ゆさを作り上げた激動の22年間


このブログはどのようにして今の僕ができあがったのか。

僕の過去を知ってでも応援してくれる人、

そんな人に巡り会えたらいいな。と思います。


僕のこれまでの人生はよく
"悲劇" "絶望" "どん底" ってネガティブに表されることが多いんですが、

僕自身それを何となく実感しています。

そして
これまであまり言ってこなかったのですが
僕は人間不信です。


僕自身このブログを書いてみて

そう思われても仕方ない険しい人生を歩んできたんだなー。って

実感しているのも事実。

そんな僕が今、

人が「幸せ」を感じる瞬間の1つである恋愛で活動している理由も

これまで明かしてこなかった過去も全部包み隠さず伝えていきます。


僕はこれを読んでも関わってくれる人となら

本当の仲間になれると思います。


はじめまして!
ゆさといいます。

僕は今、社会人として働きながら

ゆさ@恋愛魔道士【女子会に呼ばれる系男子】

として活動しています。


まず、恋愛魔道士ってなに?と思われる方に
僕がどんなことをしているのか簡単に説明します!

とても簡単に言うと
・あなたの恋愛が上手く行くようにサポートする。
・あなたがモテモテになれるようにサポートする。

この2つがメインとなります。
そこに僕のポリシーである
『あなたがあなたらしく』を付け加えることで

あなたがキャラを作ったりせずに
ありのままの状態で恋人をつくりましょう!
ありのままの状態でモテましょう!

というプロデュースやコンサルをしています。

現に、友達や友達の友達がメインになりますが
カップルを生み出したり、モテ女子を誕生させてきました。

そんな僕の役目は
【1人でも多くの人の幸せのきっかけになる】

そのために幸せのきっかけにも不幸のきっかけにもなる恋愛が

上手くいくようにサポートさせてもらうことで

「幸せ」のきっかけになるために動いています。


こんな僕は
1997年 愛知県の三河地区で伊藤家の長男

伊藤優太として生まれました

下には1つ下の弟、7つ下の妹がいます。

そして
父、母、祖父、祖母の4人を合わせた7人家族として生活していました。

一見、どこにでもある普通の家族。

でもこの家族には裏の姿がありました。

【祖父からの虐待】

僕は祖父から虐待を受けていました。

それも他の家族にバレないように、僕だけ。


暴力、脅し、隔離、などなどなんでもありでした。

僕は遊びに言ったと家族には伝え、倉庫に隠され

殴る、蹴る、ビンタ、首絞め、宙ずりは日常茶飯事。

家に誰もいない時はお風呂場に沈められたり、

夏には高温のシャワー、冬には水シャワーをかけられました。


あざでバレないかな。。と思っていた時期もありましたが、

当時の僕は野球をやっていたこともあり

野球でできたあざなのか、虐待でできたあざなのか、

そんなこともあり、祖父が入院するまで虐待は続きました。

【野球との出会い


僕の人生を大きく分けた出来事は野球との出会いでした。

大好きになった野球。
しかしこの野球が良くも悪くも僕の人生に大きく影響してきました。

仲のいいお兄さんがやってたから。

どこにでもありそうな理由で野球を始めましたが、

一気に野球が好きになりました。

平日は学校、土日は野球。と
ほぼ休みはありませんでしたが、とても充実していました。
ボールを追いかけるのが大好きだったんですよね。

そして小4の時、初めてレギュラーとして試合に出てからは

さらに野球にハマりました。


5年生になると先輩を差し置いてチームのエースピッチャーとして活躍し、

大会でMVPをもらうなどして地元の新聞で紹介されたり、

地元ではちょっとした有名人になりました。


【壮絶ないじめ】

でもここに落とし穴が。。

周囲からの嫉妬を受けることになったんです。
野球が上手くなりたいから頑張る。
でも頑張れば頑張る分だけ周りからは嫉妬され、
無視、仲間はずれ、ものを隠す。といった
「いじめ」を受けるようになったんです。

野球をしている時はみんなが必要としてくれる。
でも頑張れば頑張る分だけ周りから人がいなくなりました。

「勝つために利用される」
まさしくこのような状態になっていました。

これが中学まで続きました。
中学になると、陰口、暴力、差別。
野球以外の所では人間以下のような扱いを受けました。

今となっては、僕の力を使って大会で結果を出し、

自分たちの評価をしてもらい、特待生をもらう。

このために使える戦力は使おう。という

クズのような考え方だな。って思えるんですが


当時の僕は家では虐待、学校ではいじめ。
何度も死にたい。って思ってました。


【両親の離婚】


僕が中学校1年生の春頃から両親の喧嘩が増えました。

原因は僕の進路でした。

両親は僕を中学校の部活ではなく、

クラブチームに入団させたかったみたいなんですね


その方が高校進学が有利になるし、

もしかしたらプロ野球選手に。。なんて(笑)


