見出し画像

撫でる魔法使い|短編小説

  大好きなお婆ちゃんが亡くなった。白寿手前の九十八歳。長年暮らしてきた家の縁側で、穏やかな顔をしながら椅子に寄りかかっていたらしい。
 人情深いお婆ちゃんの葬式には、沢山の人が来てくれた。玄関の靴箱に仕舞ってあった遺書の通り、笑いと涙に溢れたものにできたと思う。
 次の日、遺産相続の話が改めて出た。お婆ちゃんの手紙には、基本的に家族で話し合って決めて欲しいとの旨が書かれてあった。ただ、できれば家は残して欲しいとの事。
 これがお婆ちゃんから俺への最後で最大の贈り物となった。

 キャリーバッグ一個とリュック一個。それが今の俺の全て。
 新幹線から電車に途中で乗り換えて、はるばる田舎までやってきた。夏の日差しの下、生い茂る山々が光り輝いて眩しい。都会だったら、灰色に吸収されてくすむばかりの景色だったな。
 駅から出ると、舗装された一本道が出迎えた。都会よりかは涼しい、けど燦々とした田舎の夏をぼんやりと眺める。すると、横から軽快なクラクション音が聞こえてきた。そっちの方を見やると、白い軽トラが道端の方に停まっていた。向こう側にある運転席の窓から、親戚のおじさんが手を振っている。左右の確認を怠らずに、俺は急いで軽トラに向かった。

「いやあ、トラくんが実家を引き継いでくれることになって助かったよ。思い出の場所だけど、当の子供たちは持ち場から帰れなくなってしまったからな」
 このおじさんは婆ちゃんからすれば義理の息子。少しばかり他人事のように話した。
「いえ、俺も事情が事情だったので、ちょうど良かったです。おかげで寝床には困らないので」
「おう、そうだったな!お義母さん、もとい、お婆ちゃんは全部わかっていたみたいな気がしてしまうよな」
 俺は全面的に賛同した。お婆ちゃんは昔から何かと見通す人だったから。

 駅から約三十分のドライブを経て、俺たちはお婆ちゃんの家に着いた。おじさんは畑仕事が残っていたから、そのまま帰って行くことに。東京からのお土産をしっかりと渡してからの別れだった。喜んでもらえて良かった。なけなしの残高から割り当てたものだったから。
 渡された鍵を使って玄関から入った。つい最近までお婆ちゃんが元気だったことがよくわかる。全然埃っぽくなかった。遺品整理をしに来る前でもこの綺麗さ。逆に整理をしに来た際の方が汚れるかも。
 どうして遺品整理の前に引越しが可能になったのか。ひとつは、俺の荷物の少なさ。もうひとつは、整理の準備を任されたから。棚や箪笥に仕舞ってあるものを一通りチェックして、箱とかは取り出しておく。若い男に力仕事を任せるのは、適材適所ってやつだよね。
 荷物を玄関の靴箱前に下ろす。じっとしていたって仕方ないから、さっさと準備をやってしまおう。

 家の奥の方から見ることにした。
 物置部屋や書斎。親戚で集まった時に使った寝室に第二の客間。
 優しい思い出が次々と蘇ってくる。箱の数は意外と多くなくて、お婆ちゃんの素朴さが伝わってきた。

 次はお婆ちゃんの寝室だ。気が何だか引き締まって、俺は入室の挨拶を漏らした。それこそ、霊になって、そばにいるかもしれないお婆ちゃんにしか聞こえない小声で。他の部屋と同様に、質素な雰囲気の部屋だった。唯一違うことと言えば、写真立てがいくつか飾ってあったこと。白黒だったであろう写真はセピア色に褪せたり。色付きのものからも時間の流れが感じられた。どれも家族や親しい友達と一緒の写真ばかり。幼い俺と撮ったときのやつもある。まだ世界の冷たさを知らない時の俺。
 少し鼻をすすって、俺は箪笥へと注意を移した。また一つ一つ開けてみる。小物や服。あ、お婆ちゃんの肌着を見ちゃった。なんかごめんなさい。
 一息ついてから、最後の棚を開ける。通帳とか印鑑、古い母子手帳や最近のお薬手帳。貴重品の棚のようだ。これまたちょっと罪悪感。残りはパッと目を通そうと思ったら、手紙が一通置いてあった。宛名は俺、猫村虎助こすけ、通称トラちゃん。本来はみんながいる場で開けた方がいいのかもしれない。でも、正式な遺書として預けられたわけでもないし、何より俺宛てだから。
 外の空気を吸いながら読もう。俺は裏庭が見える縁側に移動した。ぎしりと鳴る床が俺の心臓の鼓動と同調している気がした。座り込んで、俺は手紙の封筒を破る。内容は一枚。

