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月とアセンダント、そして太陽

何者かになるとか、華々しい成功を収めるとか、それも人生の重要な一部ですが、一番大事なことは「自分を愛する」ことだと思います。人からの評価や仲間と繋がることも大事ですが、それは二次的なこと。自分を認めて自分を愛するということに比べたら、それほど重要ではない気がします。(後から付いてくるものだからです)



もっと個性と創造性を発揮したらいいよ!もっと自分らしく生きればいいじゃない?どうして人と比べる必要があるの?ーーもし、誰かからそんなことを言われたなら、きっと一理あるのだと思います。他者はこちらの無意識に敏感で、それを反映して見せてくれるからです。



でも、他者の基準に合わせてはいけないものがあります。いや「合わせようがないもの」です。それは生まれつきの体質や感受性であり、美学や美的感覚に繋がる領域。つまり、生理的に合う、合わないという部類のものです。占星術的には、それは月(出生時の月の反転の位置にある本当の月)であり、アセンダントに顕れています。



月とアセンダントは本能的で無意識的であるゆえ、意外とスルーされています。太陽と月+アセンダントとの間に分離感が生まれるせいもあります。これらの三者が完全に調和している人は稀であり、多くの場合、そこから生じる葛藤と自己矛盾をうまく飲み込むことができません。



私の場合、太陽射手座、反転の月牡牛座、アセンダント天秤座です。射手座太陽から見て天秤座アセンダントは60度の関係性で、比較的統合しやすいですが、摩擦がゼロではありません。そして、太陽から150度の位置に反転の月があるため、太陽(外に向けて表現する自己)と月(内的でプライベートな自己)の間に「折り合いの難しさ」が存在しています。90度、180度、150度などの関係であれば、なかなかの矛盾が生まれることでしょう。



反転の月(本当の素の自己)は生理的欲求や好みでもあり、牡牛座の月は最も五感的不快感に耐えられない性質です。たとえば、音を立てて食事をすることが全く気にならない人もいますよね。それよりも楽しく食べることが重要な人にとっては、マナーや美的な事柄は大した問題ではないでしょう。



しかし、反転の月が牡牛座にあれば、まず間違いなく、こういった状況が耐えられないのです。不快な音によって体が攻撃を受けているほどの感覚になりますし、五感が敏感なため、自ずと衣食住と生活環境に拘ります。それは甘えとか贅沢ではなくて、生来の特性です。本当の月を無視すると本能的安定感が奪われます。




アセンダント天秤座も美的価値を大事にしますから、月と併せて考えても、どんな環境にも耐えられるような頑丈な作りでもないし、決してタフな神経の持ち主ではありません。反転の月とアセンダントが乙女座、天秤座の方も細かいことが気になったり繊細な傾向があるでしょう。双子座や射手座の場合も意外と神経過敏です。



反転の月牡牛座・アセンダント天秤座の私はホテル内の喫茶店や高級感のあるお店など、静かで落ち着いた空間を好みます。騒音のある場所だと神経がどうにかなりそうなくらい生理的に耐えられないのです。反対に、反転の月魚座・アセンダント蟹座の夫は、むしろ庶民的で気心の知れたオーナーのいるお店など、人との距離感がボーダレスでラフな気持ちになれる場所を好みます。



月やアセンダントの特性や趣向は生理的で本能的な部分なので、これを無視すると、どうしてもエネルギーが奪われていきます。そして、自分が本当はどう感じているのかがわからなくなり、感受性そのものが麻痺していきます。意外にも、太陽で生きることがとても難しいのは、こういった理由が大きいのではないかと思われます。



そもそも、月やアセンダントをないがしろにすると「素の自分がわからなくなる」のです。自分がどんなものが好きで、どんなパートナーと人生を共にしたいのか。どんなことを大切にして、どんなことに耐えられないのか。それがわからないのは重大な問題です。



若い時、私は自分自身と母親への復讐のために、望まない結婚をしました。ちょっと信じられないことですが、わかっていてそうしました。合うはずのない相手と結婚をするなんて、完全にどうかしています。でも、月に捉えられて本当の自分を見失うと、太陽さえ投げ出したくなり、自爆テロのような事態を引き起こします。



とりわけ、食と性は生理的なものであり、その二つが合わないと、共に暮らすことはひたすら苦痛です。加えて、美的感覚や美意識が相容れない相手といると活き活きとした喜びが失われた生活になります。太陽の前に、本当の月+アセンダントを満たすことは生きる上での基本なのです。それなのに、私たちは月とアセンダントを無視します。恐ろしいことです・・・



出生時の月の反転の位置にある月=生理的な部分を含めた素の自分自身であり、アセンダント=行動様式と美学です。アセンダントはその人が「社会生活の中で大切にしているもの」とも言い換えられます。相手のアセンダントをないがしろにしてしまうと、その方に恥をかかせることにもなりかねません。この重要な二つの要素が満たされていない状態であるのに、太陽で生きると言ってもかなり難しいと思われます。



たとえば、アセンダント乙女座、反転の月天秤座、太陽蠍座の友人がいます。常識的な行動から逸脱することを良しとしないきちんとした性質で、多くの人から信頼されています。そして、アカデミックで知的かつ美的な価値観、調和を大切にしています。ですが、目指すべき自己である太陽が蠍座なのです。角度的には調和していても、矛盾や葛藤は必ずあるものです。



蠍座太陽の自分はアセンダントの美学からも逸脱してしまいたいと願う。月の自分さえ超えて、蠍座の深い感情を知的に生々しく表現したいと願う。(太陽3ハウス)そこに強い葛藤が生じます。こういった内的乖離は多くの人が体験しています。難しいですよね・・・ではどうすればいいのか。



どの自分も捨てないことです。どの自分も否定しないことです。何よりも大切なことは自分が自分であることなのだーーと自分に許可を出すことです。




そして、私たちの中には色々な顔がありますが、主人は太陽です。地球で生きる者にとって、主軸となるのは太陽です。(太陽とは地球そのものでもあります)自己実現に向かう時、本当の自分になろうとする時、月とアセンダントを超えて、太陽に没頭するべきです。人からどう思われるかという社会性(アセンダント)さえも、素の自分自身(月=内向きの自己)さえも超えて、必要な時には太陽を爆発させるべきです。



その時、二元性からも自由になっている瞬間を発見します。ただ自分自身であろうとするエネルギーは無限の生命力を与えてくれます。イイねがゼロでも誰も読んでくれなかったとしても、何の評価も反応もなかったとしても・・・それでも太陽を発揮するのです。そうすれば、そのエナジ―が反響をもたらします。誰も太陽の眩しい光に屈することはできません。



普段から、反転の月とアセンダントを大事にしていれば、自己肯定感と感受性が守られ、恐れを知らない太陽がいつか必ず立ち上がってきます。太陽を輝かせて生きることで目的地にたどり着くことができます。太陽は人生の目的そのものではありませんが、地球人生の土台です。太陽とはきっと勇気なんです。すべての恐れや価値判断を超えていく勇気。制限と幻惑に満ちた地球人生を全うするために、時に太陽を爆発させることが私たちには必要なのです・・・




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