見出し画像

女心と秋の空

こちら、
かなり聞き慣れた言葉ではないでしょうか?

女性の恋心や感情、趣味趣向が
頻繁に移りやすいということと、

秋の空というのは

移動性の高気圧と低気圧が
行き来するために、変わりやすい天気となる

ということを掛けた表現。


でも「女心と秋の空」と言う表現

実はもともと
逆だったってご存じでしたでしょうか😳?


逆というのは、「女」ではなく「男」。

明治時代までは

男心と秋の空
という表現が一般的だったのです。


え?男なん?!って感じですよね(笑)

みなさんを敵に回したくないので
余計なことは言いませんが

一昔前までは、心の移ろいが激しかったのは

「女性」ではなく
「男性」側と言われていました。


どういうことか深堀りしていきます。


「男心と秋の空」
という表現が生まれたのは

遡ること、江戸時代。

当時の時代背景をお伝えすると

仮に既婚の女性の浮気がバレてしまったら
最悪は、命を落とすくらいの重罪でした。

でも、既婚男性の浮気には寛大だったんです。

(圧倒的男性社会だった故、世間が寛容していたというより、口を出せなかったのが有力)

ですので、
男性は移り気なっても問題がなかった。

江戸時代の俳人・小林一茶は

「はづかしや おれが心と 秋の空」

という俳句を詠んでいます。

変わりやすい自分の移り気な心が
とても恥ずかしいことでござんすと

内省的な心情を吐露されております(笑)


では、なぜここから

秋の空は
「男」から「女」に変わったのでしょうか?


大きな影響を与えたのは

やはり、「女性の社会進出」でしょう。

明治時代になると

女性も工場(富岡製糸場など)で
家を出て働くことが容認されてきます。

さらに時代が進み大正時代になると
「大正デモクラシー」が巻き起こりました。

大正デモクラシーでは

平塚らいてふを代表に
「婦人運動」が盛んになってきてます。

「婦人運動」というのは
女性の社会的地位の向上を目的とする運動です。

日本中の女性たちが一致団結し
最大出力で声を上げた結果

女性の立場は
大きく、いい方向に変わっていったのです。


そして、まさに、このタイミング。

女性の「恋愛」の価値観も変わってきます。

当時、一世を風靡した浅草のオペラ座で

「風の中の 羽のように いつも変わる 女心――」

と歌う「女心の歌」が大ヒット。

また、この頃は西洋の文化も入ってきて

イギリスのこのことわざ

A women's mind and winter wind will change often.

女心と冬の風は変わりやすい

も、大うけ。
※冬の風は強風や弱風に変化しやすいことから

西洋文化の後押しも受けて

女性は素直に意思表示をすることが
できるようになってきました。


ですから、この大正時代から

「男心と秋の空」から「女心と秋の空」へ
変わったのではないかと考えられています。


いかがでしたでしょうか☺️?

これは今からでも使えそうな話題なので

どんどん話題にあげちゃってください🥺✨


つまるところ、男性も女性も…


いやいや、何もないです。


みんな浮…


何もないです。


みなさん

何とは言いませんが

お気をつけてお過ごしください(震え声)

この記事が参加している募集

#名前の由来

7,847件

#最近の学び

181,034件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?