僕も正直、プロ野球選手を目指してましたし

僕もクラブチームに入るつもりでしたが、

ここで祖父からの威圧があり、

中学の部活に入るしかなかったんですよね。

ただ、自分に勇気がなかっただけなんですど、、


そんなこともあり、
父はそんな僕に呆れて「もう口はきかない。」
母は「ゆさの選んだ道だから応援する」

と対立してしまって家を出ることになりました。

そして6月。
両親は離婚しました。

その時に両親に言われた言葉は今も忘れられません。
「離婚したのはゆさ、お前のせいだからな。」

今も後悔しています。


なぜあの時にクラブチームに行かなかったんだろう。

僕が1人、我慢していたら、弟や妹が寂しい思いもすることなく、

苦しい生活をする必要もなかった。


僕は自分で物事を決めてはいけないんだ。
僕が決めると周りを不幸にしてしまう。

こんなことを考えるようになってしまってました。


【大好きだった祖母からの。。。】


僕の唯一の楽でいられる存在が祖母でした。

とにかく僕のことを大事に思ってくれて

野球で頑張って、結果を出せば一緒に喜んで、

たくさんの褒めてくれる。

とにかく大好きな祖母でした。


両親が離婚してからなかなか会うことが無くなり
ある日、母親から
「おばあちゃん、前から入院してるからそろそろお見舞いに行こうか。」

その時に初めて知りました。


祖母が入院していることを、とてもショックでしたが、

その後に更なる悲劇があるなんて僕は思いもしていませんでした。

1時間半かけて祖母の入院している病院に着き、
いとこ達と集合してみんなで病室に行きました。

痩せ細った祖母。
たくさんの管に繋がれている祖母。
1人で起き上がることが出来ない祖母。

あんなに元気だった祖母はどこに行ったんだろう。
めちゃめちゃショックでした。


それでも僕達が病室に着くと
「来てくれて、ありがとう。。」
精一杯声を出して喜んでくれました。


祖母はみんなの名前を呼び始めました。
「○○ちゃん、○○くん。。。。」
いとこや弟妹の名前を呼んでいき、
名前を呼ばれたみんなは涙を流していました。

そして、次は僕の番だ、、
呼ばれる前からうるうるしてたのですが

大好きだった祖母から出た言葉は、
「あなた誰?この子達のお友達かな?」

僕は祖母から忘れられてしまっていたのです。
僕は病室を飛び出しました。

とにかく泣きました。

祖父からの虐待、両親から見捨てられ、
いつも優しくしてくれた大好きな祖母に
存在すら忘れられてしまった。

僕はこれからどうしたらいいんだろう。

神様って酷いんだな。って
この時にとても思いました。


【信じられる存在】

虐待、いじめ、離婚の原因。
そして大好きだった祖母に忘れられた。

こんな状態の僕は結構精神的にボロボロでした。

でも僕は野球だけは頑張っていました。
野球をしている時だけがいじめられない。
野球を頑張って遠くの高校に行けばいい。

これだけが僕の生きているモチベーションでした。

そんな僕が唯一信頼できる人が現れました。
隣の中学の女の子でした。

野球で怪我をした僕はリハビリに通っていたんですが

その時にちょうど同じ先生のリハビリを受けていて

待ち時間や先生に言われたメニューを一緒にやっていました。


その子と話している時だけが安心できて

楽しい時間でした。


いつものようにリハビリをしていてその子と

「ねぇ、今度試合いつあるの?」

「次は、今週末かな。君の学校と練習試合する」


なんて話をしていたら、なんから見に来ることになって

練習試合の当日は本当に見に来ていました。

リハビリの成果もあって調子もよく試合にも勝ち、

その日はそのまま解散。

するとその子に呼び止められて


「ゆさのこと好き。付き合お?」


人生で初めて告白されました。

正直、話したりするのは楽しかった。

でも、好きって言う気持ちはなかったし、

僕の過去や今のことを知ったら無かったことにしてくれるだろう。

と思って


虐待、いじめ、離婚の原因になったこと。
全部を話しました。
だから、実は僕はこんな人間だから一緒にいても楽しくないよ。って

それでもその子は

「ゆさは何も悪くないでしょ?

