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相手のことを知りたいという愛ある興味関心の力

いきなり結論ですが、
「相手のことを知りたい」という興味関心を示しながら、人とコミュニケーションをするのは大事だよ、という話をしたいと思います。

人生では、いろんな人に出会います。
80年生きていく中で、80億人くらいいるこの地球の上で。

人生でなんらかの接点を持つ人は、30,000人
学校や仕事を通じて近い関係になる人は、3,000人
親しい会話ができる人は、300人
友達と呼べる人は、30人
親友と呼べる人は、3人

一般的に、こんな3にちなんだ数の人々と、生きているうちに出会うみたいです。出会いって奇跡的ですよね。
そしてこの方々と、基本的には毎日だれかと何らかのコミュニケーションをとりますし、初めて会う人とも会話して対話すると思います。

そのときに、「その出会いがつながりになっていくかどうか」ってすごく大切だと思うんです。なんとなく会って、ただなんとなくすれ違っていくのか。
一方で、その出会いによって人生が広がったり、深まったり、学びになったり、あったかい気持ちになったり。人との出会いを、少しでも人生にプラスになるようにできたら、この世界の生き方って大きく変わると思うんです。

そのために、これが大事じゃないかなと思っていることが、「相手への興味関心」です。しかも、これを心の底から持つこと、そして相手への興味関心だけでいく、という真っ直ぐな気持ちです。

間を持たせるための質問

「相手への興味の純度」が下がることとして、「間をもたせるための質問」があります。明るい人、ファシリテーションをよく頑張る人の中では、この間をもたせる質問が上手な人もいると思います。大事なテクニックです。

ここで伝えたいのは、「間はもつけど、深まるのか」という問いです。というかそもそも、「何のために間をもたせたいのか」ですよね。

気まずいのが嫌だから
面白くない人と思われたくないから
ぎくしゃくする時間が怖いから

いろいろあるんだと思います。共通しそうなのは、「相手からのジャッジ」への不安や恐怖かなと思います。それを避けるために、どうにか質問を投げることで、目線をそらすというか回避するというか、紛らわせる感じです。
ただその手法の欠点は、長くは効果が続かない、ということです。

いずれ、みんななんとなくそれに気がついていって、なんとなく面白くなくなって、なんとなく互いに気を使い合う感じになって、「できれば参加したくないし、質問されるのも困る」みたいな感じになりかねません。

「相手への興味」のいいところ

これは、シンプルに、「嬉しい」ということです。ただこれだけなんだと思います。「間を持たせるための質問」は、問われた方も気がつくんですよね。別に、自分に興味があって聞かれているわけではない。だから、当たり障りなく、その場にあったことをなんとなく話そう、そんなふうに気を使って話すんだと思います。

一方で、自分に興味のベクトルを向けてもらうと、嬉しくなって、「ぜひ話したい!」となりやすいです。生きていていろんな人に出会う中で、みんな忙しい中で、貴重な時間の中で、自分に興味を向けて話を聞いてくれる時間ほど、ありがたく嬉しいことはないんだと思います。直感的に、そういう感情になるんじゃないかなと思います。

だからこそ、その「相手への関心」という聖域に、まっすぐいききる、ということが大切だと思います。相手への関心があるように見せて、実は間をもたせるためだけの質問、とかしようものなら、それが相手に伝わってしまおうものなら、「あーこの人はそういう人なんだな」っていう感じで仕上がっちゃうんだと思います。

訓練が必要かもしれませんが、
「相手への興味関心を持つことが大事」ということを頭で理解して、それをやらないと、と思って実践するフェーズから、
もはやそれに没頭して、真に心からそれを実践できるようになるフェーズまで、ぜひ訓練を重ねていってほしいと思います。

絶対に、できると思います。なぜなら、きっと子どもの頃は、みんなそうして生きていたんじゃないかなって。大人になるにつれて、社会と出会うにつれて、「ジャッジの不安」を回避するために身に着けたテクニックから、いつしか抜け出せなくなってしまったのかもしれません。
その快適で傷つかないテクニックを、手放したくないのかもしれません。

これからの人生で、出会える人は限られています。いまあるつながりや人間関係の中で、より心で人とつながり、豊かな時間を過ごしていくために。

今一度、「相手への興味関心」というピュアなところに踏み込んでみてはいかがでしょうか。きっと、相手は嬉しいと思います。

じわじわと、一緒に少しずつ。
おずも。

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