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ゆうとうの職場遍歴


ごきげんよう、
ライターの副業をしようと
しているゆうとうです。

クラウドソーシングに登録するさい
自己紹介で経歴をかかなければならなくて
自分の経歴を書き出してみました。

高卒で就職してから今の会社で13社目だったんだ。
これじゃぁ、面接のとき履歴書に書こうとしても
書ききれないよね。

これまで、どんな仕事をしてきたか
私の職場遍歴です。

少しづつ、各職場の入社動機や退職理由
働いていてのエピソードを綴っていきます。

よかったら、覗いてみてください。

ただ、ちょっと長いのでまだ未完成です。



段ボールメーカーの経理&営業

高卒で最初に入社したのが段ボールメーカーの工場。
商業高校だったんで経理係に配属になりました。
ちょうど、伝票や帳簿を手書きからパソコン入力に切り替えの
ときだったらしく毎日残業させられてました。

帰るのはいつも日付が変わってから、
ときに徹夜なんてのもありました。
残業手当だけで10万くらいもらっていたような
気がします。

そのあと、東京の本社に転勤になり
営業に配属にされました。

営業といっても、お客様に伺ったりする営業ではなく
取引先からの電話注文を受けて
工場に出荷手続きをする仕事でした。

始業と同時に電話が鳴りっぱなし、
なかなか厳しい口調の取引先の担当者もいて
なれないころはボロクソに言われてました。

なぜ、辞めたか

理由は2つ
1つ目は職場の人間関係。
同じ課にどうしても、なじめない先輩がいて
ちょくちょくイヤミを言ってくるのに
とても耐えられなくなったこと。

2つ目は接待と上司との食事
なぜか仕事が終わると
必ずどっかで食事するんですよね。
取引先の担当者とか上司とか。

こっちは早く帰って自分の時間がほしいのに
毎日付き合わされる。
そんなに酒も飲めないのに飲まされるし
気をつかわなければならないし。

たしかに、自分では行けないような
高級なお店で食事をさせてもらいましたが
「もう、勘弁してくれ~」って感じでした。

人間関係と自分の時間が欲しくてやめました。


警備員


次の就職先が決まってから会社をやめようと
密かに職を探していました。

ただ、会社をやめても実家にかえらず
東京に残りたかったのでまず社員寮つきの職場を探すことに。

ハローワークに行かず当時あった求人雑誌を
毎日ながめていましたね。
フロム・エーやトラバーユにデューダ
あとは肉体労働系のガテンなんてのもありました。

自分のなかで次の仕事は何にしようか?
「この仕事がしたい!」という
熱い思いもなく
逆に「自分は何がやりたいんだろう?」
「なんの仕事が自分にあっているんだろう?」と
迷っていました。

じゃぁ、いろんなことをやってみて
自分の合う仕事を探そうかと。

そこで選んだ仕事が
「警備員」

選んだ理由は4つ

  • 外で働く仕事がしてみたい

  • 社会保険完備

  • 社員寮つき

  • そこそこの給料がほしい


外で仕事がしてみたい

今までは事務所など屋内での仕事だったので
今度は外で体を使った仕事がしてみたいと思ました。

だけど、ガッツリ肉体労働もキツそうなので
適度に外で働けて体も動かせそうな警備員がいいかと。

社会保険完備

社会保険のこととかは当時よく知らなかったです。
でも、親からは社会保険のついている会社がいいと教えられて
いたのでまず外せない条件でした。

社員寮つき

最初の会社もマンションの1室を借り上げて
社員寮として使っていました。
そこを出なければならなくなるので
次の住み家の確保。

そこそこの給料がほしい

当時、手取りで月16万ほどもらえそうだった。
自分のなかでは、月15万円は欲しいなと思っていたので
プラス1万円の給料は魅力的でした。

以上、4つの自分の基準を満たしたのが
「警備員」

それから面接を経て、無事に採用されました。

警備員の仕事は主に工事現場での車両誘導や交通整理でした。
1人で現場を任されるときもありましたが、数人とグループで
警備にあたることも。

外でずっと立ちっぱなしの仕事だったので、夏場の暑い日は
結構大変でした。
山奥の現場ではほとんど工事車両しかこなく、
それもめったにこないので激ヒマ。
作業終了の時間までがすごく長く感じたのを覚えています。

この仕事で何がやりがいかというと
自分の携わった工事現場の建築物が完成したときは
りっぱな建物をみて
「あ~、あの現場の警備してたんだな」と感じることが
唯一のやりがいだったかもしれません。

ただ、無断欠勤をする人が多く休んだ人の分もカバーしなければならなくて
仕事量だけが増えるという状態にイヤ気がさしました。

知り合いが斫り屋をやっていて
「うちで働かないか?」と誘いをうけていたので
ためらいもなく警備員も約半年で退職しました。

斫り 解体業

社会人になってからはじめてのガッツリ肉体労働をすることになります。

なぜ、知り合いが私を誘ったかというと
父親と義弟がメインの家族会社でほかにはマレーシア人が4人だったため
日本人で車の運転ができる人が欲しかったようです。

住むところも風呂無しで家賃月30,000円のアパートをみつけ
そこが新しい住み家となりました。

給料は日給12,000円で社会保険は無し。

キツイ仕事のためか、長続きする人がいなくて私も親方に
「 2週間続けることができたら、日給を13,000円にしてやる 」と
いわれました。

たぶん3日くらいで辞めると思われていたんでしょう。

どんな仕事かというと、簡単にいえばコンクリートを削る、壊す仕事です。手に持った機械でコンクリートを「ダダダダダッ」と
先の尖ったピックで壊しているのをみたことありませんか?

コンクリートを削る、壊すことを「斫る」読み方ははつるというようです。

あの機械も20Kgや30㎏となかなかの重量でした。

いろんなところのコンクリートを壊したりするので
現場によっては
「こんなところのコンクリートを壊すの?」とビックリするような場所もありました。

一番怖かったのが、首都高速の道路の裏側の現場でした。
高速道路の裏側まで下から組まれたはしごを使って重い機械をかついで
上るんです。
天気も悪く、風もつよくてはしごが揺れる。
高い所が得意ではない私はマジで泣きそうになりました。

このあとも高所での作業現場がいくつかあり、何度も泣きそうになりながら
仕事をしていました。

勤めて半年近くになって日給も13,000円もらえるようになっていましたが
会社の仕事が激減します。
7日連続で休みとか、ちょこちょこ休みの日が増えてきて日給の私は
生活に困ってきました。

社会保険もないので健康保険や年金、住民税も滞納することに。

せっかく知り合いの誘いで入った会社ですが、このままでは生活ができなくなると判断し次の就職先を探し転職することを決めます。
約8ヶ月こちらの会社にはお世話になり、肉体労働や外国人労働者と働くという貴重な経験をつませていただきました。








事務機販売


ペンキ屋


半導体工場①


軌道工


造花工場


半導体工場②


半導体工場③


葬儀屋



半導体工場④



半導体工場⑤



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