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連載小説|明日はくるので、|④

 突然、上半身ががくりと横にずれた。
 脈打つたびに、頭がズキズキと痛む。
 和らいだかと思ったら、降りるはずの駅名が目に入った。
 一気に視界が広がる。

 右隣にあったリュックをそのまま引き上げ、キャリーバッグを片手で押しながら急いで電車を降りた。転びそうになったけど、なんとか思いとどまった。

 いやあ、生きた心地がしない。
 心臓がまだバクバク言ってる。


 目的だった駅は終点だったらしく、偶然だったとはいえ、助かった。電光板と隣り合わせにある時計を見ると、予定到着時間から5分ほど経っていた。それなのにもう、ホームには誰もいない。アナウンスは御構い無しに流れる。都会にも、ほぼ誰もいない時があるんだ。

 とりあえず、肘の内側にかかったリュックを背負い直そう。エスカレーターよりも近いことがわかり、俺はエレベーターの前に移動した。地上へと出るためのボタンを押して、すぐにきたエレベーターに乗り込む。一瞬にして地上が見えた。ここもまた、大きい。というか、大きすぎる気がする。確実に迷子になる。人がまだ少なめであることが救いだ。出口の方角をゆっくり見ることができる。ええっと、あっちか。

 駅の外に出てみると、これまたすごい。あちこち見ても、建物、建物、建物。まだ上っている太陽は、さっきよりはちょっと見える。これから行くシェアハウスからも、実家ほど太陽は見えないんだろうな。まあ、贅沢は言ってられない。俺はバス乗り場を探した。

 バス停に書かれた、バスの番号と経由をひとつひとつ確認。大きい駅だからか、バス停もたくさんあって一苦労だ。スマホで地図を見れば一発なのかもしれないけど、俺はもともと手に何かを持っていることを好まない。キャリーバッグもあるし、いくら人が少ないからと言って、危険性がないとも言い切れない。だから、行き先諸々は頑張って覚えておいた。

 ひとつひとつ見回った末に、目的のバス停を見つけた。予定してる時間まで余裕がある。座って待つことにしよう。ベンチの上に、一人の老婦人が座っていた。襟が長くて首を隠せるようなベージュ色のコートを着ていて、背筋はまっすぐ伸びている。肌と髪にはまだ艶が残っていて、どこか若々しく見えた。軽く会釈してから、隣に座った。

 ふと、実家のおばあちゃんのことを思い出した。背中は少し曲がっちゃったけど、若者に負けないくらいキビキビと動く、身体が小さいおばあちゃんのことを。顔はシワくちゃだけど、笑ったときはいつも眩しくて、思わず釣られてしまうほどだった。俺がまだ子供だった頃から、随分と可愛がってもらったな。和菓子も、おばあちゃんの影響で好きになったんだっけ。シェアハウスに着いたら、連絡しよう。親父も御袋も、まだ心配してるかな。

 まあ、それは後で考えるとしよう。
 さて、バスが来るまで、またぼんやりするか。

 待ち始めてから数分経つと、隣の老婦人から声をかけられた。
 荷物が多いね、お引越し? 若いわね、学生さん? と聞かれた。
 上京しに来た旨を伝えると、どこか納得したようにうんうんと頷いた。

 それからは、老婦人特有のマシンガントークを炸裂。都会でもこれは変わらないらしい。彼女の話を要約すると、自分の学生時代と都会を生き抜くためのコツについてだった。始めは突然喋りかけられたことにちょっと身構えたけど、お孫さんの話とか、おばあちゃんと似たような心配事を口にしているのを聞いたら、警戒心は解けた。普通に優しい老婦人だった。お祝いに何か渡したいと言ってくれたときは、思わず笑っちゃいそうになった。実家を出るとき、おばあちゃんも何かを渡したいとずっと言っていたから。


 こうしてのんびりと話を聞いていたら、バスがやってきた。老婦人は、このすぐ後にくるバスに乗るらしく、ここでお別れとなった。頑張ってねと、朗らかな声で受けた声援はふわりと優しかった。最初より深めに会釈をしてからバスに乗り込んだ。運賃を小銭で支払い、誰もいないことをいいことにして、真ん中あたりの優先席にお邪魔した。キャリーバッグを足で挟み、リュックを隣に置く。キャリーバッグの取っ手部分には、家から出る時につけた、少し古びたお守りがある。手に持って、指の腹で軽く撫でた。

 プシューと深呼吸をしたバスが、エンジンを唸らせながらゆっくりと発進する。
 あともう少しで、最終目的地だ。



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