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『尊敬する人』が思いつかなくても大丈夫。まだ"出会えていない"だけだから

わたしは、「尊敬する人は?」の質問が苦手だった。
『尊敬する人』なんてきかれてもまったく思いつかない

テレビで「両親を尊敬してます」とか、「育ててくれた両親に感謝したいです」なんてメッセージを見ると、社交辞令というか、ありえないことすぎて体の一部がムズムズするような感覚におそわれた

面接のために「尊敬する人は誰だろう・・?」と考えたこともあったけど、『尊敬する人』って探すものじゃない。きかれてパッとこたえられるのが真の『尊敬する人』であって、考えて出した人は『尊敬してなくも・・ない人』。そんなレベルで、『尊敬する人』からは程遠い存在だと思う


自然に両親のことを「尊敬しています」と言える人は、本当に尊敬にしているのだろう。世の中には、子どもを本気で想ってくれる親も必ずいる。

自分の夢を子どもに託す親じゃなくて、子どもの自発的な夢を応援できる親。学校に行けないときに「学校行け!」とは言わずに「そんなときもあるよね」と優しく受け入れてくれる親。
「両親を尊敬しています」と言えるのはそんな親だからだと思う


今、尊敬できる人が思いつかなくても大丈夫。『尊敬する人』はきっと見つかる
わたしだって、『尊敬する人』と出会えたのは30歳を過ぎてから。

自分の心の深いところに向き合って直感を信じていろいろ行動してから、
見える景色がガラッと変わった。自分のほんとうの性格、大事にしている価値観、どんな生き方をしたいかなどなど、いろんなことが分かってきて、30歳を過ぎてやーっと、「毎日が楽しいかも!」と思えるようになった

あのときずっとそばにいて、話を聴いてくれたのが妻。
わたしは妻をとても尊敬している。
妻は大事な話をするときちゃんと目を見て、真剣に話を聴いてくれるんだもの。

真剣に話を聴くって、簡単そうで難しい。
スマホでSNSを見てるときに「ねえねえ」と話しかけられたら、とりあえずSNSを見ながら話を聞こうとする。それがふつうだと思う。わたしもやってしまった経験があるし、されたこともある


だけど妻は、大事な話のときは必ず、手を止めて話を聴いてくれる。
話をそらさずにちゃんと聴いてくれる。
わたしの両親は、大事な話の途中で必ずテレビや家事に夢中になり、話の本題の途中で必ず話をすり替えていた。
妻と出会ってからのわたしは、「ちゃんと話を聴いてもらえるだけで、こんな気持ちが安定するんだ」と驚くほどだったし、だからこそ妻を尊敬している

ほら、本当に『尊敬する人』なら、理由がスラスラと出てくる。ひねり出さなきゃ理由が出ないなら、それは『尊敬する人』じゃない




尊敬する人がすぐに出てこないなら、「尊敬する人はいません!」と答えてもまったく問題ない。「今、探しているところです」と伝えても良いかもしれない

昔のわたしは、「分かりません」とか「いません!」と言ったら怒られる気がしていたから、消去法で『尊敬する人』を伝えていた。だけどいないものはいないし、分からないものは分からない

もしあのころのわたしと話ができるなら「尊敬する人がいないのはおかしいことじゃないよ。まだ巡り合えてないだけだから」と優しく伝えると思う。




『尊敬する人』がいても、『尊敬する人』が思いつかなくても、そんな自分を受け入れていけたら、人生はきっと、今よりも少し楽しくなる。

昔は「尊敬する人がいないのはダメだ」と思って自己否定していたけど、少しずつ自分を受け入れるトレーニングをして、今では「どんな自分でもそれが本当の自分ならOK」と思えるようになった。5年前に比べて朝の憂うつ感が減ったのは、自分を受け入れられるようになったおかげ


『尊敬する人』がいる人は、その人を参考に。いない人は、これからの人生でゆっくり『尊敬する人』を見つければOK。

わたしのように30歳をすぎて出会える人もいるのだから、安心して大丈夫🕊

ここまでお読みいただきありがとうございました


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