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数字とわたしたちの生活。

数字。わたしたちの生活の至る所にいる。あるのではなく、いる。数字の裏の、呼吸を感じとる。それが、今のわたしたちの生活。

Twitter、気づけば安定していいねがつくようになりました。わたしがわたしの感情を残したい時、その感情の端切れ、メモのようなものとして使っている、というスタンスは変わりません。でも次第に、人が集まるようになった。いいねの欄にいるのは、大体同じ人です。夢中になって文字を打ち、ツイートする。タイムラインに流れたわたしの呟きを見て初めて、あ、これはこの人に刺さりそうだな、と思う。そうすると、あとで大抵、その人からの反応が来ています。そうやって、心が繋がっているような感覚、とても嬉しい。見ました、という意味でいいねをくれる人もいるし、共感、の意味で押してくれる人もいる。間違えて押した人がいたとしても、少なからず、その人のタイムラインにわたしが存在したという証明になる。この感覚を、とても大切にしています。Twitterのいいところは、だれかのいいねが他のタイムラインに表示されること。わたしがいわゆる「リア垢」を使っていた時は、この機能が嫌でたまらなかった。でも、今のアカウントは、なんとなくどこか繋がっている人たちの嗜好を知れる、だからこそ、好きがどんどん広がっていく、とても良い空間。わたしは、好きなアイドルやバンドも、このアカウントでフォローしている。正直、アカウントを変えようと思った。けれど、「今のSNSは系統にとらわれすぎて内面をさらけ出せない空気が流れている」という内容のツイートを見かけてから、わたしの「好きを分ける」という行為はやめた。それが誰かを遠ざけるきっかけになってしまったとしても、わたしに悔いはない。とても呼吸のしやすい場所が、またひとつ生まれた。


LINEのオープンチャットという機能を使って、ただただその日の出来事や感情を呟く部屋を作った。一方通行な会話、なのにどこか繋がりを感じられる空間。わたしが創りたかった居場所を、みんなが創ってくれました。「無条件で全肯定するの会」。今のメンバーは8人。説明文を下に書いておきます。みんな、待ってる。

オープンチャット「無条件で全肯定するの会」
https://line.me/ti/g2/SnmlQ0qTImBZ0SjJBBFqhg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default
否定という言葉は存在しません。日々、言葉が流れます。わたしにとって必要な言葉、あなたにとって必要な言葉、違っている、なのに時々、重なる。わたしとあなた、一方通行の言葉に触れることで、わたしを肯定できたなら。そんな場所を、手探りで探している。

このオープンチャット、実はしばらく止まっていた。最近、といっても、もう一か月ほど前の話になるのかな。なんとなく止まっていた空間のことを、思い出させてくれた人がいました。そして、優しく𠮟ってくれた。もしかしたら、そんなつもりはなかったのかもしれないけれど、わたしには優しい鞭のように感じました。わたしは、わたしが創りだした空間で、なんとなくみんなが動いてくれると思っていた。期待も強制も、わたしから動くこともしない、それが自由だと思っていた。でも、その人は言った、「人は人に集まる」「集めた人が動かないとき、ほかの人はなかなか動き出せない」って。わたし、自由の意味を履き違えていた、とようやく気づけました。まさに、目から鱗。同時に、そんなことも分からなかったわたし、悔しくなった。だから、動き出した。出来る限り毎日、今も、わたしはオープンチャットに行きます。ひとりで話している時もある。でも、必ずだれかが、リアクションを残してくれている。みんなも思い出して帰ってきてくれて、想いをぶつけたり、なんとなく思ったことを書いてみたり、逃げてきたり、生きていたり。「ありがとうございます」と言葉にしたら、「ありがとう」が返ってきた。その日、静かに泣きました。そして、わたしを動かしてくれた「その人」が、すごいよ、って、褒めてくれた。わたしはまた、泣きました。

もう少し、オープンチャットの話。わたしは、かなり飽き性。気まぐれ。なのに、ずっと続いている。66日続けたことは、しなくなると気持ち悪くなって、完全に習慣になるらしい。今までのわたしに、そんなもの、ひとつでもあったかな。無理をしている、と感じた時点でやめようと思っていました。ルームごと消そうと思っていたし、みんなに何も言わずにいなくなろうと思っていた。でも、そんな気持ちは一ミリもなくなってしまった。始まりがあれば終わりがある。けど、この終わりは、まだまだ先になりそう。