 それにこれからどんどん好きになってくれたらいいよ。」


その優しさに温かさを感じて
初めて彼女ができました。


【高校進学も。。】


僕は中学の部活でも割といい感じの成績を残したこともあり

県内では強豪の部類に入り、後に甲子園に出場することになる高校に

野球部の特待生として入学することが出来ました。

これは初めて自信になったことです。


めちゃくちゃにしんどい練習だったし

先輩との上下関係も厳しかった。

その上、通いだったので朝も早く夜も遅い。

家に着いたら日付が変わっていた。

なんてことも普通にありました。

それでも野球部での練習はとても充実していました。


『エースになりたい!甲子園に行きたい!プロになりたい!』


この想いがあったから毎日が刺激的で毎日レベルアップしている気がしました。

夏の大会の前に

Aチームと呼ばれるベンチ入り濃厚メンバーが遠征に行くと

残ったメンバーで紅白戦をよくやっていて、

たくさんのチャンスを貰いました。


1年生ながらそこそこのピッチングをして

先輩達からも認められ始めた時


悲劇が襲ってきました。

肩の故障と病気が見つかりました。

肩は原因不明で投げられない。

病気は心臓のWPW症候群というものでした。


心臓の病気は頻脈と言って急に心拍数が上がるもので、

特に酷い訳ではなかったんですが

僕は元々スポーツ心臓で心拍数が遅めでゆっくりなのが災いしました。

普段ゆっくり動く心臓が急に激しくドクンドクンと動く感じで

発作のようなものを起こしてしまいました。


肩もボールを投げると痛い。
バッティングもバットにボールが当たると衝撃で痛い。

夏休み期間に入る直前でもあったので
監督やコーチから


「夏休みは休部という風にしておくから、

 しっかりと原因を見つけて来い、待っているから。」

と言ってもらえたんですが

部員には待ってもらえませんでした。


先輩に認められていた僕は同期から

激しいいじめを受けるようになりました。


スパイクの紐が抜かれている。

グローブの紐が切られている。

ロッカーに慰霊のような写真を置かれる。


などなど思い出すだけでもきつくてしんどいです。


せっかく地元を出たのにいじめを受ける。

肩の怪我も原因が見つからない。

病気も原因は見つかるも

手術もしましたが上手くいかずに治らない。

そして、肩を見てくれていたドクターからは
「高校野球は諦めた方がいい。」


まぁ、泣きました。
大好きな野球も奪われてしまった。


【信じていたのに。】


野球を諦めることになり

辛くて、しんどくて、どうしていいかわからなかった僕は

彼女に相談しました。


そこで彼女から言われた言葉は今でも忘れられません。

「じゃあ、別れよっか。
 野球をやってないゆさは好きじゃないから」


結局そうなんだ。って
僕は野球で守られていたんだ。

誰も信じちゃいけないんだな。って


【僕に奇跡を起こしたバスケットボール部】



高校1年の冬、ある一言をきっかけに僕の人生は変わりました。
クラスで仲の良かったバスケ部の友達に

「ゆささ、マネージャーやってみない?」

なんか、初めて必要とされた気がして嬉しかった。

悩みましたが、
僕は《バスケ部マネージャー》になりました。

最初は初めてだらけで上手くいかず
先輩ともなかなか話せない。
ルールも分からず何していいか分からない。

それでも僕の中では
「必要としてくれる人のために一生懸命やろう。」
この想いが僕を動かしていました。

【バスケに魅了される】


マネージャーを初めて1ヶ月も経たないうちに
県大会がありました。

初戦を難なく勝利して迎えた2回戦。
常時劣勢で試合は進んでいき15点差のまま最後の10分間を迎えました。

均衡した展開が続き、5分くらいの間はずっと10点差で進んでいき、このままだとダメなのかな?と思っていた矢先、相手のミスを突いてあっという間に5点差、その後1分もせずに2点差まで追い上げました。

