってくるだろう彼女のために、また、輪廻する桜のある一周を記録に残すことにした。
あれは撮れ高のいい位置を探していた時。彼女のお気に入りの桜並木を通った。我が子のように愛でていた特別な一本があって、彼女にしか違いが分からなかった。並木が始まる桟橋から何本目かでやっと覚えられた時、嬉しそうにして褒めてくれたのを思い出す。
どの角度で写真を撮ればいいか考えた。その木の周りをゆっくりと、草土、小石をサクリザクリと踏みながら。すると、足の裏から首の裏を掠り這うような、予期せぬ音がした。下を見る。
あれは記念日に贈った桜のネックレス。
桜に見惚れて、桜に気付かされる。掘り起こされた跡。
事情聴取の順番を座って待つ時間。彼女との思い出の写真を一から眺めた。眩しい笑顔、風によそぐ髪。包み込む春色の花びらと青空。どれもこれも等しく愛おしくて、美しかった。そして、ふと、彼女の姿がアルバムから消える。それでも桜は、やはり変わらず咲き誇っていた。
変わらず、そう、変わらず。
あんなに桜を想っていた彼女は、待ち望んでいた桜の満開を目にすることなく。想い先の養分になることすら叶わずに。温かくふかふかした、暗い暗い土の中で息絶えてしまったんだ。
桜は我関せずと、次の春に備えて散りゆく。そうだよ、人間なんか気にせず、ただ懸命に生涯を全うするんだ。そうだ、そういう花だった。彼女も言っていた。
それでも、この感情の宛先は桜しかなかった。見ていると思い出す。思い出すと泣きたくなる。深い嫉妬と怒りの気持ちを根元の土に埋めれば、腐って無くなってくれるだろうか。最後まで彼女を虜にしながら、応えてくれなかった、淡くそっけない桜の木は。
でも、それはそれで悲しくて。
結局、気持ちは自分の心に埋めるしかなかった。今も彼女が愛していた桜を見に来ては記録する。何があっても、どれだけ時が経っても。褪せることも、それ以上冴えることもなく。ひたすらに咲いては散る桜を。
その下に死体なんか埋まっていない。埋まってなんかいないんだ。