大袈裟すぎるぐらいのほうが
ニャムガリに帰ってきて、二週間くらい経った。
えぐい。
歓迎が。
その熱さ、戦火の最前線から生還したかの如し。
説明が面倒くさくて「ベリーシリアスな病気だった」としか言ってないため、多分日本で生死を彷徨ってたと思われてるのだろう。
おまけに、ルワンダで増えすぎた体重を日本で落としていったために幾分かスリムになり、その姿がますます心配を助長させるのであろう。
近所のおばあちゃんが、私の腕や腰を「かわいそうに😢」みたいな顔で触りながら、バナナをくれた。何なら実際「かわいそうに」と言っていた。相当闘病してきたと思われてるのだろう。「ムラコゼ(ありがとう)」と言って受け取ったけど。バナナは好きなので。
ルワンダでは、太ってる方が健康で良いと思われている。多分アフリカでは全体的にその傾向がある。
未だに満足に食べれない人もたくさんいるし、太っているのは豊かな証拠。
そのせいで、以前はよく「ゆり!太ったね!Bigger! Biggest!」と言われていた。満面の笑みで。私は1ミリも笑っていない。が、そんな事に気づくほどルワンダ人は鋭くない。
私の推しの警察官オリバーには、「Are you trying to be fat?」と聞かれたことがある。悲しかった。イケメンだから。デブになるために努力してるわけないだろ。下手したら殺されるぞ。
あんだけ「太った」と言われまくったんだから「痩せたね~」と言われたいのに、それは彼らからしたら褒めてないから、ま、仕方なし。
そんなことは置いといて、熱い歓迎の話だ。
二週間弱経ち、だいぶ落ち着いたものの、帰任した当初はそりゃもうすごかった。
道を歩いていると、どこからともなく誰かが飛んでくる。潰れそうなくらいきつく抱きしめられて、「会いたかったよ~愛してるよ~」と言ってくれる。
「元気?」「家族はみんな元気だった?」「とても恋しかった」
会う人会う人、みな口をそろえてそんな声がけをしてくれる。
仲の良い同僚や友人たちに関しては、
「ルワンダから毎日ユリのために祈っていたよ。僕たちは君のためにいるんだよ」
「君と友達になれたことは神様からのギフトだと思ってる。心から愛してる」などと、プロポーズでもされるんかくらい熱い言葉をかけてくれる。日本の友だちに置き換えて想像してみると、まあまあキモいな。
彼らの言葉は大袈裟に聞こえるけど、ちっとも嘘くさくない。
ちょっと笑っちゃうときもあるけど、嫌な気はしない。
ルワンダ人の愛情深さ、そしてその大袈裟な愛情表現は、時に疎ましい。
しかし少々の緊張と共に帰って来た病み上がりの私にとっては、寒い冬の日、外から帰ってきて浸かる42℃のお風呂のように、全身をじんわりと温かく包みこんでくれる、幸せなものだった。
日本を発つとき、母と妹と恋人が見送りに来てくれた。
2か月半日本で過ごし、完全な日本人に戻ってしまった私は、三人とまるで初対面かぐらいのぎこちない抱擁を交わし、大した話もせずにそそくさとゲートをくぐってしまった。
別に、平然を装ったわけでも、安心させるためでもなく、ただちょっと照れ臭かったから、である。
ルワンダ人たちの熱い愛情表現を受けた後だと、何となくそれが悔やまれる。
「一年後また会えるしな」なんて思ってたけど、もしかしたら、もしかするかもしれない。
「あなたのもとに生まれてきたことは、神様からのギフトだと思っている」
「世界で一番、心から愛してる」
日本人からしたらちょっと大袈裟すぎるそんな言葉を、言えばよかったかな。熱い抱擁と共に。
いつが最後になっても、最後にならなくても、後悔しないような、言われたら恥ずかしいけど、嫌な気はしないような、そんな少し大袈裟すぎる愛の言葉を、全身で相手を感じられる、熱い抱擁を。
いつでも相手に伝えられるルワンダ人は、素敵だ。
次に日本へ帰るときには、ちょっとだけルワンダ人になっていよう。
ここが私の、アナザースカイ。(急に安い)
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