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拍手。感動と賛同の「和音」

拍手には大まかに言うと「2つの意味=感情行動」があると思う。

1つは「感動」した時。

これは特にコンサートや映画、劇などの場面で見られる拍手だ。

「拍手の始まり」を考えると、王侯貴族文化の中で拍手なるものが
あったかどうかは、自分は分からない。(検索していません。)

拍手の事実とは異なるかもしれないですが、当時の全てを括った
「演者」とは、もともと王侯貴族が「所有」していたもので、
それを「お抱え~」と呼ばれている事からしても、民と王との
間には、しっかりとした「上下関係」があったと思う。

その中で、従者たる者に拍手という感動の行動を示していたのか?
感動は貴賤や身分を越えていたのかが分からないのですね。

自分が思うにそういった芸術文化が「ルネサンス期」にいわば
「民に下ってから」拍手というものが起きたのではないかと、
勝手に推測します。

それはさておき。

「感動の波動」というのでしょうか。
拍手には相当な讃嘆の意味も含めて「感動した」というのを、
魅せる「有効でかつ、身近な感情表現」だと思うんですね。

それと「賛同」の拍手もあります。

よくドラマでも見られる、ある人の勇気ある言葉や行動が、
一人の拍手から、段々とみんなの拍手に繋がっていく。

これぞ賛同の拍手の典型だと思うのです。

これは感動にも似た心の揺さぶりもあると思うのですが、
やはり「俺はオマエの行動・意見を尊重するぞ!」という、
心同じくした行動だと。

ここで昔々の話。

小学校3~4年生の時だったでしょうか。

「浦島太郎が箱を持って帰ってから」の創作劇をおこなうから、
学級全員でストーリーを書いてくれという、当時産休先生からの
宿題が出た時があって。

その劇作のストーリーが自分の書いたものが選ばれて、それを
みんなで演じて、学校で発表しようという思い出があります。

発表後に、体育館全体が拍手を送ってくれた。
恥ずかしいやら、嬉しいやら、困惑の赤面を浮かべた思い出があります。

あと、高校1年生の弁論大会で、
「同級生の退学を主題」として、当時の学校運営に批判なんかした
今となっては、とても勇気がいる事をやって、それが県の弁論大会で
2位になった思い出を、この拍手で思い出しました。

小学校の時は、感動とは程遠いものですが「感動」の拍手。
高校の時は、仲間がみんな「賛同」してくれた拍手だろうなぁと、
今となっては思い返されます。

そして、このお題を頂いた方には、生まれて間もないお子さんがいる。

そのお子さんが「拍手」をしだしたという事で頂いたお題。

その風景が目前に思い浮かびますよね。

赤ちゃんは足を伸ばして母の前に座り、
母は腰を深く曲げて、赤ちゃんの顔に近づけて。

二人が向かい合った状態で、手をパチパチとたたきながら、
母親は、何かをリズム感ある言葉で表現しながら拍手をする。

それを見た赤ちゃんは、それに呼応して喜びあふれる笑顔で
拍手をする。

考えると、これは「賛同」でも「感動」でもない拍手だね・・・。

上手く言うと。あくまでカッコつけて言うと。

「絆」の拍手なんだろうなと思いました。

どんな動物でも、先天的に持っている「知識」があって、
両親がいない場合でも、その両親の知識を受け継ぎ、行動に移す。

今、外ではカエルがゲコゲコ大音量で鳴いているのですが、
これも、オタマジャクシからカエルになって、自然とメスを呼ぶ行動で
鳴いているんですよね。

人間は、まだその上をゆく。

自然と両親という「大まかでありながら、それは実に緻密な情報」を
すでに認識&共有していて、普通ならオウム返しと言われる行動でも、
しっかりと赤ちゃんは、両親を見て、行動し、反復し、考え、育つ。

手をパチパチ。と言いながらでも、その行動って、本当は「尊崇」
されるような、背景なんだなぁと感慨しみじみです。

しかし。

大人になると「拍手の強制」なるものが時としてある。

「無乾燥で、それでいて無理矢理」
感動や賛同の拍手を強制されるという、本当に無意味な世界観。

例えばナイチンゲールがクリミア戦争で。
ガンジーがインド独立運動で。

時の権力者たちに、このような拍手をしただろうか?
いや、それ以上に民衆からの「感動と拍手」のほうが、より強き
心の揺動になったのではないかと思うんですね。

んー。失敗しました( ´_ゝ`)

本来なら、赤ちゃんの話で終わればいいのに、こんなアンチテーゼな
理論展開なんかするんじゃなかったです。

本題に戻します。

赤ちゃんは全ての知識や感情を持っているという認識があれば、
両親の役割というよりも、赤ちゃん個人を尊重していく。

赤ちゃんと言えども、守る立場にはあれども、人生を曲げていく
ような存在ではないと、今考えました。

大人になり、これから自分が生きていく世界とは、全く異なる時代を
生きなければならない子供たちの奮闘や考えに。

「感動」と「賛同」と。
そして「応援」の意味を込めた拍手を心から打ち続ける。
そういう大人でありたいものです。

ゆうさん

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