見出し画像

細野晴臣 「Hosono House」 (1973)

個人的には日本のロックの原点ははっぴいえんどにある…と思ってます。そのはっぴいえんどの解散が1972年末。そしてはっぴいえんどの中心人物、細野晴臣は、マネージャーに急かされるようにソロアルバムの制作に着手して制作されたのが本作。レコーディングは1973年2月~3月。場所は狭山市…、細野氏の自宅でホームレコーディングのスタイルが取られました。当時、ザ・バンドやジェームス・テイラー(JT)なんかがこうした手法を用いて、素朴で素敵な音楽を発表していたのですが、細野氏はこうしたスタイルから多大な影響を受けていたようです。

細野氏のために集まったメンバーは、はっぴいえんど時代からの盟友、鈴木茂(G)、小坂忠とフォー・ジョー・ハーフに在籍していた林立夫(Ds)と松任谷正隆(Key)。この4人がスタジオミュージシャン集団のキャラメル・ママとなっていきます。キャラメル・ママを結成して、本作制作に入ったとの説もありますが、本作のクレジットにキェラメル・ママのクレジットはなく、結果論として、この収録を楽しんだ4人が、ジェームス・テイラーのバックバンド、ザ・セクションに憧れて、結成に至ったと個人的には思ってます。

画像1

アルバムトップから、JTばりのアコギの弾き語りの①「ろっか・ばい・まい・べいびい」。「Rock My Baby」を日本語表記したものでしょうか。題名からは激しいロックンロールを想像してしまいがちですが、全く意表を付くのどかなフォーキーソング。こうしたシャッフルビートって、グルーヴ感がうまく出せないと、締まらないのですが、やっぱり細野さん、アコギプレイもかっこいいです。

のどかなカントリータッチの②「ぼくは一寸」。イントロから ♪ ひなたぼっこでも していきませんか ♪ ですからね~(笑)。
スティール・ギターはフォー・ジョー・ハーフの駒沢裕城

ザ・バンドに近いような、すごく土臭い感じの③「CHOO・CHOOガタゴト」。鈴木茂のギターがなんとも粘着質で、とてもアーシーな感じ。ギターソロもグルーヴ感一杯。キーボードとのユニゾンソロもいいですね。

林立夫氏のドラムがタイトながらも実にパーカッシブで、心地いい⑤「冬越え」。段々と演奏が盛り上がってきて、最後はホーンで実に賑やかになります。細野氏が描く歌詞も情景的で、♪ くしゃみをひとつ ♪ といった印象的なフレーズも相変わらず。冬越えで、季節の変わり目なんかはくしゃみなんかが出てしまうってことだと思うのですが。なんだかユニークな歌詞です。

細野氏は後にエキゾチックな楽曲を発表していきますが、その先駆け的な⑦「福は内鬼は外」。多分鉄琴みたいな音はカリンバ…ですね。どこかカリプソ的な演奏も気持ちいいですね。林立夫のドラミングも、実にリズミカル。ザ・セクションのラス・カンケルのプレイと似てますね。

後にシングルカットされた、本作中一番有名な⑨「恋は桃色」。曲調は「風をあつめて」の路線といっていいかもしれません。スティールギターが入っている分、余計にカントリータッチに仕上がってますね。ポール・モーリアの代表作「恋はみずいろ」に引っ掛けたものでしょうか。
星野源クンも細野晴臣ワールドに、この曲から入った一人。源クンが高校2年生の頃、先輩から教えてもらったという楽曲が「恋は桃色」。それまでは細野さんの曲を全く知らなかった由。

私が大好きな星野源クンが細野晴臣氏をリスペクトされていることから、近年、若い星野源クンファンが、細野さんのサウンドを聴きなおす機運が高まっているようです。こうしたフォーエヴァーで聴き継がれたい曲が、若い人たちに聴かれることって、実に素敵ですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?