交通事故で亡くなったおじいちゃんが教えてくれた人生の教訓
こんにちは。ゆうとです。
タイトルにある通りなんですが、僕はおじいちゃんを交通事故で亡くしています。
僕が20代前半の頃だったから、かれこれもう10年以上前のことです。
だから、悲しみや怒りは、すでに癒えています。
ただ、あの事故から僕が学んだ「人生の教訓」があるので、シェアさせていただきたいなと思い、この記事を書くことにしました。
僕が学んだ教訓とは、
「愛の言葉」は惜しみなく伝えたい
ということなんですよね。
大切な人がいる生活は、決して当たり前なんかじゃないから。
ある日突然、会えなくなってしまったおじいちゃんを思い出す度に、「もっとたくさん愛の言葉を伝えておけばよかった」という後悔が自分から溢れ出ます。
あなたは、大切な人に「ありがとう」とか「愛してるよ」とか「大好きだよ」と、伝えられていますか?
僕は、ちょっと引かれるくらい、多めに伝えています。笑
でも、引かれても良いんですよ。伝えずに終わるくらいなら、引かれた方が良い。
だって、「ありがとう」「愛してる」「大好き」を伝えられて、嫌な気分になる人なんていないと思うから。(恥ずかしさを感じる人は、いると思うけど)
だから、僕はことあるごとに、チャンスさえあれば、かなり積極的に「愛の言葉」を贈るようにしています。
両親にも「産んでくれて、育ててくれて、ありがとう」は、何度も伝えているし。
妻や家族にも「愛してるよ。大好きだよ。いつも、ありがとう」を、毎日伝えているし。
仲間やお客様にも「いつも、ありがとう。みんな大好きです!愛してるよ〜!」と伝えるようにしています。
中には「あんまり、愛の言葉を使いすぎると、軽くなるよ〜」なんて言って来る人もいるけど(僕の妻とか)、僕にとっては関係ない。とにかくたくさん伝えたい。
数日前に、僕の誕生日がありました。
人生であんなにも幸せを感じられた誕生日は、ありません。だって、去年よりも幸せだったもん。だからきっと、来年はもっと幸せな誕生日になると思う。
みんなから「おめでとう」を言ってもらえた喜びよりも、「ありがとう。大好きだよ。愛してます!」と伝えられる人たちが、身の回りにたくさんいてくれることが幸せだな、と感じました。
そんなことを感じながら、僕が今を生きていられるのは、おじいちゃんの死があったからからじゃなくて、おじいちゃんが、生前からずっと僕に愛を注いで育ててくれたからなんだろうな、と思うんですよね。
人生に迷いそうになったとき。
ブレてしまいそうになったとき。
そんなときはいつも。
「僕は今、おじいちゃんに、誇れるような生き方ができているかな?」を自分の基準に、判断するようにしています。
ーーー夕日が差す、田んぼのあぜ道。
優しく僕の頭を撫でてくれたおじいちゃんの笑顔が、あの愛が、今でも僕の中にあたたかく残っています。
恥ずかしがらずに、愛を伝えよう。愛はなくならないから。
もったいぶらずに、愛を広げよう。愛は自分とみんなを幸せにするから。
僕のnoteを読んでくださっているあなたへも。
いつも、本当にありがとう。
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