松尾友雪〈Yusetsu Matsuo〉
分類出来ないものをこの項目に並べる事にしました。(2020/10/23)
「詩 その他」から分離して、詩のテクスト情報を掲載します。
写真を始めようかと思っています
松尾が書いたアートライティングを載せる
短歌と俳句
5月19日に文学フリマ東京が開催されます。 今回は「フリーテーマ」もしくは「スマホ」というテーマで作りました。 参加作家は、つん、田村美奈、松尾、たくやの4名です。 また、掲げるコンセプトも決めてみました。 幻想的官能と煮えたぎる狂気を映す分裂的ノマドの文芸誌 今後、このコンセプトを育てて行ければと思います。 表紙が出来上がったので、公開します。 まもなく、第三十八回文学フリマが開催されます。 日時は5月19日で 場所は東京流通センターです。 同人も募集していま
箴言(シンゲン)とはアフォリズムのことである。有名なものは芥川龍之介の「侏儒の言葉」などである。 この評論ではSNSでの短いコメントと、山本夏彦、エリック・ホッファー、モンテーニュなどを比較している。 確かに、アフォリズムと比較するとX(旧Twitter)などのポストには何か根本的な違いがあるように思える。私はアフォリズム詩を多く好んで読む。ルネ・シャールなどをよく読んだ。そこには決定的な違いがある。それは純粋詩のようなものとの根本的な違いではないだろうか?伊藤亜紗著『ヴ
今回、颶vol.2の感想を書いてみようと思う。 田村美奈作「虚像は軈て(やがて)」は奇妙な構造を持った詩作品だ。序文にあたるものが二つあり、(ひとつ〜むっつ)の章がある。それぞれが独立した作品であるが、一連の流れに読める。 作者曰く「官能と分断」をテーマとした作品である。 最初に読み始めて感じることは、文の表象感と漢字のニュアンスに絶妙な差異があるところだ。「おちて」と「あげて」の対比、「往く」と「逝く」の対比は官能的であり分断的だ。言葉の端端にテーマを滲ませている。
この街にあるいくつもの孤独な睡眠が並べられたドミノのように倒れて行けば、爽快な目覚めになるに違いない。「詩は歌詞ではないから鼻歌にはなれないのさ」と巻貝が云った。不安定な記憶に課せられた秩序が綺麗に崩壊したら詩は正常に認識されるだろうか?分断されたスクランブル交差点、スマホを掲げる外国人観光客とタバコを吸っている浮浪者をカメラが盗み撮り、夜空は抽象画のようだ。人それぞれだから言い争いなんて無意味だ。けれどすれ違う人々は不満を掲げて今日も平行に眠る。あの日売りさばいた良心の欠片
炭酸水に時計草を溶かしてしまおう。無数のエモい言葉。感動と感謝と奇跡も植物と一緒にアイスティーに混ぜよう。そうやって毎日を誤魔化しながら筋肉痛を堪えるのだ。君の欺瞞で植物が萎えてきたら書き溜めた日記を燃やして肥料にするよ。猥褻な言葉や卑猥な日常が、真っ赤な余白と化学反応を起こして憎しみの糧になれば私達の会話にも少しは意味が芽生えるのかも知れない。君はデリカシーに欠け、私は秘密がなさすぎる。悪は凡庸で有り触れているから、君は炭酸水を飲み干していつものように偽善を吹いて踊るだろう
君を求めて、思想のないポートレートを撮る。ぎこちない笑顔をデータの上に閉じ込めても思い出には届かない。私の中の主人公性は冷却される。「君」と「私」で出来た狭い詩の世界で妙に冷め切った三人称の影が牢獄の外へと逃げ出そうとした。私は影を閉じ込めようとして窓で首をちょん切る。窓には二つの月があって、一つは空中に浮かんでいて一つは窓にあるシミだ。君は見立ての力で月を飲み干そうとして、私はシミを拭き取って眠りについた。何かを成し遂げたいという呪い。偉業を残したいという虚勢の主人公になる
千駄木にあるギャラリー幻にて、3月10日〜23日まで写真と言葉展が開催される。私も写真作品と詩で参加している。 今回は「実存に不誠実な重さ」という作品と、「なぜ、青春は世界の終わりなのか?」を展示している。 写真と言葉というのは中々難しいセットである。現代芸術における写真作品は前後の文脈によって読み取るとされている。コンセプトやコンテクストが重要なジャンルなのだ。 そこで再三言われているのは「詩のような、ポエムのようなステートメントは避けよう」というものだ。現代芸術に求め
ここ最近、仕事中に気になったワードを検索して論文などを読んでいる。 例えば、「メンヘラ」という言葉。 元来は2ちゃんねるの掲示板に書き込みをしている人を示し、だんだんとその用例は広がっていった。近年は、〈病める主体〉としての自己表記としても使われている。 「私はメンヘラだ」ということで自己の問題や苦しみ、不安定さを言語化しているとも云える。その使用範囲は病的な傾向から、一時的な不安定さまで広範囲だ。 例えば、「生きづらさ」という言葉。 1990年代後半から使われるようにな
惑星から滑り落ちる君は 今日はどこにしがみつくのだろう? 私はいつも通り孤独に活字を追っている 休日は途方に暮れ 文字を書くのだが 結局は何も追いかけていない。 あるのはドーナッツのような奇跡と 冷たい足跡だけだ。 どれだけ推敲しても 足音はついてくる。 自分という影を振り切ることはできない 何にしがみつこうと。
いくつものモザイクが合わさって 都会の風景はできている 何を尋ねても漠とした答えしか返ってこない空間に 思念は渦巻いて沈澱している。 白い、夜の闇はエロティックで 人々は同時に死を求めている。 生きる事は呪いに似ている。 煙を吐いて歩く中年の男 彼にも仕事があるのだが、 そこにはドーナッツの空洞のような呪いがあり どうして労働を続けるのか 本人にはわからないように 罠が仕掛けられている。 働くことは尊いのであるが、 それが如何なる代価を支払っているのか 一見するとわからない。
雨が降るたびに寒くなりある日冬が到来した。冬はカモミールの香りがして私は小さな咳を溢した。点線で繋がれた曇り空をなぞると、綻びからすぐにでも夜空が出てきそうだ。呪ったり呪われたりしながら少女達は走って行く。そうしていくつもの血液が枯れて行き君は生きて行くだろう。 生きることは恐ろしい孤独から孤独へ吸い込まれて行くようだ。水槽にいる生物を根こそぎ食べてしまっても空腹は治らない。君は怒りながら生きて行く。恐怖から怒っているけれど何処にも着地したくない。低空飛行で世界を爆撃して何