「バスケってめちゃくちゃおもしろい!!」

そして試合時間残り1分。
この後、僕はバスケに魅了されました。

完璧なボール回しからフリーになったのは
その日調子が悪く1本もシュートを決めれていない先輩。

攻撃に残された時間は
「3...2...1...」と刻まれていき
先輩がシュートを打った瞬間に
「ブーーー!!」
ブザーがなりました。

シュートが入れば「勝利」
シュートが外れたら「敗戦」

放たれたボールが宙を浮く時間は
ここまでの10分間よりも長く感じました。

「スパン!!」

今まで見たことの無い放物線を描き
シュートが決まりました。

その場に生まれたものは「感動」でした。
その感動で僕はバスケが大好きになりました。


そして、

残りの高校生活は人を感動させられるこのチームを支えていこう。

と決意しました。


【引退、そして決意】


バスケ部で過ごした時間はめちゃくちゃ楽しかったです。
この時間が今の僕を作り上げてくれたと思っています。

勝つことに全力で向かって行き、時にはバカ騒ぎして、時には真剣に語り合って、本気でぶつかるからこそ喧嘩もして。
合宿で辛い練習を乗り切って逞しくなる部員を見るのが好きでした。
それでも楽しい時間ってほんとにあっという間に過ぎていくんですよね。

気がついたら、
最後の大会を迎えて、試合に負けて
部員の前では最後までマネージャーらしくいて
会場で1人片付けをしていると

「やっぱり負けたんだ。」と
涙が止まらなくなった。

ミーティングでも涙が止まらず、
帰りのバスの中でも1人泣き続け、
学校での最後のミーティングでも誰より泣いた。

悔しいのは部員たちなはずなのに。

そんな時、顧問の先生がミーティングで言ってくれました。

「おれはゆさがマネージャーで本当によかった。
これはこいつが本当にすごいやつだと思う。元々野球で学校に入って来て、怪我をしてうちのマネージャーになった。バスケはほぼ知らない状態から2年もしたらお前たちと同じレベルで話せるようになった。これがどれだけのことか分かるか?
お前たちがバスケを初めてからこれまでの5~10年の日々で身につけたものをこいつは2年で身につけた。
本当に好きじゃなきゃこんなことは出来ない。
ゆさは誰よりもこのチームが好きだった。
だからこんなマネージャーがいたチームは最高のチームだ。おれはお前たちを誇りに思う。」

これを聞いて僕は分かったんです。
初めて僕を認めてくれた、初めて本当に必要としてくれた。
そんな部員たちとの時間が終わるのがつらかったんです。

そして僕は決意しました。
感動を与えてくれる人をサポートしたい。
周りの人を笑顔で幸せにしたい。

高校の部活で僕のやりたいことを見つけることをできました


【ビジネスとの出会い】


高校を卒業し、専門学校に進学しました。


進学したのはいいものの、自分のやりたいことをどうしたらできるのか。

が分かりませんでした。


僕はとにかく人に会いまくりました。
ビジネスをしていそうな人に何人もDMを送りました。
怪しい勧誘もありました。
ちょっと危険な目にも会いました。

それでも唯一、最初に話した時に勧誘などなく、

もう1回話を聞いてみたいな。。

と思う人と出会うことが出来ました。

そして2回目に話を聞く時に会わせてみたい方がいる!と言われ、

「あ、またこういうやつか。。」と思う反面、

ちょっと楽しみになり名古屋のカフェで待ち合わせました。


ブラウンぽい髪にメガネ、きちっとした服装で

「またこれ危ないヤツじゃん。。」

と思ったこの人が僕の運命を変えてくれる恩師になるとは

この時には思いもしませんでした。


話せば話すほど惹かれていくんですよね。

初対面なのに前にどこかで話したんじゃないかな?

くらいの感覚で、話がどんどん出てくる。

「この人から学びたい!!」
「この人の横を走りたい!!」

その思いでその日からミーティングを重ねたり
セミナーに毎回参加したりして
自分の事業を作ることをしました。


【マネージャー育成事業】


自分で好きなことを事業にしよう。
それがテーマでした。


だから何で事業をやってみようか考えた時、

1番に上がったのはマネージャー育成でした。


僕が人生を変えたみたいにマネージャーをしている子達には

たくさん成長して欲しい。もっと輝いてほしい!!


その想いから「マネージャー育成事業」を進めていきました。


でもこれがめちゃくちゃ難しかった!



