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「気になる」人々。

今年度1年は、ほぼ「現場=外に出ない」仕事になりそうだ。

自分は、土木の施工管理として「とある官公庁」へ出向している。

今まで、民間&官公庁。
多岐にわたる現場・役所で、それに携わる「色々な人」を助けてきた。

自分はリーダー派ではない。
しかし「サブリーダー」の役割では、如何なく力を発揮できる。

この仕事を20年近くやって来たけれど、それぞれの「不自由さ=特色」が
あって、その自分に倒れてくる「壁」を、何回も押しのけて、やっていた。
苦しさや、しんどさはあっても「これこそが自分の天職」と思っています。

今年度の特色は「現場に赴く事が、全く無くなってしまう」という事。

現場(施工業者や下請業者)とクライアント(役所や元請)のいわば
「潤滑油」となって「生涯現場主義」を自負して、それが自分の「売り」
としてやって来たけれど、こういったのも珍しい年度だと思う。

始めは困惑していた。
役所の職員さんとも掛け合い、なんとか現場との接点を持てるよう、
説得した事もあった。

けれど、今年度は。いや、ここにいる間は、これでいいかな。と、
思うようになった。

きっかけや原因までは書かない。
けれど言える事は、
「人それぞれの立場で、ストレスを抱えてやっているんだな。」という、
「当人(相手)には見せないが、自分は陰で協調しておこう。」と。

見てしまったんですね。
その人が、とても疲れている様子、仕草を。

ほんの一瞬に見せた「素顔」
それを見た自分は「みんなそれぞれ大変なんだ。」と納得した。

なので、その人に「従う」というよりも「協調を持つ」という考えに
なりました。

以前にnoteに書いた「若き職員さん」も、そのコなりの「悩み」を
抱えていた。

自分が持ち場を離れて、休憩に行こうとした時に、彼が追いかけて来た。

「どうもありがとうございます!」と、深々と礼をされる。

この話も割愛するしますが、事あるごとに「自分が盾になって」そして
「自らが率先して動いたように」見せて、彼を助けていました。

誰もいない階段の踊り場で15分ほど話をした時に、
「もう、自分の限界が見えて、この仕事を辞めようかと思ってるんです。」
と、彼は真剣に話した。

自分は、
「誰もがみんな通る道。辞めるのではなく、どこかで精一杯打ち込む時が
必ず来るから、その時に踏ん張れるかどうかや。」と励ましたが、
彼も彼なりの苦労を抱えているんだなと感じました。

最近、自分が「なんとななる。なるようになる。ケ・セラ・セラだな。」
と、考えを改めてから、そういった「差配」が出来るようになった。

もがくのも、そして努力することも大事だけれど、慌ててはいけない。

「地道に、地道に、自分がやれる事だけを、粛々とやっていく」
この年になって、やっと行動に移せる自分が、とても「不思議」だ。

さて。

自分は会社に行く前に必ず同じコンビニへ寄る。
昼ご飯は何でも良いので、同じものを毎日買う時もある。

そこに4月から新しい店員さんが入ってきた。

女性で、黒縁の太い眼鏡。髪は長くて、顔が全て収まるんじゃないかと
思うほどの、大きなマスク。
(顔が小さいのかもしれないが、よく分からない。)

ボソッ。ボソッ。と、小さい声というわけではないのだけれど、
凄く「相手を意識=気にしている=小心?)な感じで、お客さんに話す。

カゴから品物を取り出す際も、どこかぎこちなさはあるけれど、
「手際の速さ」を意識しているのだろう、一生懸命さが、こっちにも
伝わってくる。

名札には、
「中国の人なのか、それとも日本の語句なのか」わからない、ひらがなの
文字で書かれている。

朴訥な、そして懸命さが見えてしまう人。

現在、仕事で色々と見えてしまう「その人の人となり」が心に残っている
せいか、とても気になる人になっている。

「あぁ・・・。そこまで慌てなくてもいいですよ。」という声は、
掛けてあげる事は、彼女に対してとても失礼な事だと思う。

これは、先ほども書いたように、自分も慌てなくてもいいんだと思っている
けれど「地道にやっている人に、努力されている人に掛ける言葉ではない」
と、感じたからだ。

結論。という事までには至らないけれど、
最近の自分が思うことは、こういった形=行動で表れています。

ゆうさん


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