先日、初めて有料記事を出しました。300円。この記事には、300円分の価値があるか、と聞かれると、わたしには分かりません。文字数も、内容も、書き方も、いつものわたしと、何ら変わりない。でも、この数字にはちゃんと、意味があります。元々、有料記事を出したい、という気持ちは少しありました。それは、単なる興味の延長だったように思う。有料で記事を出すということの意味を、わたしは何度も考えました。でも、どんなに考えても、300円の価値の文章は書けないし、書く必要もないと思った。わたしは、わたしに向けてnoteを書いている、ということを常に意識していて、誰かに向けての作品は書かないと決めていた。だから、わたしの「有料記事を書いてみたい」という興味は、興味のまま終わっていた。そんな時、どうしても書きたい話ができました。わたしの頭の中を整理するには、書いて、それを誰かに見せる必要があった。自分にしか見せない部分で言葉を書いてしまうと、結局わたしはごちゃごちゃなまま、言葉を残してしまう。見せるという行為が、わたしの感情を落ち着かせる一番の手段だった。でも、その内容は、簡単に話せるものではなかった。「わたし」の輪郭をハッキリさせてしまうような内容、とてもこわかった。また、いつもとは違って、どうしても説明が多くなってしまう文章。他者を完全に無視して書くことはできなかった。かなり葛藤しました。でも、気づいたら、パソコンに文字を打ち込んでいた。実家の自分の部屋で、声を押し殺して泣きながら、誰にも見せられないけど、見てほしい、だから、「わたし」の輪郭に触れたい、そう思ってくれた人だけに届きますように、という願いを込めて、書いた。そして、300円という値段を設定しました。意味はあるけれど、価値はない、です。早朝、この記事に対する気持ちを綴ってくれた方がいて、わたしは救われた。価値のないところに、価値を創ってくれる人たちで溢れている、ここ。いったい、いつになったら、わたしはここで泣かなくなるのでしょうか。

数字。お金というものは、一番面白い。3000円の服を買うか悩んでいる時、一度の飲み会で同じ金額を失う、と考えると、お金の価値が分からなくなります。3000円の服は、何度も着ることができる。ワンシーズンで服を捨ててしまうわたしですが、3か月間お世話になることを考えると、服を買う価値は十分にある。と考えると、たった2、3時間の飲み会、一回きりの場で、同じ額のお金を消費することは勿体ないような気がしてくる。でも、食べ物、お酒、友人達との会話、その場の空気、これらに変わるものはどこにもない、とも考えられる。苦手な人との飲み会には参加しない、これはわたしが一着の服を買うためだと断言できる。でも、そうではない場合、お金の価値は曖昧になる。

先程話した、わたしを優しく叱ってくれた「その人」は、サークルを運営しています。わたしは、ジャニーズのファンクラブ以外に、継続して投資してきたものがなかった。飽き性だから、同じものを愛し続けることが苦手、だからどれか一つに投資してしまうと、他の物に手が伸びなくなってしまうような気がして、なんとなく避けてきた。だから、サークルに参加したときはかなり思い切った、と今になって思う。あの時は、参加したい、という感情のまま飛び込んだけれど、冷静になってみると、ジャニーズのファンクラブ代よりも高い投資。初めての経験だった。でも、その時は、「毎朝のコンビニでの買い物を三日やめるだけ」と考えていたし、それどころか「もっと価値があるのでは???」とまで思っていた、もちろん、今も思っている。お金は、本当に不思議。

わたしの恋人はお金にうるさい。貯金がないのに好きな物に目がなく衝動買いをしてしまう、そんなわたしを気にかけて叱ってくれる。でも、サークルに参加した報告をしたとき、ただ「よかったね」と言ってくれた。今までのわたしを覆す、そんな人に出会えて、その場所にわたしがいられて、そしてなにより、わたしが「幸せそう」で。

「その人」に出会ったのは、いつだっけ。初めて言葉を交わしたのは、わたしから惹かれたその人が、わたしのnoteを読み、サポートをしてくれた日。その人のおかげで、サポート機能があることを知ったし、サポートされることの喜びを知った。今思えば、ここにこうしてごまが存在し続けているのは、定期的にわたしと言葉を交わし続けてくれた、その人のおかげなのかもしれない。

初めての言葉を交わした日は、7月5日でした。Instagramのトーク履歴と、あなたがサポートをしてくれた日を、もう一度確認した。その時、あなたとわたしの周りは、あなたの詩集を受けとった人たちの喜びで溢れていた。あなたに今から購入できないか、と問い合わせたところ、もう既に売り切れていて、「次の詩集は絶対に買います」、そう約束した思い出を、この前、一緒に共有しました。

もう5月。わたしの元に、もうすぐ2冊の詩集が届きます。一冊はわたし。もう一冊は、「よかったね」と言ってくれた恋人へ。

わたしの言葉の残し方、知らない間に、その人に染まっている。染まりやすいわたしでごめんなさい、そして、ありがとうの気持ち。どんなに染まっても、その人にはなれない、し、なりたいという感情は全くない。思考が同じになることはない、近いようで限りなく遠い、親愛なる他人、そんなあなたに魅了され続けている。

最後の数字は、68。この数字から、さらに大きな数字へと変わっていることを、わたしは知っています。68、数字の答えは、この中。



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