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お前最近何してたん?

大変ご無沙汰しております。

いろーんなことがあり、やっと諸々決まったので、ご報告を。



実は、うつになっていた。

約二ヶ月前、ニャムガリで。
外に出ることができなくなった。

原因は、多分まあ、色々あるのだけれど。

それは、今回は省略するとして。

趣味の裁縫をすることも、お香を焚くことも、床に落ちたゴミを拾うことさえできなくなった。

18時を過ぎると襲ってくる、暗くて深い、地獄のような夜を超えるのが、耐え難いものになった。

気づけば、一睡もできなくなっていた。

布団の上で、ひたすら朝を待つ。

朝がやってきて、気絶するように少し眠る。

何とか昼をやり過ごすと、また夜がやってきて、布団の上で朝を待つ。

それが、何日も続いた。

急に、涙がこぼれて止まらなくなる。

限界だった。

消えてしまいたくなった。

そして、JICAの職員に助け出され、首都で療養生活が始まった。

二週間後には、ずっと楽しみにしていた任国外旅行が待っていた。

ギリギリまで粘ったけれど、騙し騙しが通用しないほど、心身ともに壊れていた。

首都でも眠れない日々が続いた。

空元気も、限界を迎えていた。

そして、色々悩み、考え、迷い、迷い、迷った結果、日本へ療養帰国をすることになった。



悔しかった。
逃げるようで。負けたようで。

一刻でも早くルワンダに戻りたいと思った。

成田に着くまで、ずっと悔しくてたまらなかった。

みんな、活動できてるのに。生活できてるのに。何で私はできなかったのか。

でも、成田空港に迎えにきてくれた恋人の顔を見て、心が、解放された。

ああ、そうだった、私の帰る場所は、ここなんだった。あるんだった。



それから、過眠症になったりしながらも、日本で楽しく暮らした。

「笑顔で再会したい」という思いから、友達にはほとんど帰国を知らせなかった。

恋人や愛猫、家族、一部の友達と、美味しいものを食べたり、花火を見たりした。




そして、思った。

「ルワンダに、ニャムガリに帰る必要はあるのだろうか」


心の病気は、目に見えない。

足が折れていたら、誰にでも見てわかる。

でも心が壊れていても、口に出さなければ気づいてもらえないし、自分でもわからないことがある。

ルワンダに戻ったら、再発するかもしれない。

そのリスクを負ってまで、私がやるべきことって、あるのだろうか。

約1年間、ニャムガリで、たくさんの人々と関わり、暮らしてきた。

でも、具体的な活動をしていたわけではない。

私にしか出来ないことを、出来てはいなかった。

1年は、短いようで、長い。

私は、特に持病もないけれど、他のすべての人間と同じように、いつ死ぬか分からない。

その人生の中の、貴重な1年を費やすほどの価値が、私の活動にあるのだろうか。

悩み、考え、そして、結論を出した。

「任期短縮をしよう。もう日本で暮らそう」


投げ出すようで、逃げ出すようで、悔しい思いはある。

だけど、それでいい。そう思った。

母親と、恋人、そして友達に、その気持ちを伝えた。

どんな仕事をしようかな。

Indeedのアプリを取って、会員登録した。

自分の経歴を入力したりしてみた。

だけど、やりたいことは、特になかった。



ふと、思い立って、ルワンダで撮った写真を見返してみた。

今まで、何となく避けていた、写真たち。

そこには、たくさんの人たちが写っていた。


マコ、ガソレ、ベビ。

敷地内の学校の生徒たち。

近所のティーチャーズ。

カレーを食べてくれた同僚たち。

いつもご飯を作ってくれるタスィアナ。

バーのマスターのジャンマリー。


みんな、笑顔だった。


ああ、私、何で忘れてしまってたんだろう。

こんなに愛し、愛されていたことを。



ルワンダで、生涯のうちに海外に行ける人は、ほんの一握り。

貧しい農民たちは、バスに乗ることさえなく、一生を小さな村で過ごす人も少なくない。

毎日、朝早く起きて、同じ人と会い、畑を耕し、木を拾い、炊事をする。

夜になれば明かりはなく、家族と身を寄せ合い、固い床につく。

そんな暮らしの中で、突如現れた、1万5千キロも離れた国のユリという女。

家に上がり込んでは飯を食い、知らない言葉を話し、知らない遊びを教えてきて、同じ肌の色の友達を連れてくる。


彼らにとって、私と友達になったことは、人生の中でとてつもなく大きな出来事だった。


そんな、大切なことを、日本に来て、すっかり忘れてしまっていた。


この1年間で、彼らとの信頼関係や、友情を築いてきた。

そんな私が、ニャムガリに戻り、元気に楽しく暮らすこと。

それは、立派な、"私にしか出来ないこと"なのではないだろうか。


そう考えたら、私の人生の1年を捧げること、捧げるチャンスを持っていることが、とても尊く、幸せなことに思えた。



帰りたい。

ルワンダに。ニャムガリに。


会いたい。

マコに、ガソレに、ベビに。

鬱陶しいくらい私を好きでいてくれる、ニャムガリの、ルワンダのみんなに。

試行錯誤しながら必死で生きている、個性豊かな隊員仲間たちに。


帰る。

もう、決めた。私、帰る。帰るよ。


9/11にまた成田から飛び立ち、翌日にルワンダへ。



気づいたら、あと1年もなかった。

11ヶ月。

その11ヶ月で、一人でも多くのルワンダ人を、笑顔に出来るように。

そして、笑顔で、日本に帰って来れるように。

自分の心と体にちゃんと向き合いながら、楽しんできます。


では、日本のみなさま、また来年の夏にお会いしましょう!



ルワンダのみなさま、See you soon!

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