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聖書解釈について思うこと

昨日、とあるクリスチャンファミリーさんとお喋りしてた。

いろいろな話をしていたけれど、
特に驚いたことが

「聖書にあることでも、証拠がないと信じない」立ち位置の人がいたりするって話。

私の中では「聖書に書かれていることはすべて真実で、本当に起こったこと&これから起こること」としか考えてなかったから、
かなり衝撃的だった。

また、同じ出来事を書いている箇所でも
相違があったら「これは間違いだ」と考える人もいるのだとか。

牧師さんでもそう考える人がいるのだとか。
(個人的には、聖書に誤りがあるなら何を信じているのか?とツッコみたくなるところではある)

その話を聞いて、改めて
「私の考えはどうだろうか?」と思った。

ので、まとめてみる。

※神学校に行ったりしたわけではないので、
あくまでも一個人の考えです。

私はどう思うのか?

・聖書に書かれていることはすべて真実である

・聖書は、「霊感によって啓示を与えられた人が記録した書物」である
→例えば、各福音書で同じ出来事を書いていても
微妙にニュアンスが違ったり、「ルカの福音書には書かれてないけどヨハネでは詳しく描写されてる」とかはある。
けれど、それはあくまでも「書いている人の視点が違う」がゆえの違いであって、
そこに書かれている出来事の本質とかは変わらない。

(たとえるなら、りんごを食べた人が何人か
りんごについて説明するとき、
「酸っぱい」という人もいれば「甘い」という人もいるし、
「固い」という人もいる。
そんな感じで、同じ内容を書いていても相違がある部分はそういう漢字じゃないかなと思う)

そんな感じかなぁ。

ちなみに、写本の時点でも時々「書き間違えか?」と思われるような箇所があるらしいのだけれど、
当時写本してた人たちはその誤りらしきものも全部空いてるところにメモしておいたらしい。

「なにか意図してこう書いたのか?」
「神様が意図してそうさせたのか?」

そんな感じで考えてたのかな?
なにはともあれ、
「この誤りと思得る箇所から、どのように解釈するのか?」と、
解釈する材料にするらしい。

※「隠された宝」という本の内容を私なりに理解した文章です。


↑この本

そんなこんなで、
私の見解は
「聖書に書かれていることはすべて真実である」
という結論に至るのかなぁ
てなところです!

まだまだ知らないこともたくさんあるけれど、
もっと深く知りたいなぁと思う今日このごろ。

アシュレークラスで原語から少しずつ学んでるけど、ほんまおもろい。

あとは、それをどう適用するかだなぁと考える日々です。

できてるかどうかは、
ぶっちゃけできてないけれど😅

日々、神の言葉に従うことを選び取る
その繰り返しなんだろうなと思う。