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僕が起業した本当の理由は「生きている実感が欲しかったから」なのかもしれない

「死んだ魚みたいな目をしているね」

20代の頃。僕は、他人からそんな言葉をかけられることが多かった。


毎日、晩酌とタバコで、日々のモヤモヤをウヤムヤにしながら、毎朝ため息混じりに職場へ向かう。

僕にとっての「仕事」は、「給料をもらうために仕方なくやるもの」だった。

休日は趣味にお金を使ったりしながら過ごしていたから、きっと人生ってやつも、こうしてお金と時間を消費しながら、なんとなくやり過ごしていくものなんだろうなと思っていた。

そんな生き方をしていたから、周囲から「死んだ魚みたいな目をしている」なんて言われても、「そりゃそうだよな」くらいにしか、思っていなかった。納得だ。


でも、そんな自分に「情けなさ」を感じる瞬間がたくさんあった。

とくに、上司から「自分の頭で考えなさい」と言われる瞬間が辛かった。


2018年。政府が「副業」を解禁した頃。ネット上では「思考停止」という言葉が流行っていた。

「思考停止していないで、自分のチカラで稼げるようになろうぜ!」

という具合に。

(記憶が正しければ、たしかイケダヤハトさんが先陣を切るように情報発信していた気がする)

当時の僕は、自分では認めたくなかったけれど、間違いなく「思考停止人間」だったと思う。

上司から指示を出されれば、動くことができたけれど、自発的には、全く動くことができなかったからだ。

しかも、お恥ずかしながら、「福利厚生」というものが、どんな仕組みなのかさえも分かっていなかったから、文字通り会社に飼ってもらっているような状態だった。

でも、飼ってもらっているくせに、いっちょ前に上司や会社の文句は言えたから、きっと僕は「優秀なポンコツ社員」だったのだと思う。

そうだ。恥晒しついでに、もっと過去の情けない自分を晒してしまおう。

当時の僕は、彼女(今の妻)のアパートに転がり込むようにしながら生きていたから、自分の「住処」の仕組みすら分かっていなかった。

家賃も電気代も食費も、どんな流れになっているか不明瞭だった。今思えば、最低だな。


こんな具合に、周りに依存しまくって生きていたから、僕はいつしか、自分の人生なのに「自分で決める」ということを放棄して生きるようになっていた。

だって、その方が「楽」だったから。

上司の指示通りに動いた結果、もし失敗したなら、上司のせいにしたら良い。そうすれば、自分は「責任」を負う必要がない。

僕はいわゆる「他責思考人間」だった

でも、何年かぼんやりとした適当な生き方をしていると、さすがに「ヤバさ」を感じるようになってくる。

「決断」を手放した人生は、「人生の舵」を他人に委ねてしまっている状態だからだ。

自分の人生なのに、なぜ生きているのかがわからないという状態は、とても大きな「不安感」に変わっていった。

舵を取ることをやめた船が遭難してしまうのと同じように、僕は人生という名前の海で、完全に遭難していた。


「君はどうしたいの?」という問いには、全く答えられなかったし、もちろん将来の設計なんて存在しない。

全てをぼんやりとしか捉えていなかったから、人から投げかけられる質問には、いつも曖昧な返事しかできなかった。

おまけに、仕事を適当にやっている“後ろめたさ”のようなものもあったから、いつもオドオド・オロオロしながら生きていた。だから、

毎日に色がなく、世界がモノクロに観えていた。


そんな自分が嫌になりすぎて、爆発した結果。

「自分のチカラで生きられるようになりたい」と、思うようになったのだと思う。

その想いを、言葉にしたかどうかは覚えていないけれど。

でも、きっと、潜在的に強くそう思ったはずだ。そんな感覚だけは、未だに残っているから。

「モノクロな毎日」に自分の手で、自在に色をつけられるようになりたかった

人生を変えるために、何からしたら良いかなんて全くわからなかったけれど、とにかく「面白いことをしよう!」とだけ思った。

でも「面白い」ってなんだろう?