マネージャーの子達は僕を求めてくれる。

でも親が。。という声がとても多かったです。



やはり、親目線から見てもマネージャーへの重要度が低いんだな。

と実感して悲しかった。

親御さんにはマネージャーの重要性を知っていて欲しかった。

自分のお子さんがやっているマネージャーへの理解がない。

という現実でした。


恩師と何度もミーティングをして
泣きながらアドバイスをもらって
自分の全てを注ぎ込んでいました。

その時あった僕の気持ちは
売上を立てたい。とか
収益を上げたい。とか
そういうのではなくて

ただただ
『頑張っている後輩マネージャー達のために』
『マネージャーが全力で活躍できるように』
これが僕の全てでした。

結局、最初のセールスでは
売上は上がりませんでした。
「収益ゼロ」

バイトもせずに1ヶ月を過ごしたので
1ヶ月の収入無しでした。

この1ヶ月はまじで地獄でした(笑)
そしてこの11月を僕は一生忘れないでしょう。


【初収益】


年が明け2019年の1月。
初のセールスが滑って収益ゼロだった11月から1ヶ月半が過ぎました。

1月中旬。
2回目のセールスをかけました。
『これ、また滑ったらどうしよう💦💦』

これが正直な本音でした。
恩師とも、不安で毎日電話をしてました。(笑)

そして、セールス最終日。
3件の申し込みが来ました。

初めて自分で上げた収益でした。

すぐに恩師に連絡しました、

「申し込み来ました!」と泣きながら電話をしたのを覚えています。


すると恩師も僕以上に喜んでくれました。

恩師が喜んでくれているのが何よりも嬉しくて、

これてやっとスタートライン。


ただ、自分で集客して販売して、商品も作る。
それを社会人になる前に経験出来たのは
僕の大きな財産になりました。


【就職をきっかけに決意を】


僕は自分で売上を立てられるようになり
恩師からも一緒に仕事をしよう!
と言って貰えました。

ただ、僕の中で何かが引っかかっていました。

『このままフリーになったら他の人と変わらない』
恩師にも言われていました。


「おれのコピーはいらない。みんなが持っているみんならしさ、

 オリジナルを持ったみんなと仕事がしたい!」


今のままでは僕はコピーにしかなれない。
と思い、就職をしました。


昔から就職しろ。
就職して安定しろ。
就職が正義だ。

こんなことばかり言われてきました。
でも、実際に就職して感じたのは

『就職って安定してるのか?』
ということ。

まぁ、収入は毎月決まった額が仕事をしていたら口座に振り込まれている。
その場の収入は安定するかもしれない。

でも、僕の場合は
それ以外のところに安定を感じませんでした。


『心』『気持ち』『やる気』『仕事内容』『人間関係』

ざっとこんなところはめちゃくちゃ不安定でした。

でもこれが普通に過ごしている周りが怖かったです。

いつも違和感を覚えました。

休みも勝手に決められて、もちろんサービス業なので土日は出勤。
おかげで参加したいセミナーにも行けない。

そして、組織に縛られる。ってのも
僕にとってはすごく窮屈です。

こうしなければいけない。
こうでなくてはいけない。

『こうした方がいいのに。』が通用しません。

なによりも社訓とか会社の精神みたいなのを掲げてる割に

全くそれとは真逆の実態を経験して、

結局会社なんてそんなものか。。と失望というか呆れたというか。


そこで思ったんです。
『僕のやりたいことはなんだろう?』


僕がやりたかったのは


『人を幸せにすること』


僕が今会社でやっていることは
本当に人を幸せにできるのか?

自信を持ってできてると言えませんでした。

なので決意した。

独立しよう!

『僕にしかできないオリジナルで人を幸せにする』と


【初恋と失恋】


会社に入って唯一良かったと思えたのは
生まれて初めて人を心の底から好きになったこと。

僕は幼い頃から

虐待、いじめ、差別、育児放棄などなどされてきたので、

いつからか人間不信になっていました。


そんな僕が初めて、初対面で疑うことがなかった。
同期からは「あの子かわいい!」って言われてる子でした。

最初は別に好きとかそういうのはありませんでしたが、

同じ配属先の同期にある日突然言われました。


「ゆさとあの子ってお似合いじゃん!」


この言葉で意識しちゃったんですよね。
何故かその日から会話が弾んだり、

普段しないLINEの頻度が上がって、

毎日のように電話して。

気づいたら告白してました(笑)


当たって砕けろ。くらいの気持ちで、
そしたらまさかの成功で初恋叶えちゃったですよね

正直、上手くいくと思ってませんでした。

なぜなら

彼女も彼女でその時は恋愛に全く興味がなく

彼氏なんていらない。って言ってるのを

よく聞いてたんですよね。


でも言ってくれたんですよね。

「私もゆさを好きになってた。」


人間不信の僕と恋愛に興味の無かった彼女との
奇跡のような恋を叶えちゃったんです(笑)

付き合ってからはなかなか予定が合いませんでした。
休みは合わず、僕のいる店舗にヘルプで来てくれた時に会えたり、研修の時に会えたりくらいしかありませんでしたが、なぜかそれでも幸せを感じてました(照)

12月。
彼女が仕事を辞めました。

「これから会えるようになるね!」

僕は彼女から言われたこの言葉が嬉しかったんですよね。

(だって、めちゃくちゃ会いたかったからw)


ずっと行こう!って言われていたデートに行って

これから色んなところに行くんだろうな。って思ってました。


しかもその1週間後は誕生日。
めちゃくちゃ色々考えて、
どーしたら喜んでくれるかな?
どーしたら思い出になる誕生日になるかな?