 ーー愛する孫、トラちゃんこと、虎助ちゃんへ。
 これを読んでいるってことは、おばあちゃんの大事な家をもらってくれたってことだね。ありがとう。遺書では指名しなかったけど、きっとトラちゃんがもらってくれるんじゃないかと思ってね。長年生きてきた勘みたいなやつかね。
 あとは、トラちゃんにもらって欲しかった理由があったの。都会での出来事を聞いたから、っていうのもあるよ。でもね、それ以外にも、もう一つ理由があるの。
 このお家には、素敵なお客さんが毎日来てくれるんだけどね?きっとトラちゃんと仲良くなれると思うの。いつもはおばあちゃんが一緒に遊んでいたんだけど、私、死んじゃったでしょう?だから、トラちゃんに相手をしてほしくって。結構な寂しがり屋さんだから、ちゃんと遊んであげてね。
 毎日お昼の三時にお庭から来るから、急に来ても驚かなくて大丈夫よ。とってもいい子だから、特に大変なことにもならないはず。よろしく頼みましたよ。
 愛する愛するトラちゃん。都会ではお疲れ様でした。おばあちゃんのお家ではゆっくりしてほしいな。また元気に頑張れるその日まで。何年かかってもいいからね。その時は、家を手放しても全然大丈夫よ。管理、面倒だろうからね。身体には気をつけてね。おばあちゃんみたいに長生きしなきゃ、ね?
 それじゃあ。
 ーートラちゃん大好きな、おばあちゃんより。

 手紙の最後の方は読みづらかった。濡れないように、顔から遠ざけて読んだから。向こう側の眩しい景色で手紙に影が差す。余計に見えない。
 視界はぼやけたまま、しばらくそのまま。
 時が止まったみたいだった。
 お婆ちゃんが本当に旅立ってしまう気がして。ずっと止まったままだったらよかったのに。

 気がつくと太陽が天辺まで昇っていた。移動の際、ほぼ独占していた地元の電車が辺りを通る。今回は乗っている人影がいくつか見えた。お腹が感情を無視して鳴る。
 このままお婆ちゃんとの思い出に浸りたいけど、それと同時に手紙に書いてあることを守らなきゃ。長生きするには、食べるものを食べなければ。
 倒れていた身体を起こして、玄関に置いてきた荷物を手に取る。キャリーバッグの中にはビニール袋。前もってスーパーで買った食品や惣菜が入っている。ガサゴソと中身を確認しながら、台所へと向かった。
 まだ置いてある食器を拝借して。お惣菜は疲れが出る明日のためにとっておく。火も包丁も使わない、ご飯に乗せるだけのものを寄せ集めた。お婆ちゃんよりも先に旅立った母さんが、空から睨んできそうな気がする。

 やはり田舎の空気は魅力があるみたいで、俺はまた縁側に来ていた。少々心許ない量のツナ丼を食べ始める。しょっぱさが効いて、今の自分にはちょうどいい気がした。でも、ちゃんとしたご飯じゃなくてごめんよ、お婆ちゃん、母さん。これでも、都会にいた頃よりはずっといいものを食べてるんだよ。
 また一口掻き込む。ちゃんと味がする。
 突然、庭の芝生から音が聞こえてきた。咀嚼を一時停止してしまう。おじさんに送ってもらった時、ここではアライグマがよく出ると聞いた。完全に無防備な状態の時に来るなんて。食べ物の匂いを嗅いできたのだと思い、急いで襖を閉めようと立ち上がる。
 次の瞬間。

 ふわんとした声と共に現れたのは、一匹の猫だった。慣れたように裏庭を歩き回るから、随分と不思議だった。追い出す気にもならない。ふと、お婆ちゃんの手紙のことを思い出した。スマホを取り出すと、お客さんが来る時間だった。まさか。
 猫は俺に気づくと、また人懐っこい声で鳴いた。とてとてと近寄り、足元まで来るとパタリと座り込んだ。近くに来て初めて見えた、白い長毛の奥に隠れた血の跡や膿んだ傷。絶対に痛いだろうに、まったくそんなそぶりを見せない。むしろ、自分でわかっていないみたいな。
 一際大きく呼びかけられた。丸い目でこっちを見上げる。家族で過ごした新年会で、幼い再従兄弟はとこが俺の大福をじっと見ていた時と一緒。
「ごめんよ、このお魚は君にはちょっとしょっぱすぎるから。あげられないよ」
 違うよ、とでも答えるように、猫は伸びのある鳴き声をあげた。わからない。何を求めているんだろう。不恰好に丼を持ってそっぽ向く俺。何も思いつかなくて硬直状態。そんな俺を見かねてか、白い猫は下を向き、さらに近づき、縁側から出ている俺の足に擦り寄ってきた。撫でて欲しい、のかな。
 俺は器と箸を置いて、縁側から下りた。しゃがんで猫の来客と高さを合わせ、ゆっくりと手を伸ばす。それを見た傷だらけの猫は、すかさず掌に頭を潜り込ませた。