わからないけれど、とにかく「面白そうな方向」には進んでみようと決意した。


これが、僕にとってはとても良い決断だった。

「面白いこと」の中には、もれなく「めんどくさい」が紛れ込んで来てくれるからだ。

「めんどくさい」を乗り越えない限り、現実を変えることはできない。

だけどそれは、「めんどくさい」さえ受け入れれば、人生を変えることができる!という発見にも繋がった。


思いつく限り「面白そうなこと」を片っ端からやってみた。

  • 資格を取得したり

  • バンドをやったり

  • ストリートライブをしたり

  • イベントを主催したり

何がどんな未来に繋がるかなんてわからなかったし、お金もたくさんかかったけれど、それらの挑戦のおかげで「生きている」という感覚を、取り戻すことができた。

そして、「感覚」が分かってくると、次第に「もう少し面白いことがしたい」という“欲”が出て来るようになった。

それは、子どもの頃、自転車に乗れるようになったら、片手運転や手放し運転にも挑戦したくなったような、無邪気で純粋な“欲”だった。

自分がやったことで「お金」を稼げるようになってみたくなった

「お金を稼ぐ」をする。ということは、つまり「プロになる」ということだ。

「プロ」という言葉の響きはかっこいいけれど、プロになるためには、今までの人生で避け続けてきた「責任」というやつに、向き合わなければいけない、ということでもあった。

それが、ものすごく嫌だった。

だって、責任のない人生の方が「楽」なことを知っていたからだ。


でも、僕は「楽」がしたかっただけなんだろうか?


いや違う。絶対に違う。

僕が本当にしたかったものは「面白いこと」のはずだ。

僕はこのたった一度しかない人生を「楽(らく)」がしたくて生きているんじゃない。「楽しい」がしたいから生きているはずなんだ!と気づいた。


「楽しい」の中にも、もれなく「めんどくさい」が含まれている。

きっと「めんどくさい」は、「人生」というゲームを楽しくさせてくれるための大切な要素なんだな、と悟った瞬間だった。


そんな風に考えられるようになってからは、人生がものすごく生きやすいものに変わった。

仕事の「めんどくさい」を受け入れれば受け入れるほど、収入と人脈が増えて、人生がどんどん「面白い」に向かうようになったからだ。


気がつくと、会社員から脱サラして、自分のチカラで稼げるようになっていたし、全ての「責任」を自分のコントロール下に置けるようになっていた。

僕は10年前に見失った「人生の舵」を取り戻すことに成功したんだ。


今は、好きな場所で、好きなときに、好きな人とだけ仕事をしながら、自在に「働く」ができるようになったし、

「面白いこと」を追求して行くことで、大切な家族や仲間たちに「貢献」をする喜びすら感じられる人生になった。

だから、ものすごく「生きている実感」を感じることができている。

もちろん、全ての「不安」がなくなったわけじゃない。でも、「不安」すらも、「僕のもの」になった。


「未来のこと」なんてわからない。だけど、今は「描きたい未来」が僕の中にある。

モノクロだった世界に、自分の手で色をつけた結果、

僕の世界にイロドリが溢れるようになった

それは、すごく嬉しいし、豊さを感じる感覚だった。

とはいえ、まだまだこの人生を描き切るためには、足りていない色があるとも感じている。

現実的なことを言えば、子どもたちを育てあげるためのお金も必要だし。(笑)

でも、「なんとかなる」という自信がある。

それは、当時のような漠然とした「根拠のない自信」なんかじゃなくて、過去の自分自身が築いてくれた実績に基づく「なんとかできる!」という自信だから、心からの自分に対する信頼感だ。


だから、利己的なことを堂々と言ってしまえば、僕が「起業」を志した本当の理由は、「自分のため」だったんだ。

「この人生は自分のものである」という実感が欲しくて、起業した。


でも自分に自信が持てるようになった今は、

「その人生はあなたのものだよ」と伝えることが、僕の役割であると思えるようになった。

だからきっと、周囲から「死んだ魚みたいな目をしているね」なんて言われた絶望的な過去から、自分のために生きてきた利己的な過去まで、全部含めて、

僕が「伝える側」に立つに“ふさわしい人間”になるための準備期間だったんじゃないかな?と思っている。

絶望的な過去も、暗い人生も。未来の自分からのギフトなんだ

と考えてみたら、観方が変わって来そうだと思いませんか?

最初は利己的で良いんですよ。

他人のために!とか、世界のために!なんて、綺麗ごとはなくても良い。

「自分」を満たし続ければ、勝手に「溢れる」が起きて、「与える」がしたくなる未来が来るから。

そのときが来たら、ご恩返しの人生を歩みはじめたら良いんです。

僕はこれからの人生を通して、今まで僕を育ててくれた全てのヒト・モノ・コトに対する「恩を返し」を何万倍にも膨らませて返し続ける生き方をすると決めています。

この使命に気づいてしまったからには、「めんどくさい」こともあるとは思うけど、やりたいじゃないですか。

だって、その方がきっと、もっともっと「面白い人生」になると思うから。

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