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親孝行子視点

今年は「母の日」という言葉を見るのが辛かった。

昨年3月26日に母は旅立った。去年の母の日、私はどのような気持ちで過ごしていたのか、正直よく覚えていない。あの頃は毎日ひっそりと涙していたはずだから、「母の日」なんて言葉は、間違いなく胸に突き刺さっていたはずだ。あるいは、まだ「母の不在」をうまく飲み込めていなかったのかもしれない。

きっとそうだ。私はその時、「母の不在」を思い出しては涙していた。それはつまり、通常時は「母の不在」を忘れていたということになる。それに、まだ四十九日も過ぎていなかった。

そういう意味では、今年が「母の不在」をきちんと認識した上での、はじめての「母のいない母の日」といえるだろう。母の日の前日までは、「母の日」という字面で胸が苦しくなっていたが、いざ当日を迎えると、忙しさでそれどころではなかった。朝ひとつミーティングがあり、その後ランチミーティング。午後から夜8時まで大丸東京のポップアップで店頭接客。終了後原宿に立ち寄って用事を済ませ、夜9時半からまたミーティング。終わったのは日付が変わる直前だった。

夜のミーティングに来た方が、母のためにラベンダーの鉢植えを持ってきてくれた。それを受け取る時、私は今日母にいつも通りお線香をあげた以外に何もしていないことに気づいた。実は、母の日であったことさえもすっかり忘れていたのだ。

ミーティングが終わり、ラベンダーの鉢を母の眠る隣に置いた。危うく何もしない母の日を回避することができたわけだが、私は自身を恥じた。

それは母の日を忘れたからではない。その時私は、母の存命中に何もしてあげられなかったように思ったのだ。いわゆる「親孝行」を、私は私の納得する形でしてあげることができなかった。

何をもって「親孝行」と呼ぶかは、「親の立場」と「子の立場」で全く異なるだろう。前者においてはあるいは、子がちゃんと生活を営んでいることだけでも孝行と捉えるかもしれない。私はまだ親の経験がないので、親になった人の話を聞いた上での想像でしかないのだが、その気持ちがわからないでもない。

一方で、後者の「子の立場」での親孝行というのは、その子が親に対して何をしてあげたいと思うかによって大きく変わってくるはずだ。

私は、母からの無償の愛を一身に浴びることができた。だから、たくさんのことを彼女に返してあげたかった。その気持ちは本当だった。

ただ、それができなかった。私の立身がひどく遅かったのと、母の旅立ちが少し早かったのが、その理由だ。後者は不可避だったが、前者はもしかしたらどうにかなったかもしれない。

どうしてどうにかしなかったのだろう。


「母の不在」が私の中ではっきりと認識できるようになった今、それが“どうにもならないこと”であることも併せて明確になっている。それは思いの外歯痒いことだ。そして私はきっと、この歯痒さを一生背負っていくことになる。あの時もっと親孝行しておけばよかった…と悔やみ続けるのだ。

一度くらいは、旅行に連れて行ってあげたかったなぁ…


もう母の日は終わってしまったけど、この文章を読んでいるあなたのお母様がもしご存命だとしたら、少し無理をしてでも、何かしてあげる、というのはどうだろう。それはお母様のため、というよりかは、あなた自身のために、きっとなるから。

そしてそれは、同時にお母様にとっても、素敵な思い出になるはずだから。


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