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わたし視点の「生き方改革」 | 20世紀生まれの青春百景 #41

 そんなに仕事量は多くなく、考えなければいけないことも難しいこともやっていないのに、やけに疲労が蓄積している。休日にはほとんど寝てばかりで、最近の制作活動は「これが最後の作品になるかもしれない」といつも怯えていたりするのだ。心配性なわたしはそう思い込んでいるけれども、きっとこの先も人生は続く。きっと。

 昨日の日本経済新聞で「ハラスメント・ハラスメント」を取り上げる記事を読んだ。

 現代社会において、非常に多岐にわたるハラスメントをいかに捉えるかは非常に難しい。気にも留めない人もいるだろうし、言葉自体に萎縮してしまう人もいるだろう。「ハラスメント・ハラスメント」という言葉が現れたのはそういった世相を反映しているともいえる。

 わたし自身、パワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメント、モラル・ハラスメントには常に気を遣っている。特に、相手の表情や声に心を動かしやすく、毎日の仕事が終わる度に疲れ切ってしまう。最初の話にも繋がるが、気疲れが強い。

 部活動で先輩になった時、初めて大人の世界を知った時。その力や魅力に溺れさせられるような感覚を覚え、仲間や恋人を傷つけたことがある。マウントを取ってしまったり、無意識のうちに発した言葉が相手の心に突き刺さったり、そういった経験があったからこそ、わたし自身の形作る言葉には細心の注意を払っているつもりだ。ただ、今でも、時に爆発してしまう。わたしのとても脆くて弱い部分だと思う。

 上下関係もそうだ。趣味で出逢う人にさえ、まるで何らかの部隊に入っている人のような話し方になる。仕事中は特にそうで、普段はふた周り以上も離れた人ばかりと接していることもあるが、自分自身の主張ができない。混乱状態になる。

 どんなに立派な人だって、生き物には必ず弱点がある。ハラスメントという言葉を嘲笑う人もいるし、そこに突っかかりたい人、通り過ぎたい人もいるだろうが、わたしはハラスメントという言葉を聞く度に自分自身を振り返ってみることにしている。当てはまる部分もあるなら直さなければいけないし、当てはまらなくても気に留めておくべきことも珍しくない。決して立派ではなく、賢くも格好良くもない人間だからこそ、誠実さだけは持ち続けていきたいと常に思うから、一歩ずつ大切に歩みたい。

 わたし自身の生き方として、「働き方改革」で楽に働こうという気持ちは一切ない。むしろ、働き方が身に馴染むものであれば、いくらでも仕事ができると思っている。何時間でもやれるし、どこまでも走っていける。これまでもそうだったし、そこが揃わない状況ではまったく冴えない。常に不安と不満が絶えなくなる。だからこそ、少しでも馴染む環境に変えていかなければいけないし、わたし自身も心身を整えていかなくちゃいけない。「働き方改革」ではなく、「生き方改革」を続けていく。

 フィロソフィーは何があっても曲げないけれども、アプローチやテクニクスの部分は柔軟に変えていくべきだし、そうあり続けた方がきっといい。

 転職活動や自主レーベルの立ち上げ、新しいコミュニティーへの参加など、生き方の改善を本格的に始めたのは、より良い生き方をするため。このままだと堕落するし、企画やクリエイターはタフな仕事ではあるが、良いストレスと悪いストレスがあって、わたし自身により馴染む生き方がどちらかと言われたら、きっと良いストレスを抱えていく道を選びたいし、常に挑み続けられる方向へ進む。

 こだわって、こだわり抜いて、寿命をまっとうするんだ。走り抜くんだ。

 2024.5.13
 坂岡 優

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!