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[日本語訳]ナシーム・ニコラス・タレブの卒業式スピーチ

ブラックスワンで一躍有名になったナシーム・ニコラス・タレブが2016年にしたスピーチになります。

最初から最後までタレブ節、かっこよすぎです。


タレブから私が影響を受けていること

  • 身銭(時間、お金など)を切らないと何も得られない

  • 毎朝鏡をみて、18歳の自分がいまの自分を見て憧れるかどうかで自分が成功しているか判断する。

  • ナンセンスにははっきり口に出して言おう。


原文

https://www.fooledbyrandomness.com/AUBCommencement.pdf

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日本語訳 (deepL翻訳に多少の手直しをしています)

卒業される皆さんへ、
この卒業式に出席するのは初めてだ(自分の卒 業式には出席していない)。さらに、まだ成功し た実感がないのに、どうやって成功のお説教をす るのか考えなければならない。

脆弱な構造としての成功
それは、毎晩鏡を見て、18歳の頃の自分を失望さ せていないかどうか考えることだ。評判でも、富 でも、コミュニティでの地位でも、襟の飾りでも なく、その人だけが判断する。恥を感じなければ 、あなたは成功者なのだ。それ以外の成功の定義 は、すべて現代風に作られたものだ。
古代ギリシャ人の主な成功の定義は、英雄的な 死を遂げることだった。しかし、レバノンでさえ も、武道的でない世界に生きる私たちは、成功の 定義を、集団の利益のために英雄的な道を歩んだ こととして、狭義でも広義でも、望むままに適応 させることができる。かつて秘密結社には、「自 分のために何かをし、他のメンバーのために何か をする」というウオモ・ドノーレのルールがあっ た。美徳は勇気と切り離せない。人気のないこと をする勇気のように。それは人類である必要はな く、ベイルート・マディナティや地元の自治体を 助けることでもよい。ミクロであればあるほど、 抽象的でなければないほどいい。
成功には脆さがないことが必要だ。私は、億万長者がジャーナリストに怯える姿や、義理の兄弟が 大金持ちになったことで押しつぶされそうになる裕 福な人々、ノーベル賞受賞者がウェブ上のコメント に怯える姿を見てきた。上に行けば行くほど、転落 はひどくなる。私が出会ったほとんどすべての人々 にとって、外的な成功はもろさの増大と不安の高ま りとともにやってきた。最悪なのは、4ページの履 歴書を持つ "元なんとか "タイプで、退任後、隷属 的な官僚の注目の的となり、気がつくと捨てられて いる。
ちなみに、ストイック派はフェニキア人の一派で ある。(ストイック派って誰だろうと思う人がいた ら、私は態度に問題のある仏教徒と言いたい。レバノン的でもあり、仏教的でもある)。私の村 アミウンでは、部族に関わる地域住民であること を誇 り に し て い る たくましい人たちを見たこと がある。あるいは、ソビエト崩壊後の困難な移行 期に、月収200 ドルを誇り、20 人から評価される 仕 事 を し て いたロシアの数学者たちは、自分の 勲章を見せたり、賞を受け取ったりすることは、 自分の貢献に対する弱さや自信のなさの表れだと 考えていた。そして、信じられないかもしれない が、裕福な人々の中にもたくましい人はいる。


個人史
さて、私自身の生い立ちを少し。みんなには内緒 だが、深い哲学的考察から生まれたと思われてい ることは、すべて着飾ったものだ。人々は信じた がらないが、私の教育は、学校の助けを借りて、 取引とリスクテイクから生まれたのだ。
私は幸運なことに、現代市民というよりも、古 典的な地中海や中世ヨーロッパの人々に近い経歴 を持っている。私の両親はバブ・エドリスのアントワーヌ図書館に口座を持っていて、大きな図書 館を持っていた。両親は自分たちが読みきれない ほどの本を買っていたので、誰かが本を読んでく れるのを喜んでいた。また、父はレバノンの博学 な人、特に歴史学者を知り尽くしていました。だ から、イエズス会の神父を夕食に招待することが よくあったし、彼らは学際的な博学さを持ってい たから、私にとって唯一のお手本だった。だから 、私は知性よりも博学を重んじた。そのためには 大量の本を読む必要があり、レバノンのバカロレ アプログラムだけの知識では何の強みもない。だ から私はほとんど毎日学校をサボり、14 歳のとき から貪欲に本を読み始めた。その後、私は他人か ら押し付けられた教科に集中できないことに気づ いた。学校は資格取得のため、読書は教養のため と割り切っていた。


