余生の考え方

こんばんは。
皆様は余生は何歳から始まると思いますか?
定年退職してからでしょうか?
それとも何か明確な年齢がおありですか?
僕は今24歳ですが、ある意味余生を過ごしている感覚で生きています。
突然クレイジーな始まりですみません。
でも割と真剣に書いています。笑

なぜこの年齢ですでに余生かというと、
僕の経歴というか、やってきたことに起因してきます。僕は大学4年生、つまり3年前まで競泳というスポーツをしていました。始めたのは幼稚園の時からだと記憶しています。つまり大学を卒業するまでのほとんどの時間を競技に費やしてきたわけです。結果でいうとオリンピックなどの主要国際大会の日本代表には選出されずに引退しました。いわゆる選考会止まりというやつですね。いいところまではいったと暖かい言葉をかけてくださる方も沢山いました。引退時もなかなか思うような結果は出せず、正直悔しい気持ちが大きかったです。
しかし、しばらく時間が経って、色々と考えてみると少なくとも最後の1年間については、自分でも驚くほど練習に打ち込んでいましたし、あそこまでやってあの結果なのであればと自然と納得ができてしまいました。負け犬思考かもしれませんが。。。

そうして自分の引退という事実にもようやく腹落ちしてきた頃、あるテレビ番組を見ました。アナザースカイ という番組です。
たまたま五輪イヤーということもあり、同じ年で引退したメダリストの松田丈志さんがゲストでした。同じ競技でもあり憧れの大先輩です。その番組の中でオーストラリアを訪れ、世界的にも有名なコーチとの再会を果たすシーンがあるのですが、その時のコーチの言葉が忘れられません。

「君は今まで競泳という競技で本当に辛いことにも耐えてきた。よく頑張ったと思う。だからこれからの引退後の人生は、余生だと思って生きればいい。」

長い間辛い競泳を続けてきたのだから後の人生は楽しく生きようという意味だと思うのですが、僕はこれを見て少し違う解釈をしました。

長い間競泳という競技に携わってきた中で、いろんな方々の支援があり続けてこられた。金銭的な負担をして大学まで通わせてくれた両親はもちろん、高校まで面倒を見てくれたクラブチームのコーチ、大学での仲間、さらには競い合ってきた全国のライバル達。そういった人たちのおかげで僕は競技を続けてこれました。

感謝してもしきれないくらいの恩です。
僕はその時、こう思いました。
「今までいろんなわがままを聞いてもらい、好きなことを存分にさせてもらった。だからこれからは人の役に立てる人生を歩みたい。」
そんな想いをもちながら3年が経ち、
今僕は余生を存分に謳歌しています。
慣れないデスクワークをしながら、ふつうに生きて、なかなかうまくはいかないながらもお客様に「ありがとう。」と言ってもらえる仕事ができています。これほど幸せなことはない。
ちっぽけで何も力はありませんが、将来スポーツ界に役立てるような人材になれるよう少しづつ経験と知見をためています。

そんな形で24歳ながら余生を謳歌しています。
あなたにとってほ余生とは何ですか?
よろしければ、お聞かせください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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