とかとか考えてたんですけど
現実ってそんなに上手くいかないんですよね。

13時にみなとみらいに集合。

のはずだったんです。
色々先に見ておこうと思って11時に家を出よう!
そう思ってたんですが

今でも忘れないです。

12月10日 10時47分
ごめん、体調不良と筋肉痛が酷くて動けなくなっちゃった。

まさかの会えなくなっちゃったんですよね。


そして、その1週間後の12月17日

僕の初恋は終わりました。
彼女からずっと聞いていた
『やりたいことに全力で向き合いたい』
という思いを応援するために。

僕は何年かかっても待っているつもりでいました。
ですがつい最近、言われちゃいました。

「ごめんね、もうゆさと戻ることはないから
待ってなくていいから。じゃあね。」

失恋って本当にしんどいですね。

けどこれも僕の経験のひとつとして
人を幸せにするための勉強だと思ってます。


【僕のやりたいこと】


ここまで長々と僕の22年間を読んでいただき

本当にありがとうございます。

僕は自分で言うのもなんですが
それなりに不幸な人生を歩んできてるんですよね。

でもそんな僕だから色んな人の気持ちに共感もできるし、

気持ちを知ることができると思います。

この強みを活かすにはどうしたらいいか。

『今やっている整体と組み合わせよう!!』

体を整え、癒す整体と
心を軽くし、癒す人生相談。

この2つを組み合わせることで

『心も体も癒す整体』

僕はこれを突き詰めていきたいと思います!

これまでは恋愛魔道士としてやって来ましたが
ゆさの整体を受けてみたい!
という声もたくさん頂きました。

なので整体もやっちゃおう!
恋愛相談も受けちゃおう!

そして、数多くの苦労を経験してきたからこそ
人間関係、仕事、プライベート、苦悩などの相談も受けちゃおう!

これが僕の新しい形の


『整体×人生相談』

です!

体も心も癒すことで
みんなを幸せにする!

これが僕が目指したい道です!


最後のカミングアウトなんですが
僕には親からの借金も3桁ほどあります。

僕にもわからないところから突然現れた借金。
つくづく親からの扱いに呆れます。

本当に僕って愛されていないんだな。って

でももう別にいいんです。

何百万だか、何千万だか知らないです。
僕にできるなら返します。


ただ、僕はこの借金をちゃんと返して
親とはしっかり関係をハッキリさせたい。


そして愛のある本当の家族を持つこと。
これも僕の夢です。


僕のやりたいことは

・整体×人生相談を体現して
心と体を共に癒して幸せを連鎖させる。

・愛のある、幸せな家庭を築く。

・ゆさというオリジナルで恩師と仕事をする。

この3つです。

これをしっかり実現するために
僕は死にものぐるいで頑張ります。


きっとこのブログを読んで、

・引いてしまった人
・こいつやばいな。と思った人
・ゆさと関わるのやめよう。と思った人

いると思います。
僕はそれでも構わないです。


そんな人よりもこのブログを読んでも

・ゆさ面白い人生じゃん!
・過去なんて関係ないよ!
・ゆさを応援してみたい!
・ゆさの整体受けたい!
・ゆさに相談乗って欲しい!

っていうこんな僕とでも仲良く、

これからも高めあっていける人達と関われたらそれでいいです。


そのくらいの覚悟を持って、

このブログを書かせて頂きました。

読みづらい文章で申し訳ありませんでした。

こんな文章でも最後まで読んでくださいり、

本当にありがとうございました!


こんな僕ですが、

・これからも仲良くしよう!
・仕方ないから仲良くしてあげるよ(笑)
・一緒に高め合おう!
・ゆさの整体受けたい!

みたいな感じで僕とこれからも繋がってくれる。
そんな方はいいねを押してくれると嬉しいです。


僕はこんな感じでこれからも変わらずに頑張るので

これからもよろしくお願いします!!


ゆさ@恋愛魔導師、名を改めまして
ゆさ@人生相談ができる整体師

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