見出し画像

うまくいかなくってもいいんだよ。


最近の三女は、いろんな空想遊びに夢中だ。

おままごとのセットとぬいぐるみを抱きかかえて、テーブルの下にもぐって、なにやら「ごにょごにょ」と話している。

スマホを耳にあてて「はい、はい、うん、うん」と電話の先の相手とお話しのまねごとをしている。

手に持ったおままごとのおもちゃを
「どーちだ」と見せてきては、
「ない」と「ある」を確認したり
「あまい?」「すっぱい?」と聞いて
私のリアクションを見ては笑って喜んでいる。

やりとり遊びもしながら
頭の中の世界でも、とってもおしゃべりのようだ。

その様子をみた次女も「あぁ。私もそんな時があったなぁ。頭の中の世界は、自分の思い通りだし。なんか楽しいんだろうね。」と妹を見ながら自分の過去を思い出してしみじみと話している。

こどもたちは、大人のやっていることに興味しんしんだ。
おもちゃがあるのに、実際に大人が使っているものを引っ張り出すのがなぜか好き。
たとえば掃除機をかけていると、重たいのに同じように動かせると思うようで、やりたがる。思うようにいかないと、泣いてしまう。
気がすんだら、次のことへ興味を移していくだろうし、泣くのは予想しつつも
やりたいようにまずはやってみてもらう。

うまくいかなくたっていいんだって思う。

大人に比べるとこどもは、目の前のもの以外は視界に入ってきにくい。視界は狭いけど、目の前の想像力を膨らませるのは大人よりも上手だ。

何でも好奇心のおもむくままに目に入ってきた情報を拾って、目の前のことから物語を作っていくのだろう。

こどもの頭の中に広がる世界を、
私も一緒に楽しませてもらえて今はとても幸せだ。

そう思えるようになったのも、年齢を重ねてきたからかもしれない。
いつか終わる子育ても、先が見えないとしんどさが先行する。

余裕がなくて、「また、あとでね」
が重なってしまった長女の子育て。

次女や三女を見るようになって
効率や、できる、できないよりも
やってみたい気持ちを大切にしようって
ようやく思えるようになった。

出来事を何とかしようとせずに、
話を聴いて寄り添えられていたら。
それだけでいいんじゃないのかな。

昔の私へ今なら言えそうだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?