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トマトが嫌いだなんて信じられんわ

トマトはお好きですか?この野菜って割と好きでないという人が多いみたいですが、いかがでしょう。

トマトジュースさえ飲めないという人も知り合いの中にはいます。我が家の皆にとっては「こんなにおいしいもの…なくてはならぬ」と言った感じですが。

トマトは野菜ですよね。トマトが野菜か、はたまた果物かなんて、おいしく食べられさえすればどちらでもよさそうなものですが、アメリカではこの問題がまじめに議論されたことがあるのだそうです。「果物である」とする植物学者と「野菜」だとする農務省が争って裁判沙汰になったのだそう。

で、どちらに軍配が上がったと思いますか?

結局、農務省の言言う「トマトは野菜説」の方でした。

その理由?なるほどとは思います。

トマトは食事中に食べますが、デザートとしては食べない。したがって「トマトは野菜である」ということだそうです!

そんなわけでめでたく野菜と言うこと、そんな判決に。

食べ物として重宝がられているからこそ、こんな議論も生まれるのでしょうか。しかし、この野菜、その昔は随分嫌われていたのだそうです。

トマトの原産地は南米、アンデス山脈の公言、インカ帝国のあったあたりと言われています。インディアンによって中米やメキシコに伝えられ、やがてヨーロッパに移植されて行きました。そう、コロンブスがヨーロッパにもたらしたのです。

しかし、ヨーロッパではトマトは毒があるとして、食用にはされず、長いこともっぱら観賞用として栽培されていたのだそうです。食用になるまでにはヨーロッパにそれがもたらされてから2世紀以上の年月が経っていました。コーヒーやジャガイモと同じようにローマ法王が洗礼を与えて食べられることになったのでしょうか。

日本でも同様で、食用として普及するまでにはずいぶん時間がかかりました。日本への渡来が1708年で、幕末に横浜の欧米人がトマトを食べるのを見て、食用として改めて見直されるまで観賞用として細々と命を長らえていたようです。

あのカゴメの創業者、蟹江一太郎がトマト栽培に着手したのは明治31年のことだったそうですが、栽培はしたものの買い手がつかないために、同36年にトマトソースの製造に踏み切ったとか。

この頃になってもまだ一般には普及しなかったようです。血を思わせる赤色と独特の臭みが嫌われたのでしょうか。

一般に普及し始めたのは第二次世界大戦後のことで、進駐軍の需要があり、品質改良とサラダなど生野菜を食べる習慣が定着したのが原因と言われています。

ところでトマトと全然関係のない言葉、この進駐軍がいたころの日本がoccupied Japan と呼ばれます。

occupied と言う言葉、飛行機の中のトイレに使用中と言うサインと言うことで赤字でoccupied と出てますよね。そして空いているときにはvacancyと緑字で。ホテルに部屋が空いているときにも vacancyを使います。 occupiedて「席がふさがっています」と言う時にも使います。

occupationて職業のことです。

この言葉を知った時、仕事に就く、とか就職と言う言葉のニュアンスにぴったり合う、と思ったものです。

話が横道にそれましたが、トマトって大きい方がいい?それとも小さい方が?大きいのをかぶりつく・・・私が田舎でよくしてたことです・・・畑にじかに行っては。

小さなトマト、プティトマトってお弁当とかに入れるのに便利ですよね。あれって、機内食としてトマトを使うため日本が開発したものだそうです。人間て様々に改良して様々なものを大きくしたり小さくしたり、色を変えてみたり、よくやるわ、とは思います。

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