ファースト・ブレイク
私は焦点が定まらないまま少し漂流し、23 歳まで レバノン大小説の8ページ目にいた(私の小説年に1ページずつ進んでいた)。その後、ウォート ンで偶然に確率論に出会い、それに夢中になった 。しかし、私が言ったように、それは高尚な哲学 や科学的なハングリー精神から来るものではなく 、マーケットでリスクを取っているときのスリル とホルモンの興奮から来るものだった。友人から 複雑な金融デリバティブの話を聞き、私はそれを 仕事にしようと決めた。トレーディングと複雑な 数学の組み合わせだった。その分野は新しく、未 知のものだった。でも、数学的にはとても難しか った。
欲と恐怖は教師だ。私は、平均以下の知能しか 持たないが、薬を手に入れるために最も巧妙なト リックを使うことができる中毒患者と同じだった 。危険と隣り合わせになると、突然、私の中に第 二の脳が現れ、これらの定理が面白くなった。火 があれば、どんな競技よりも速く走ることができ る。しかし、現実的なアクションがないとき、私 はまた馬鹿になった。さらに、トレーダーとして 私たちが使う数学は、応用を求める理論的な学問 とは異なり、グローブのように私たちの問題に適 応していた。実用的な問題に数学を適用するのは 、まったく別の仕事であり、方程式を立てる前に 問題を深く理解する必要があった。だから、12年 間クオンツ・ファイナンスに携わった後に博士号 を取得するのは、単純な学位を取得するよりもず っとずっと簡単だった。
私はその過程で、経済学者や社会科学者がほと んど常に間違った数学を問題に適用していること を発見した。彼らの統計ツールは単に間違ってい るだけでなく、とんでもなく間違っていた。彼ら の手法は「テール・イベント」、つまり、まれで はあるが結果的に起こるジャンプを過小評価して いたのである。彼らはそれを受け入れるにはあま りにも傲慢だった。この発見のおかげで、私は 1987年の暴落の後、20代で経済的自立を果たすことができた。
だから私は、 確率の使い方や、不確実性についてどう考え、どう管理するかについて、何か言いたい ことがあると感じていた。確率は科学と哲学の論理 であり、神学、哲学、心理学、科学、そしてより平 凡なリスク工学など、さまざまなテーマに触れる。 偶然にも、確率は8世紀にレバントで3elm el musadafatとして生まれ、メッセージの解読に使われ た。だから私にとってこの30年間は、さまざまなテ ーマを横断的に探求し、その過程で人々を悩ませ、 真面目に考える人々にいたずらを仕掛けてきた。あ る医学論文を取り上げて、「p値」をどう解釈して いるのか、自分のことで精一杯の科学者に尋ねると 、著者は恐怖におののくだろう。


国際名前落とし協会
2008年の危機が私に訪れたとき、2度目のブレークが 訪れた。しかし、危機とともに名声が訪 れ 、 私 は 名 声、有名人、キャビア、シャンパン、複雑な料理、高 価なワイン、そして主にワインのコメンテーターが嫌 いだということがわかった。私が好きなのは地元のアラク・バラディでは、イカの墨汁漬け( サビデジ)などがあり、それ以下でもそれ以上で もない。裕福な人々は、自分たちから搾り取るこ とを意図したシステムによって好みを決められる 傾向がある。私自身の好みは、ミシュランの3つ 星レストランで堅苦しく退屈な金持ちたちと食事 をした後、ニックのピザに寄って6.95ドルの料理 を食べたときに明らかになった。私は特に、有名 人に囲まれるのが好きな人たち、IAND(国際名前 落とし協会)にアレルギーがある。それで、1年 ほど脚光を浴びた後、私は自分の図書館(アミウ ンかNY近郊)のひっそりとした場所に戻り、技術 的な仕事をする研究者としての新しいキャリアを スタートさせた。私の経歴を読むと、いつも別の 人の経歴のように感じる。私がしていること、し たいことではなく、私がしたことが書かれている 。



アドバイスとスキンシップについて
私は自分の人生を描いているだけだ。アドバイス をするのはためらわれる。なぜなら、私がされた アドバイスはことごとく間違っていて、その通り にしなくてよかったと思うからだ。私は集中する ように言われたが、私は決してしなかった。決し て先延ばしするなと言われたが、私は『ブラック ・スワン』を20年待って300万部売った。本に架 空の人物を登場させるなと言われたが、ネロ・チ ューリップとファット・トニーを登場させた。ニ ューヨーク・タイムズやウォール・ストリート・ ジャーナルを侮辱するなと言われた。侮辱すれば するほど、彼らは私に好意的になり、論説を募集 するようになった。腰痛のためにウェイトリフテ ィングを避けるように言われ、ウェイトリフティ ングの選手になった。
もし自分の人生をやり直さなければならないと したら、私はこれまで以上に頑固で妥協を許さな い人間になるだろう。
何事も利害関係なしに行うべきでない。アドバイスをするなら、それによって損失を被ることも 必要だ。これはシルバー・ルールの延長線上にあ る。そこで、私がどのようなトリックを採用して いるかをお話ししよう。

  • 新聞を読んだり、ニュースを追いかけたりして はいけない。納得するには、去年の新聞を読ん でみるといい。ニュースを無視するという意味 ではなく、出来事からニュースに向かうのであ って、その逆で は な い と い う ことだ。

  • 何かナンセンスなことがあれば、それを口に出 し、大声で言う。少しは傷つくだろうが、反脆 弱性になる。長い目で見れば、あなたを信頼す べき人々はあなたを信頼するだろう。 私がまだ無名の作家だった頃、ブルームバーグ ・ラジオのインタビュー中に、インタビュアー がくだらないことを言っていたので、スタジオ から出て行ったことがある。その3年後、ブル ームバーグ誌は私のカバーストーリーを掲載し た。地球上のすべての経済学者は私を嫌ってい る(もちろんAUBの経済学者を除いて)。 ハンニバル以来の勇気あるレバノン人、ラルフ ・ネーダーに励まされ、私はモンサントのよう な悪の大企業を暴露することで風評リスクを負 い、そのために中傷キャンペーンを受けた。

  • ドアマンには、大ボスよりも少し敬意を払って 接する。

  • 税金や義母との面会を節約するためだ。なぜか ?あなたの生物学は最高のナンセンス探知機だからだ。


ノー・ノー
私の本にはこのようなルールがたくさんある。
以下 は禁句である:
力なき筋肉、信頼なき友 情、リスクなき意見、美 学なき変化、価値なき年
齢、
栄養のない食べ物、公正さのない権力、厳密さのない事実、博識の
ない学位、 不屈の精神なき軍国主義、文明なき進歩、深みのない複雑さ、 内容のない流暢さ、 そして何よりも、寛容のない宗教。

ありがとう。





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