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現代のブランディングにおけるデザインの末路

1. 私、こういう者です。

先ずは、今回のテーマである「デザイン」を語り始める前に、5W1Hの中の3W(who, what, why)を満たし、この話を読み終わった後に「ってお前が言うなよ。」とスパイシーなツッコミを入れられるリスクを軽減する為に、簡単に自己紹介をしておく。

(注)5W1Hって何ですかという質問に関しては一切お答えしませんので、そのような疑問を持った方は黙ってググってください。


私は、数年前からブランディングをメインとしたデザインに関するお仕事を度々受けている。

ブランディング(英: branding)とは、ブランドに対する共感や信頼などを通じて顧客にとっての価値を高めていく、企業と組織のマーケティング戦略の1つ。ブランドとして認知されていないものをブランドに育て上げる、あるいはブランド構成要素を強化し、活性・維持管理していくこと。また、その手法。(Wikipedia)

というのも、大学時代からメイクアップアーティストとして仕事をスタートさせた私は、ファッションバイヤー、イタリアを拠点にファッションモデルへと転身。帰国後は、モデル業を続ける傍らITメディア企業でクリエイティブ・ディレクターとしてwebデザインや画像、動画制作を中心に活動し、その後フリーとなった私は、クリエイティブ・プロデューサーという肩書きで、様々なブランドや商品などの総合的なリブランディングのお仕事をしてきた。私の仕事は、「デザイン」という仕事ではあるのだが、どちらかというとマーケティングやコンサルティング要素が比較的強い仕事でもある。

こうして私は、20代の自分の人生のほぼ全てを、様々なものを対象とした「デザイン」や「ブランディング」に捧げてきた。

随分と色んな仕事をしてきたかのように捉える方もいるかもしれないが、私からすると実はどれも同じ畑の中での仕事でしかなく、要はある一つの創りたい世界を映すレンズの手前にいるのか、レンズ越しの奥にいるのかだけの違いでしかない。どれも想像していた、もしくは想像以上の世界観を創り上げる、表現するという軸やゴールは決して変わることはないのである。

私は、まだまだデザイン業歴の短い未熟者でありながらも、有難いことにブランドや商品、webサイトや人物など様々なものを対象にデザインを施し、常に「美しさ」という絶対的な正解や確固たる定義などがないものを追求してきた。現代文の解答のように、一つの確実な答えがないという一種の複雑性に美しさを見出し魅了され、今まで走ってきた。

今回は、そういった私の経験とその中で得たものをもとに、ブランディングにおけるデザインというものの自分なりの解釈をお話したい。

2. 私にとって「デザイン」とは

私は非常にせっかちなので結論から述べるが、ブランディングにおけるデザインの正しい在り方というのは「対象物を如何に正しく第三者に伝えるか」であり、決して「対象物を良く見せるもの」では無いということ。

そもそも、「デザイン」とは一体何か。

人によってそれぞれ「デザイン」に対する解釈や考えは違うとは思うが、私にとって「デザイン」というものは、一つの「情報伝達手段」や「コミュニケーションツール」に等しい。

この段階で今いちピンとこないという方は、ここでいう「デザイン」というものを普段自分達が話している「言語」や「言葉」というものに当てはめて考えてみてほしい。

「言語」というものは、その存在自体に何か意味がある訳ではく、その「言語」を話す人がいて、その話し手が他者に何かを伝えたい時に「言語」というコミュニケーションツールを使って初めて「言語」が「言語」として働くものである。

そして、その話し手と受け手の共通言語というコミュニケーションツールを使って、一つの情報を正しく共有することで意味を成す「言語」というのは、「デザイン」に非常に近しい存在だと考えられる。

デザインというものは、話し手が伝えたい物事をより正確に相手に届ける為の補足情報の盛り合わせみたいなもので、伝えたい物事を過剰にアピールしたり、大袈裟に誇張する為のものではないのである。

「“より良く見せなくてもいいデザイン”なら簡単ではないか。」と思われるかもしれないが、ここに先ほど近しい存在であると述べた「言語」と「デザイン」の興味深い違いがある。

それは、「デザイン」というのは「言語」よりも、どちらも一種のコミュニケーションツールである上で、情報を受け取る側の感性によって、発信された元々の情報の見え方や感じ方が異なるケースが少なくないという点だ。

