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#2 レシピ

どうも。ゆーです


何を書こうかなーと思って、以前書いていたはてなブログを何となくみたら、初回の記事にこんなことを書いていました。


初めて鬱になったあの頃、私は自分がアダルトチルドレンなのだと思ってしっくりきていたのを思い出しました。「AC克服」か。なるほど私のいいそうなことです笑


アダルトチルドレンねえ。確かにそれに違いはないだろうけれど、まさかその2年後に再び鬱になるとは思っていなかったし、適応障害、うつ病、双極性障害、解離性障害……とあれこれ言われるとも思っていませんでした。笑



初めての鬱の時、私はその状態をうつ状態であると認識していませんでした。知識が何もありませんでした。もしかしたら鬱なのかな、とは思っていたのを覚えていますが自分がなるはずないとも思っていました。今思えばあれは入院レベルの重い鬱でした。なにせ、この時はこの世をおさらばしそうになり、夜中にひとり彷徨っていた私の知らぬ間に、私の行方がわからないと話が広まってしまい家族のみならず親戚や友人や警察にまでご迷惑をおかけしてしまいました。あのとき明らかに、私の頭はおかしくなっていました。自分とは思えません。


でもほんの数ヶ月で社会復帰しました。全然、働けるほど元気じゃなかったのですが、母から離れないと私は死んでしまおうとするのだという事はわかりました。それで、必死で逃げ出しそうとしたのをよく覚えています。知識がないながらも、何をすべきかはわかったのですね。


そういえば……その時背中を押してくれた先生がいました。「あなたのやろうとしていることは、間違ってないよ。そうだよ、逃げるんだよ。それでいいんだよ。こんなに辛い思いをして、それでもまだお母さんに振り向いて欲しいかい」先生がそう話す姿が私の脳裏に焼き付いています。実の母から逃げろという酷烈な内容でありながら、本当に優しい口調でした。一度だけ行った病院の、目ん玉飛び出し気味の大大おじいちゃん先生。元気かな。先生、ありがとう。


あれから7年が経ちました。私は随分と勉強しました。ACって何かな、ACはどうしてなるのかな、ACの克服の仕方はなにがあるのかな。
適応障害のときも、うつ病のときも、双極と言われたときも、解離がわかったときも、本を読み漁り、専門家の記事を読み漁り、病院の先生とは出来うる限り話をし、Twitterにもとてもお世話になった人が何人もいます。


わからないことがあるとき、私は不穏で怒りっぽくなります。大したことではないのにすぐにイライラしてしまう。だから、勉強します。勉強したら、片っ端から試します。合うものも見つかりますが、自分というのは移り変わりやすいもののようで、すぐに合うものも合わなくなり、また勉強しては探します。


最近は、だんだん自分の据えるべき心持ちがわかってきました。勉強を繰り返すゲームみたいなものをしていればよいのだなあと思うのです。そんなに嫌いじゃないのでまあやっていけそうです。

 

「AC克服」。そうはてなブログに記していた私。
多分「克服」というのはなんだか違っていたのだろうなあと今は思います。この困難に“打ち勝とう”と思うと、それは多分……うまくいきません。

ACの苦しみというのは、多岐にわたると思います。まずは自責や自己否定、過度な責任感、人間関係、精神疾患などが辛いですし、ACなのだと気がついてしまうと上記に加え親を責めて恨む気持ちが止まらないと思います。そしてそんなことを思う自分をまた責める。否定する。そんな自分の感情をコントロールすることができず更に苦しむ。このスパイラルこそACの一番苦しむところなのではないでしょうか。


インナーチャイルドセラピーや認知行動療法も多く勧められていますが、それらは当事者との相性が合う合わないの問題が大きいようですし、そもそも一つの手段に過ぎないのだろうと思います。


今になって思うことがあります。ACという状態であることから解放されるには、“打ち勝とう”などとそこに真正面から向き合うのではなく、違う視点に立って、今立っている場所がどんな世界で、よそには他にどんな世界があるのかを知り、そのよその世界を否定しないようになること、悪者扱いしなくなること、そんな感覚を持つことがおそらく一番必要で、同時にそれを知るということは、「克服」というよりも、つむっていた目を開けるような、まるで初めて本来の自分を知るような、そんな感覚を得ることでもあるのではないかと思うのです。当時の私から見ればそれは「生まれ変わる」と言えるほどの大きな変化でした。でも、ただ、目を開けただけ。目を開けるとそこには、私だけの世界があって、好きなものと嫌いなものが置かれているのです。自分が誰だか、わかるのです。これからもその世界を好きなように構築してよい、と、そう聞こえてくるのです。


これは、私が過去に得た感覚の言語化でしたが、そのようなものが、私がACの苦しみを乗り越えるには必要だったのではないか。そんなふうに思います。それから、セラピーも認知行動療法も悪くありませんでした。


ACを乗り越えたかどうかはよくわかりませんが、少なくとも今の私は昔ほど母や母のような人に怯えていません。悔しさと憎しみで体がちぎれそうになったりもしていないのです。私は私で、母は母でしかないことを、頭だけでなくこの体が知っています。


私の感覚の言語化として書いたものが正しいとは全く思いません。これは、私が経験して、私が体感して、私が納得したから、私だけの正解なのだろうと思うのです。全ての人に、その人だけの正解がきっとあって、でもそれは方程式ではありません。きっと料理のレシピのように多様です。カレーひとつ作るのに、何通りのレシピがこの世にあるのでしょう。



これからも勉強して、試して、探し続けることをやめないで、私のレシピをたくさん作ります。でも寄り道や休憩はたくさんとって、いつか死ぬ時には「まあ生きていてよかったかな」などと言えたら心が温かくなりそうです。全米が泣くと思います。笑



長くなってしまいました。テーマを決めずに書き始めてはよくないですね笑
最後まで読んでくださった方ありがとう。

これにて。


ゆー

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