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こどもは選べない

今日は毒を吐いているだけですので、あまり中身のない文章です。結論は「こどもはかわいそう」というだけです。

さて、この国は島国だから、フェリーというものがあちこちを走っている。そして瀬戸内海に生まれ育つと、フェリーに乗ることが多い。

育ちの悪さ

昔話はともかく、つい最近の話である。フェリーには雑魚寝のできる2等客室というものがあるのだが、そこにはテレビが装備されている。

病院の待合室みたいなもので、ついていればなんとなく見ている人もいるけど、自分からガチャガチャとチャンネルを回す人はない。

しかし、4~5年前だったかな。60代くらいの夫婦連れが別府行きのフェリーの2等客室に乗り込んでくると、旦那のほうがいきなりテレビのスイッチを入れ、好き放題にチャンネルをガチャガチャやりだした。

乗り込んでいた乗客は十数人おり、パソコンをいじっている人も昼寝をしている人もいた。

テレビをつけていいですかね

くらい、ことわってつけるならいい。ついでに

どこのチャンネルにしましょうか

くらい聞ければ上等だが、そのオヤジはいきなりテレビをつけてガチャガチャやって画面の前にあぐらをかいてしまった。

ぼくにはそれがどういうことなのか瞬時に分かった。この描写で伝わるかどうかわからないが、これが「育ちの悪さ」である。かれはただ単に

デリカシーがない

だけだ。自分のふるまいが当たり前だと思っている。

高度成長期ならではの貧しさ

そのオヤジは「それ以外の状態」を経験したことがないのだ。はじめてテレビというものが日本全国の家庭に普及して以来、テレビがあればふんぞり返ってつけるのが当たり前で何十年も生きてきて、奥さんも文句も言わずにここまで来た。

おやじにとってはその状態がデフォルトであり、それ以外の状態は想像したこともないのだからなんの悪気もなく、スキにチャンネルをいじっている。

自分の家だろうと、病院だろうと、フェリーの2等客室だろうと、首相官邸だろうと関係ない。周囲に対する想像力が皆無なのである。

これは、高度成長期だけに成り立った一種の「育ちの悪さ」というべきもので、江戸時代だろうが、明治生まれでだろうが、ちゃんとした家庭に育っていれば、こうはならない。みんなでラジオを囲んでいた時代でも、こんなことをすれば親に大目玉を食らったに決まっている。

戦後のどさくさの中で家庭らしき家庭を経験したことがなく、気づけば結婚してテレビが目の前にあったというタイプのオヤジだけがこういう育ちの悪さを身につけており、ぼくの父がそういう人間だ。

血というもの

母から何度も聞かされたのだが、父は、はじめて婿養子としてウチにはいってきた初日に、茶の間に白黒テレビがあるのを見ると、義理の父親も母親も妻もいっさい無視して、いきなりテレビの前にじんどってガチャガチャやりだしたそうだ。「あれにはおどろいた」そうだ。礼儀もくそもないが、本人には悪気すらない。

今、パチンコ屋の駐車場で炎天下に子どもを車に閉じ込めてパチンコにふけっている親がいたら大問題でしょう。だが、ぼくが子供の頃はアレが日常茶飯事だった。

とじこめられただけではなくドアに指が挟まったまま何時間も待ち続けたこともあるが、それでもなんとか生きてこられたのは、母親の家系の人々がかなりちゃんとした人たちで、そういった人びとのまっとうな愛情を受けて育ってきたからである

しかし、いまお世話になっている介護施設のセンター長ですら、だんだんこの男の根本的な育ちの悪さに気づき、頭を抱えている。だが、ぼくは子どものころからあれを背負ってきた。

もちろん劣悪な親のもとで生きてきた同年代の人はたくさんいるだろう。しかしそういう人は、ここに文章なんか書かない。競輪やパチスロにはげみ、風俗に通い、キャバクラで女の子のおしりを触って貧困の拡大再生産にはげんでいる

一方で、ここにnoteを書いているような人たちの多くは、だいたいふつうの家に育っている。「ふつうじゃない、いろいろあった」と言われるかもしれないが、それでもいわせてもらえば普通である、ぼくも。母方の親族はふつうだったのでわかる。いろいろ揉めたりしたことはあるけど、それもふくめてあれが「ふつう」だったとわかる。

ぼくもそういうふつうの人間の振りをしてこれまで生きてきたけど、しかし「ふつうの親族」はみな死んでしまい、実家には、その建築にあたって1円も出していない「貧困の結晶」だけが居座っている。

テレビだけを見て50年もすごしてきたこの男のアタマは劣化し、ついにサスペンスドラマの筋書きすら追うことができないようになった。それでもひたすらテレビをみてすごし、飽きてくるとそのあたりに出ていって行方不明になって、警察のお世話になって帰ってくる。

それを止めようとすると、となり近所中に聞こえるようにどなり声を出して威嚇する86歳のチンピラ。

ぼくも弟も、この劣等な生き物がくたばるまで背負って歩いていかねばならない。そしてそれは、生まれる前から決まっていたことなのである。

これまで、その気になってまともな人間のフリをして生きて生きたが、ざんねんながら劣悪な血は一生ついてまわる。こどもは親を選べない。

劣悪な親の元で育っているこどもたちはいまもあちこちにいるのだろうな。まとめて2トントラックの下敷きになってくれないかな。

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