#6 人の気持ちが分からない話

どうも、ゆーです。
今日は私の、人の気持ちが分からない“ときも”ある、というポンコツな部分について書きたいと思います。読んでて胸糞悪くなったらめっちゃごめんなさい……。あるいはあまりにも私がバカでおもしろいかもわかりません……。


昔のお話。
職場の後輩が親知らずを抜くことになったのだが、抜いたことがあるかと私に聞いてきたのであるよと答えた。どうだったかと聞くので具体的にどんな流れでどんな処置だったと答えると、それを横で聞いていた同期があからさまに睨んできて何故そんなこと言うのかと、怯えてるじゃんと、私に怒った。まじで意味わからんかった

つまりこうだった。親知らずを抜くのが怖いので安心したい、怖くないよと言ってほしい、あれはそういう意味の質問だった。

でも私はこう答えた。麻酔の注射が痛いのと術後麻酔が切れた後がマジでくそ痛いというくらいしか痛いところはない。あとは術中に口を開け続けるのがしんどい顎がイカレる。あと私は歯がデカくてなかなか取り出せなかったのでトンカチやら小さな電鋸的ヤツで歯を半分に割って取り出す必要があったし、完全に埋まっている歯に至ってはそれでもなかなか取れなくてどうにかこうにか歯茎から引きちぎるように取り出した。そのときブチブチと歯茎の繊維が引きちぎれる音がするので面白い。最後にとれた歯を見せてくたのだが、ほらデカい、などと言われながら見せられた歯に歯茎がついていて心の中では吹き出していたがそれ以前に術中に体力を奪われ憔悴したので実際に笑う元気はなかった。

ーー何を言っているんだ。我ながら酷すぎるだろ。これだもん。嫌われるんだよね……すまんかった

人が気持ちの面で求めてることが分からないことがある。このケースでは「大丈夫だよ」と言われたいだけだったということが全く分からなかったので苦手な人にとっては怖がらせただけの返答になってしまった。

でも正直、今でもわからないことがある。あのとき私は「怖くないよ、大丈夫だよ」と答えたとして、そんな全く根拠のない返事でなぜ相手が安心できるのだろう。全く解さない。

私が大丈夫でも相手は実際には無理かもしれないではないか。何故そんなわかりもしないことを無責任に「大丈夫だよ」などと言うのが正解なのか。それなら具体的に何をするのか、私だったら知りたい。

なるほどトンカチで歯を割るのは怖いなとか、歯茎が引きちぎれる音聞きたいから楽しみだなとか、そんなものは人による。自分が大丈夫かどうかは具体的に何をするのかを知らなければ予測ができないと思う。

そうではない?違うのか?これはいまだに分からない。どんな処置であるかという事実より、根拠のない「大丈夫だよ」の方が安心する。信頼できる。そう言ってる……のか?どの辺で安心できるの?気の持ちようってことなの?じゃ人に聞かなくてもできるじゃん。まじでわからん。泣


「大丈夫だよ」ということで必ずうまく行くことが決まってる場合は「大丈夫だよ」って積極的に言います……笑


でもさ、これはわかる。また違うエピソード。

そのとき私たちは、公園でお花を見ていた。地面にクローバーが広がってハートの葉っぱの絨毯と白い花が可愛かった。


それで、友達が四葉を見つけたんだ。嬉しそうにしていいことあるかもね〜なんて写真を撮っていた。そしたらすぐ近くにも別の四葉があって友達はとても喜んで笑って、こんなにたくさん見つかることがあるのかとはしゃいだ。それで私はこう言った。

四葉は遺伝子で四葉になるから一つ見つけるとその株には他にも四葉が見つかることが多いと言う話があるけれど、実は遺伝などではなくて、成長過程で踏まれることで葉に傷がついて葉が分裂するという話も聞いたことがあるよ。わざと踏むと四枚以上の葉をつけるエリアを作ることができる、ということらしい、と。


そしたら友達は笑ってくれたが白けていた。これはすぐに理解できた。明らかに間違った話をしたと思った。友達は今そんな楽しみ方はしていないのだ。いいことあるかもね、という気分を味わうやつをやっているのだ。それが楽しいよねっラッキーだねっというやつをやっているだけなのだ。遺伝子とか踏まれるとかでは不思議もラッキーも台無しにしてしまうのだ。何故こんなにたくさん見つかるのかと言うので話してしまった、本当にすまん、私と友達やってくれてありがとう、本当にすまん、<(_ _)>〈 ゴン!〕



とまあこんな具合で人の気持ちが分からないことがある。そしてそれはいつもではないという不思議がある。その日その時によって、屁理屈やうんちくをしゃべり出すことがあれば、わあ〜♡四葉のクローバー私も見つけたいよ♡などと言っていることもある。謎である。自分をコントロールできれば問題なくなるのだろうけど、今のところできない……。


私の友人たちは多分神か仏の類で、心が太平洋なのだと思う。大人になってから私は、学生時代からずっと結構おかしなヤツだったのではないかと思っている。それでも友達がいて奇跡である。友よ、ありがとうございます。感謝して、今日はおしまい


ゆー

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