 心がきゅっとした。その可愛い動作と、驚くほどの冷たさに。

 今日はずっと晴れだった。日向ぼっこする機会や場所なんていくらでもあったはず。混乱する俺を構うことなく、白い猫はひたすら掌にスリスリし続けた。ぬくもりを求めている。
 おぼろげな昔の記憶が蘇った。写真でしかもう思い出せない、父さんと母さんの顔。二人の手は大きくてあったかくて。ある日から、その手はお婆ちゃんに変わってて。それでも安心感はずっとあった。
「今はもう、撫でてもらえる人がいないんだね」
 自分に言ったのか、可愛らしい猫に言ったのか。また目頭と鼻が熱くなる。もうだめだ。移動の疲れかな。考えと気持ちがあちこち行く。鼻をひとすすりし、目をぎゅっと瞑った。
「……よし、覚悟しろよ、命一杯可愛がってやる!」
 両手で猫の顔をわしゃりと撫でる。嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らし、完全に身を委ねられた。ネットで見た溶ける猫たちって、こんな感じなのかな。
 また膿や痣、血の跡などが目に入る。こんなに小さな体でどんな目にあったんだろう。他の野生動物から攻撃でもされたのだろうか。漠然と考えながら、首を撫ではじめる。
 そして、見えてしまった。
 おでこから首、背中、心臓にかけて、ぞわりと走る恐ろしい気づき。
 なんで、俺と違って、こんなにか弱い子がこんな目に。
 猫は変わらず、呑気に撫でることを要求し続ける。
 とにかく優しく。ゆっくりと触れ続けた。それしかできないんだ。『あなたに愛を注げるだけ注ぎたい』そんな思いで。

 日が落ちそうなところまで来た。隙間で食べすすめた丼はやっと空に。
 猫は俺の膝の上。ずっと撫でていたら、痛々しい過去の痕が全部消えていた。消えていくのを見てしまった。本来の姿だったはずの、真っ白でふわふわなお猫のできあがり。何かの魔法がこの場、この時に働いていたみたいだ。でも、それはとても素敵な魔法。
 それともやっぱり、俺は疲れているのかな。
 ずっと静かだったお猫が高く鳴いた。満足げに目を細める。体からうっすらと光が漏れ出して、全身を覆い尽くした。丸く浮かんだあと、ふわりさらりと溶けて昇っていく。橙の空に吸い込まれて、あっという間のさようならだった。
 蝉の声が一気に押し寄せる。
 大きく息を吐いて、俺は立ち上がった。縁側でずっと座り込んでいたせいで、尻が痺れまくっている。
 また明日、お友達が来るのかな。その時は、同じように愛でればいいのかな。キャリーバッグ一個とリュック一個。プラス肋骨と隈が浮かび上がったこの身一つ。それしかない今の僕には、明日を待ち遠しく思う言い訳にしては、十分すぎる。
 お婆ちゃん、最後の居場所をくれてありがとう。
 母さん、父さん、あともう少し見守っていて欲しい。
 うまく理由を言葉にできないけど。なんだか俺は、ここでは必要とされている気がする。

 遺品整理は明日に続けよう。お婆ちゃんも無理はしないように言うと思うし。
 夜は優しいふわふわを思い出しながら、温かい夢を見て眠りたいな。



あとがき

 どうも、森悠希と申します。猫の日に間に合わせたかったけど、間に合わなかった短編小説です。三月に入ってしまったので、変に長引かせるよりは、無理矢理にでも終わらせることにしました。

 悲しいことが起きる世の中で、愛らしい猫ちゃんですら酷い目にあってしまいます。思い合いと言うものを大事にしたいな、と考えながら書いてみたお話でした。しかし、無理した思い合いはただの考えすぎとなって疲れてしまうので、ほどほどにしたいものですね。

 本文同様に、あとがきから疲れが滲み出てしまいましたね。これは失礼いたしました。では、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

熟成下書き