「言語」というものは、受け手によって若干のニュアンスの違いや解釈の違いが生まれたとしても、ある程度単語や文章などの意味がはっきりと決まっていているので、そこまで大きな共通認識のズレみたいなものは発生しにくい。

しかし、デザインというものは言語よりも色んな意味で曖昧さを孕んでおり、情報を受け取る側の年代や性別、好みの違いなどによって受け取り方に個人差が生まれやすい上に、イメージや雰囲気といった端的な言葉にはしにくい人間の無意識的な感性に働きかける為、不特定多数の人にデザインを使って発信者が伝えたい事を100%正しく正確に伝えることはほぼ不可能に等しいのである。

つまり、私が最初に結論で述べた「対象物を如何に正しく第三者に伝えるか」ということは、一見簡単で詰まらないものに感じられるかもしれないが、実はデザインにおいては非常に難しい事なのである。そして、同時にそこがデザインの面白さでもあるのだ。

3. デザインが生む新たな問題

今日の技術革新により、今や誰でも簡単にブランディングやデザインというものに実際に触れ、使用し、あらゆる事を表現できる場が沢山ある。それは一見良い事のようにも聞こえるが、勿論それによって生まれる新たな問題もある。

その問題とは、「見せる技術の向上によって対象物そのものが劣って見える」ということ。

この問題点に関して、あまりイメージ湧かないという方はネット上で出会った人と初めてデートをして失敗した時の事を思い出してみると分かりやすいだろう。

インターネットやアプリなどの画面上では印象が良かったのに、いざ実物に会ってみたら写真と全然違うじゃないか事件は、今の時代はよくある話。

これは、私が考える“行き過ぎたデザインが生む問題”としての非常に分かりやすい良い例で、要は自分という対象物に、アプリで加工するというデザインをし過ぎることによって、結果的に最も重要である自分そのものの評価が下がってしまうということなのである。

しかし、よく考えてみたら不思議なことだとは思わないか?対象物そのものは何も変わっていないのに、見せ方、つまりここでいうブランディングにおけるデザイン次第で、対象物自体の良し悪しや評価が変わってしまうのだ。それほど、ブランディングにおけるデザインが持つ力と影響力が大きいという事なのである。

4. デザインの役割

私は、過去に幾度もクライアントに嫌われるのを覚悟で、デザイン力が商品を越える恐れを感じた時はデザイン作業を一旦ストップし、商品そのもののデザインや質などを再度見直すよう苦言を呈した事がある。

自分より遥か目上の方々にそういった厳しい事を物申す事で、嘸かし嫌な気分になった方も多くおられただろうが、別にそれは自分のデザインのスキルで驕り高ぶりたい訳では一切なく、そのブランドや商品のブランディングに携わる以上、ただ単発的に数字が伸びるだけの消費されるデザインはしたくないのである。(勿論、そういった手法もあることは確かであり、バズり目的だけのケースも中にはある。)

もっと言うと、ブランディングした対象物が自分の手元を離れた後が最も重要で、ただデザインを利用して単発の購買に繋げるだけでなく、購買後の顧客の満足度を上げ、いかにリピートに繋げられるか、いかにファンを作って育てていくかが肝なのである。そういった一連の流れを作るのも、デザインの一つの役目なのだ。

顧客が対価を払ってモノを手にしたり、体験したり、人と触れ合ったりした時、「なんだ、大したことないじゃないか。」というガッカリを生みたくてデザインしている訳では絶対になく、良い対象物を正しく顧客に伝え、売り手と買い手の対象物に対する認識のギャップやズレを如何に減らすかということも、デザインが持つ非常に重要な役割なのである。
※勿論、顧客側がデザイン抜きにして期待値が高過ぎる場合に生まれるガッカリのケースは除く。


ブランディングにおけるデザインというものは、本来ある対象物をより正しく表現し、伝える手段でしかないからこそ、常にその対象物そのものが最上級でなければならないのである。それはモノ、コトのみならずヒトも然り。

その対象物がヒトの場合、盛り方や装い方もとても大事な事ではあるけれど、自分というヒトそのものを磨く事が最も重要だという事を今の時代だからこそ忘れてはならないのだ。


窪 ゆりか

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